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2008年11月

冬のうなぎ

『あとの祭り 冬のウナギと夏のふぐ』

これは、作家 渡辺淳一さんの

エッセイ集のタイトルであるが、

昨日の午後、外来が終わってから

K先生と文字通り「冬のウナギ」を食べた。

10月上旬に手術を受けられたK先生。

「日にち薬」というくすり

その後の経過は良好であったが、

術後、食欲が低下していて、

自分の好きなモノであっても、

あまり「食べたい」という気が

起こらなかったという。

とりあえず、食べ物を口に運ぶという程度。

昨日辺りから、「美味しい物を食べたい!」

と感じるようになったK先生は、

「おぉ、そうだ! 鰻を食べに行こう!」と

昨日診療の終わった自分の顔を見て、

好物の1つを思い出された様子。

もしかして… 自分の顔に

「うなぎ」と書いてあったのかな? (^-^;

「やっぱり、鰻は美味しいね!」

とご満足の様子。

「やっと美味しい!と思えるようになったよ」

とにこやかに話された後、K先生は

「これも日にち薬かな?」と笑う。(^-^)

やはり、美味しい物を「美味しい!」

と思えることも有難いこと。

低下していた食欲を、

増進させようとする時、

食事の好物は「救いの種」になる。

鰻はK先生と自分の好物であり、

自分が食欲を戻すきっかけとなったのも、

K先生と食べた美味しい鰻であり、

K先生が食欲を戻すきっかけとなったのが、

昨日自分と食べた鰻である。

鰻が大好物!とは、

かの斎藤茂吉が有名であり、

年間100尾も食べたこともあるという。

茂吉の次男で、作家の北杜夫氏は、

茂吉の鰻好きのエピソードを紹介している。

昭和18年、長男の茂太が

宇田美智子さんと見合いをし、

婚約後の両家の顔合わせの際、

鰻の蒲焼きが出てきた。

着物姿で緊張していた美智子さんは、

少し箸をつけただけで、食べられずにいた。

すると、茂吉が「それを私にちょうだい」と、

鰻を取り上げて食べてしまったという。

斎藤茂吉ほどではないが、

いつ食べても、鰻は美味しい!

ところで、渡辺淳一氏。

上述のエッセイ集に、こう書いている。

「それでは、いつ行くのかというと

 主に秋から冬。天邪鬼といわれる

 かもしれないが、このころのウナギは

 悪くない。それどころか、

 冬のウナギは脂ものって食べどき。

 (中略)

 ここがわたしの狙い目。

 みながいかないのなら

 この隙にいってやろう。

 そこでいってみたら、

 思っていた以上に旨かったというわけ」

まさにそう!

昨日の鰻もとても美味しかった!!

o(*^▽^*)o

さて、K先生。

頚部の手術のため、頭髪を剃毛。

やっとはえそろってはきたものの、

11月初旬は頭部がとても寒かったと。

「たとえ薄くなった髪の毛でも、

 あるとないでは大違い!」

あまりに寒くて、黒いニット帽をかぶって

仕事に通っていたとのこと。

「あのK先生が!」( ´艸`)プププ

現代風のニット帽をかぶり、

街中を歩いている姿を想像した途端、

とても可笑しく感じて、

話を聞きながら飲んでいたお茶を

吹き出しそうになってしまった…

いや!まてよ…

「ちょい悪オヤジ」で

イイかもしれない!! (・∀・)イイ!

何はともあれ、お元気になられたK先生。

K先生の「日にち薬」は良く効いている!と

「冬のウナギ」が教えてくれた昨日。

とても楽しく穏やかなひとときだった。

(^-^)

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人の欠点に気づくのは…

「ここの英語は、こう書いちゃダメダメ!」

大学院生の論文を直しているまっ最中。

他人の欠点にはすぐ気づくのに、

自分が論文を書いているときは、

欠点が盲点になっていることも…

どうして他人の欠点は、

すぐ気づくのだろう…?

そう感じていた昨日の帰り、

なるほど!という言葉に出逢う。

「他人の欠点に気づくということは、

 自分も同じ欠点を持っているということだ」

あるお寺の門の前にある、

“仏の教え”を説いた言葉が、

明かりに照らされていた。

その言葉に触れて、

「なるほど!そうかもしれないなぁ…」

誰しも欠点・短所はある。 (゚ー゚;

そして、人はその欠点を嫌う。

欠点が好きだと、長所!?  (^-^;

他人の欠点に気づくのは、

その自分の嫌いな欠点が

映し出されるからかも (;´д`)トホホ…

あるいは、同じような欠点があり、

それを克服してきたからこそ、

見えてくるのかもしれない。

人の好き嫌いの判断材料として、

人の長所・短所は重要な情報。

自分に合う長所を持つ人は、イイ人。

自分が嫌な短所を持つ人は… (>_<)

一方、自分の欠点を直視して、

ひどい自己嫌悪に陥り、

自分を嫌いになることがある。

自分と他人の違いこそあれ、

これって結局は同じコトなのかな?

ということは…

自己嫌悪が強く自分を攻撃している時は、

知らず知らずのうちに、他人の欠点を

攻撃しているのかもしれない… ( ̄○ ̄;)!

自分の欠点を直すことはとても大切。

でも、欠点がなくなるものではない。

だから、欠点があるからと言って、

自己嫌悪におちいるのは… (;・∀・)

人に対しても同じかな?

欠点だけをとらえて短絡的にイヤ!

と判断してしまうのも… (;・∀・)

難しいことではあるけれど、

欠点を含めて、その人全体を

理解することがとても大切!

それは他人(ひと)も自分も…

人の欠点を非難するのではなく、

欠点をこうすればもっと良くなる!

と伝えることができるのは、

その人のことを大切に想う証拠。

人を大切に想うということは、

自分も大切に想うということ。

欠点を持っている人全体を

愛おしく想うのと同じように、

欠点を持っている自分全体を

愛おしく想うことができれば、

欠点を良い方向に変えやすく

なるのかもしれない!!

愛情を持って人の欠点を

より良い方向へ導くことと同じように!

(o^-^o)

「他人の欠点は、自分の欠点」

人の欠点に気づいた後は、

次は自分の欠点を直す番!

あきらめることなく、愛情を持って、

「何度でも」繰り返そう!

それが10001回目の答えかもしれない…

(^-^)

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アンサング・ヒーロー

「アンサング・ヒーロー」

(謳われることなき英雄)

昨日(11月27日)の日経新聞夕刊のコラム

『あすへの話題』において、

分子生物学者の福岡伸一氏が

「アンサング・ヒーロー」に

「かぎりない親しみを感じる」とした。

「アンサング・ヒーロー」(unsung hero)

は文字通り、「歌われることのない英雄」。

これは、一握りのノーベル賞受賞者のように

褒賞されることはなかったものの、

ノーベル賞受賞者が偉大な発見をするに至る

重要な情報を与える研究を行った

他の研究者への讃辞として、

福岡氏が用いた言葉である。

一握りのノーベル賞受賞者以外の

「アンサング・ヒーロー」についても、

福岡氏の『生物と無生物のあいだ』に

親愛の情を込めて詳しく書かれている。

「アンサング・ヒーロー」

この言葉に、今秋の学会を思い出した。

自分のとても親しい友人が、

ある学会の学会賞にノミネートされ、

その前提のもとで発表した。

友人だからというわけではないが、

他のノミネートされた演題に比べ、

かなり優れた内容であり、

「学会賞は間違いない!」と

確信していた。しかし…

学会賞を受賞できなかった。

彼は発表の瞬間、当然落胆した。

誰しも、自らの研究が賞賛されることを

いやがる人はいない。

むしろ、賞賛に値する!という

自信こそが、エネルギーにもなる。

彼は、「残念…」と一言つぶやいたあと、

自分たちの慰めの言葉に、

笑顔で「ありがとう!」と返事して、

学会賞受賞者のもとへ行き、

とてもさわやかな笑顔で、

「おめでとうございます!」と

賞讃し、受賞者と握手をかわした。

「よっ!男前!!」

(*^ー゚)bグッジョブ!!

もともと「イケメン」の彼が、

さらに輝いてみえた瞬間

(・∀・)イイ!

褒賞される研究はたしかに素晴らしい!

でも、賞を与えられる研究だけが

素晴らしいわけでは決してない!

たとえ賞が与えられなくても、

多くの素晴らしい研究がある!!

見る人が見ればその素晴らしさはわかる。

たとえ、現在(いま)は褒賞されなくても、

いずれは賞讃されるかもしれない。

みんなそんな自負を持って、

日々自らの仕事に邁進している。

そう考えるとエネルギーがわいてくる!

o(*^▽^*)o

一握りの栄光を掴む英雄は、

数多くの「アンサング・ヒーロー」達の

「巨人」の肩の上に立った人である。

自分も「アンサング・ヒーロー」に

かぎりない親しみを感じる。(^-^)

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大切な人

今日は、自分の大切な人のご尊父の命日。

大切な人の大切な人は、

自分にとっても大切な人。

謹んで遥拝させていただきたい。

この方は社会的地位のとても高い方で、

その娘として生まれ育った大切な人は、

小さい頃はあこがれの存在であり、

「将来はお父さんみたいな人と結婚したい!」

と考えていたと言う。

ところが、思春期になり

自我も大きく成長してくると、

父娘の葛藤が生じてきて、

さらに、父親の社会的地位の高さが

返って煩わしく思われてきたと言う。

「誰々さんの娘」と言われることが…

おそらく、「私は私!」

そう感じていたんじゃないかな?

常に「誰々さんの娘」として

見られることの辛さを感じていたんだよね…

でも、自分から見ると、

「本当にお父さんが好きだったんだね!」

と思われるくらい…

お亡くなりになる前、

長年患っておられた難病のために、

介護が必要になっておられた。

介護にまつわる話を聞いていると、

介護の大変さが伝わってくる。

でも、その一方で自らの父親について

話していた時は、とても楽しそうで、

とても嬉しそうだった…

そんな心優しい人を育んだご尊父って

いったいどんな人なんだろう…

男としてとても憧れる。

だって、そんな素敵な人をして、

常に気にかかってならない人だから…

お亡くなりになる前、

長年患っておられた難病とは別に、

胃がんが見つかり入院された。

その後、薬石効なくお亡くなりになった。

その訃報を聞いてお悔やみに向かった。

その時は「涙雨」の夜だった。

弔問にお伺いした時は、

とても静かで、穏やかな空気が流れていた。

それまでは、弔問客が次から次へと訪れては

その対応に追われていたというのが、

嘘のようにとても静かだった。

まるで、ゆっくりと対面させて頂く時間を

与えていただいたかのように…

霊前で合掌し、心からご冥福を祈った。

そして大切な人が「顔を見て下さい」と促し、

お顔を拝ませていただく。

遺影もさることながら、

とてもいい顔をしておられる。

大切な人の顔に良く似ている。

そう思ってふと大切な人を見ると、

目に涙を浮かべながら、

うれしそうに微笑んでいる。

「やっぱり!自慢のお父さんだったんだね!」

ご逝去から数年経った今も、

月命日等の墓参を欠かさない大切な人。

おそらく今は、

「誰々さんの娘に生まれて良かった!」と

思っているに違いない!

先日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』

に登場された大谷るみ子さんの

介護の姿を見て、ご尊父を思い出し、

何度も涙を流したのだから…

介護の辛さも思い出されただろうけど、

それ以上に感じることがあっただろうから…

今年、大切な人のご尊父の墓前で、

自分は「奇蹟の出逢い」に感謝し、

静かに語りかけ、誓いを立てた。

人として、男として憧れる存在の前で。

その気持ちを忘れないために、

そして、どう進めているかも確かめるために、

大切な人のように毎月とはいかないまでも、

墓前で手を合わせ、

弔問の時のように、静かに問いかける。

「現在(いま)の自分はどうですか?」と。

今日も慌ただしい日常を過ごすが、

心だけは静かにそして穏やかに、

憧れの存在を想い、語りかけていたい。

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冬こそ!早寝早起き??

「憂うつだなぁ…」

なぜか冬になると気が滅入る…

そう思われる人はいませんか?

そんな季節と気分の関係の一端を

明らかにする研究が、11月17日の

『米国科学アカデミー紀要』

(PNAS)オンライン版に報告されました。

名古屋大学大学院生命農学研究科の

吉村崇教授らのグループの研究で、

正常なマウスとメラトニンが分泌できない

マウスとで比較したところ、

正常なマウスだけが日照時間の差によって

脳下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモン

の量が変化したというもの。

つまり、哺乳類ではメラトニンが

甲状腺刺激ホルモンを介して

季節の情報を伝える仕組みが明らかとなった。

「それがどうしたの?」

と聞かれそうですね… (゚ー゚;

もともと、「メラトニン」というホルモンが、

日照時間の長さの違う季節ごとに

変化することが知られていて、

「冬季うつ病」といわれる

季節性情動障害の原因の1つとされています。

その季節によるメラトニン分泌の違いが、

甲状腺刺激ホルモンを介して影響し、

体の変調を来しているという仕組みが

明らかにされたのです。

ところで、「冬季うつ病」

日照時間の違いでメラトニン分泌量が

異なるため、季節による多少の気分の変化は

やむを得ないところですが、

「何も手につかない」ことになってしまうと…

でも、予防する策はあります!!

陽の光を浴びること!

そして、早寝早起きをして、

ある程度規則正しいリズムを

維持すること!

このことで、メラトニン分泌の低下を

ある程度予防することが

できるとされています!! (^-^)

「すこしくらいの気分の落ち込みは、

 食べることで解消!」

なんて考えている人こそ要注意!!

冬になると食欲が増して体重が増えるのも

「冬季うつ病」の症状の1つ。( ̄○ ̄;)!

さらに、あなどることなかれ!

メラトニン分泌の低下は、

「乳がん」の発生にも関係があり、

女性のみなさんは油断大敵!!

まさに、「冬こそ!早寝早起き!!」

空気が乾燥しやすい季節。

十分に睡眠時間をとりつつ、早寝早起きして、

肌も心も「うるおい」を保って下さいね!

「できそこない」から愛を込めて… (^_–)

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すっきり!

「すっきり!」

そうつぶやいて眠りにつく。

何?というわけでもなく、

昨日寝る前に、心の迷いが片付いたから。

まるで、もうあれこれと

考える暇をつくらぬように…

最近、ずっと迷い続けたことがあった。

そればかりを気に病んでいたわけでは

ないけれど… 気にはなっていた。

心のどこかにモノが閊えるような感覚?

そんな心の迷いを抱えていた…

でも、昨日の午後、

自分の迷いが確信に変わった瞬間、

「すっきり!」した (^-^)

すこしの確認作業をしただけで

心の迷いが片付いて、

「すっきり!」した (^-^)

だから、眠りにつく前にあらためて、

「すっきり!」とつぶやく。

もうこれでこの迷いとはさよなら!(*゚▽゚)ノ

ブログを書き始めて、

あらためて自分の感じていることに

意識を向けるようになった。

感じたことを書き留めてみると、

自分のことながら、

「へぇ〜そう考えていたのか!」

と思うこともある。

すこし変ですよね?!

でも実際、心の中であれこれと

悩み迷っている主観的なことを

言葉にしてみると客観的に見れるもの。

それらすべてを書き留めるわけには

いかないけれど、すくなくとも、

潜在意識の中にあって、

「見ないでおこう…」としていたことにも

眼を向けることができるようになる。

これがブログを書いてる効用かな?

日記をつける習慣のなかった自分が、

「とてつもなく辛いこと」をきっかけに、

自分の意識にある事柄を言葉にしよう!

と思って始めたブログ。

「毎日よく続くなぁ〜」と

時に自分でも感心することがある。

でもね、生きていて日々

何かを感じることが必ずある!

そのごく一部を書き出しているだけ。

自分の意識の中では、

その何倍も、何十倍も感じ、

考えていることがある。

今日はそのどれを書き出すか?

そう思う瞬間、自分の意識に目を向け、

自分が感じていること1つ1つに

タイトルが付いていることに気づく。

意識の中にあるタイトルのついた

タグを引っ張りあげ、言葉にしていく。

そんな作業がブログを書くことかな?

で!今日引っ張り上げたタイトルが、

「すっきり!」

「何が?」と聞かれるかもしれないけれど、

「すっきり!」というタイトルの付いた

意識のタグを引っ張りあげても、

後に続く言葉は「・・・・・」

何も書いてない。(゚ー゚;

掃除をして、そこにあったモノが

片付くような感覚。

そこにはもうないわけだから、

「・・・・・」としか表現できない (^-^;

とにかく、「すっきり!」した

ということだけはよくわかる。 (^-^)

そうそう!

この3連休中に、思いもかけぬ人から

思いもかけずメールをもらったという

うれしさが、「すっきり!」に

拍車をかけてくれたのかもしれない。

「ありがとうございました!!」

そんなうれしい気持ちでいっぱいになり、

意識の中にある迷いのスペースを

片付けなくちゃいけなくなったから…

(o^-^o)

「素直がいちばん!」

素直によろこぶことも、

意識の整理整頓にとっては、

とても役立つことかもしれませんね!

(^-^)

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気品ある人

昨日は仕事が予定通りに終わり、

オンタイムで大河ドラマ『篤姫』を観る。

そんな日曜日の夜もたまにはイイ! (^-^)

物語も江戸幕府の終焉という

大きな山場に入ってきて、

ストーリー展開からも

年の瀬が近いことを想像させる。

今年ほど、一瞬一瞬、一日一日を

大切に思う時はなかったかもしれない。

今までも大切だったけど、

今まで以上に…

あっ!今年を振り返るには

すこし早かったかな? (*゚ー゚*)

それはまたいずれ… (*^m^)

さて、『篤姫』。

懐かしい人との邂逅あり、共感!!

人は懐かしさに涙するのがよくわかる。

そんな巡り逢いにあこがれもする。

ところで、『篤姫』に

勝安房守(海舟)役で登場する

北大路欣也さんにお遇いしたことがある。

正確には、お見かけしたという方が

正しいかな? (*´v゚*)ゞ

かなり以前の話になるけど、

京都市内で会合があり、その前に

ホテルのレストランで友人と昼食。

たしかその時も「世界のカレーフェア」

とやらで、カレーを食べたっけ? (*^▽^*)

食事も終わり、Casherへ。

するとそこに北大路欣也さんが!

ホテルのレストランスタッフも

緊張した面持ちで見つめているが、

カードサインを終えて去る時に、

スタッフに向かって穏やかな笑顔で

「ごちそうさま」と伝えたかと思うと、

おもむろに振り返られ、

「お先に失礼しました」と

これまた穏やかな笑顔で

こちらにも優しい言葉をかけられた。

「これこそが気品というものかな」

一連の立ち振る舞いを見てそう感じた。

存在感をとても強く感じるものの、

それでいて、威圧感がなく、

立ち振る舞いがとても上品である。

そんな気品を具える人にとてもあこがれる。

 いでや、この世に生れては、

 願はしかるべき事こそ多かンめれ

(さて、人はこの世に生まれたならば、

 誰だって、こうありたいと願うことは多い)

で始まる『徒然草』の第一段が頭に浮かんだ。

その第一段の後半にこうある。

 人は、かたち・ありさまの

 すぐれたらんこそ、

 あらまほしかるべけれ、

 物うち言ひたる、聞きにくからず、

 愛敬ありて、言葉多からぬこそ、

 飽かず向はまほしけれ。

 (中略)

 しな・かたちこそ生れつきたらめ、

 心は、などか、賢きより賢きにも、

 移さば移らざらん。

 (中略)

 ありたき事は、まことしき文の道、

 作文・和歌・管絃の道。

 また、有職に公事の方、

 人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。

 人は容姿、ふるまいが優れているのが

 望ましいものである。

 発する言葉も聞き取りにくくはなく、

 愛敬があって、言葉の多くない人となら、

 飽きずに向かい合っていたいものだ。

 家柄や容姿は生まれつきであっても、

 心はどうして賢いうえにも賢い方へと

 向上させようと思うのなら、

 できないことがあろうか

 「こうありたい」と思うことは、

 学問の本道、漢詩や和歌、音楽に通じ、

 マナーや仕事において、

 人の手本とされることが素晴らしいことだ。

品性は高みをめざして、

よりよくすることができる!

そして、「気品ある人」をめざすときも、

やっぱり「感性」が大切!!

昨日は「勤労感謝の日」で、

まさしく、勤労に感謝しながら

勤労しました! (^-^;

今日は「振替休日」。

よい休日をお過ごし下さいね! (o^-^o)

自分は今日も感謝しながら勤労!

では、「いってきまぁす!!」 (^-^)

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ひとりから

「ひとりから」

講演会の後、自著にサインされた

山田泉さんが添えられたメッセージです。

昨日の朝、ブログを更新してすぐ後、

外来診療のために出かけました。

その移動中、新聞記事を読んで

山田泉さんの訃報に接したのです。

「21日午前9時21分」

自分がブログを更新した約3時間後、

山田泉さんの「命の時間」に

ピリオドが打たれました。

ここにあらためて、

哀悼の意を表するとともに、

謹んでご冥福をお祈りします。

さて、山田泉さんのサインが書かれた

『「いのちの授業」をもう一度』の

あとがきには「山ちゃん」と交流のあった

永六輔さんの詩が紹介されています。

 生きているということは

 誰かに借りを作ること

 生きていくということは

 その借りを返していくこと

 誰かに借りたら

 誰かに返そう

 誰かにそうしてもらったように

 誰かにそうしてあげよう

「山ちゃん」はこの詩を大切に思い、

誰かに借りを返すために、

限られた「命の時間」を使ったのですね。

ふと、自分の胸に手を当てて聴いてみる。

「果たして、自分は借りを返している?」

自分は多くの人に借りがあるなぁ…

そのことだけはよくわかっている。

「じゃあ、ちゃんと返せている?」

う〜ん… 疑問だなぁ…

「えっ!疑問ってどういうこと?」

ん? ちゃんと返せているのかなって…

「何か格好にこだわっていない?」

そうかもしれない…

「大切なのは、カタチはどうであれ、

 返そうとする気持ちだと思うよ!」

うんうん!

「この世で自分に与えられた仕事を

 誠実にやり続けること!

 ただし、より良くすることも怠らず!」

そうだよね!

いろいろなことをしっかり感じるように!

と自分の大切な人が蒔いてくれた

「感性」という種。

「大きく育てて、綺麗な花を咲かせたい!」

という言葉に、大切な人は

「大きな綺麗な花を咲かせ、種を収穫し、

 またさらに、いろいろな所に

 種蒔きしてください。」

という言葉を返してくれた。

まさしく、次に自分が「種蒔き」することこそ、

「借りを返す」ということ。

『「いのちの授業」をもう一度』の

あとがきにはこうも書いてある。

 乳がんになったことも

 再発したことも不運でしたが、

 人との出会いは、がんになってから

 どんどん広がりました。人は、

 泣いたぶんだけ幸せがやってくるのかな?

 おもしろそうなことには、

 すぐに反応し、気づいたら

 まっしぐらに行動している私を、

 ハラハラしながら支えて

 くださったみなさんに、

 心から感謝します。

笑顔の素敵な「山ちゃん」。

その笑顔で、「ひとりから」始めたことが、

多くの人の心を動かし、

多くの人の涙をさそい、

そして、多くの人と笑ったのですね。

講演会の後、「山ちゃん」と2人だけで

話したことは、以前ブログに触れました。

「いのちの授業」を、もう一度

走り続ける

その時の素敵な笑顔と握手した時の

手の温もりは忘れられない…

「山ちゃん」からの「いのちのバトン」

自分もしっかり受け継いで生きていくからね!

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心からご冥福を祈ります

昨日、ブログで紹介した

山田泉さんが昨日の午前お亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈りします。

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思い込みに左右されて…

「NY原油50ドル割れ」

昨日の夕刊1面の下方にあった記事。

この見出しを見て、

「ガソリン価格がもう少し下がるのかな?」

と思う反面、

「モノの価値っていったいなんだろう??」

とふと感じる。

NY原油価格が1バレル=147ドルの

最高値をつけたのは今年の7月。

それから4ヵ月あまりで、

1バレル=49ドルになったのが昨日。

約3分の1に下落した。

「いいじゃん!安けりゃ!」

たしかに、安いに越したことはない。

でもね、モノの価値が3分の1になったのですよ!

絶対的な石油埋蔵量が減少して、

いずれ枯渇する資源の値段が…

「モノの価値っていったいなんだろう??」

以前、日経新聞のコラムに

とても興味深いことが書いてあった。

「お金」にまつわる話。

 

 最初は貝殻や毛皮。次に金や銀。

 お金の歴史である。

 希少な材料だからこそ価値がある。

 現代の通貨は紙でできている。

 なのに、どうして皆が大切にするのだろう?

 小学生に聞くと、愉快な答えが返ってきた。

 「たぶん思い込みでしょ」

 知識や経験に邪魔されない幼い思考は、

 時に物事の本質を言い当てる。

 誰もが大事だと信じているから、

 印刷を施した紙片がお金になる。

 もしその価値を疑う者が出始めたら、

 魔法が解けたように、

 ただの紙きれに戻るかもしれない。

 では次の質問。

 世界中の人が大事だと思っているのは、

 どの国のお金でしょう?

 世界の基軸通貨ドル。

 その価値は、お金を使う側の人々の

 「思い込み」にかかっている。

 超大国が輝き続ければ、

 ドル紙幣が色あせることはあるまい。

 (2008年7月29日 日経新聞コラム春秋)

原油価格が最高値をつけたすこし後の

約4ヵ月前のコラム。

そう!結局は「思い込み」

人々はその「思い込み」に左右されて、

日々の生活を送らなければならない。

ただ、「思い込み」に左右されても、

「思い込み」に支配されちゃいけない!

「ある人の年収がいくらだからすごい!」

たとえばこんな話があるとして、

あたかも、「ある人」の価値が年収で

決まってしまうかのよう…

たしかに!努力は報われるべき!!

それが、年収という評価もあってしかるべき。

でも、年収で「ある人」の価値が決まると

考えるのは「思い込み」じゃないかな?

まるで、「思い込み」を「思い込む」よう…

だって、その価値を決める年収という

お金そのものが「思い込み」なのだから…

「現在(いま)」を生きる自分にとって、

お金という「思い込み」がある以上、

「思い込み」に絶対左右されない!

なんてことはとてもムリ (ρ_;)

でも、「思い込み」に支配されない!

ことはできるはず o(^▽^)o

モノの本質をみる眼。

素晴らしい人に出逢うと、

「思い込み」では左右されない

人の価値を「感性」で感じることができる。

そんな「感性」をいつまでも磨き続けたい!

決して自分を誇示するためではなく、

人やモノの中にある、本質的な

素晴らしさを「感じる」ために… (o^-^o)

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ご縁玉

昨日、映画『ご縁玉』のパンフレットを見た。

「8・2山田泉講演会へお運びいただいた皆様へ」

と書いたお手紙とともに、

細長い茶封筒に入っていた。

一昨日届いた郵便物の中に混ざっていて、

昨日の朝開封した。

以前、このブログで山田泉さんの講演会で

「山ちゃん」のお話を聴いたことを書いた。

「いのちの授業」を、もう一度

その時の山ちゃんの言葉が思い出される。

「人はいつか必ず死ぬんよ。

 そのことに気づいて、

 大切な時間をどう過ごすか考える。

 そのことに気づけば、人は変わる。

 そうすれば、もっと良い世の中になると思う」

その言葉の後に、山ちゃんが言ったこと。

「自分も死ぬということを、

 週1回くらいは思い返さないとね。」

走り続ける

今回届いた手紙は、「思い返しなさいよ」

と、優しくささやかれているような気がした。

映画『ご縁玉』は、山田泉さんと、

パリ在住のチェリスト、

エリック−マリア・クテュリエさんとの

交流を描いた映画。

タイトルの『ご縁玉』は、

山ちゃんが「ご縁がありますように」と渡した

5円玉が2人の交流のきっかけになったから。

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8月2日の講演会の後、特別に上映されたが、

その後に予定があり、観ることができなかった。

12月10日から渋谷ユーロスペースで

公開されるという。その他、名古屋、大阪でも

上映が予定されているとのこと。

時間を見つけて是非観に行きたい。

現在の山ちゃん、再発したがんが

リンパ節に転移して、ホスピスに

入院しているという。担当医からは

「桜は見られないだろう」と言われていると。

昨日、ある本の中の2つの言葉を思い出した。

1つは、村上春樹さんの『蛍』の一節。

「死は生の対極としてでなく、

 その一部として存在している。」

もう1つは、養老孟司先生の

「『知る』とは自分が変わること」

(養老孟司・角田光代『脳あるヒト心ある人』)

養老先生はこう記す。

 知るとは、どういうことだろうか。

 結論から言えば、知ることによって

 自分が変わる。それを「知る」という。

 ガンで余命が半年だと告知されれば、

 それを聞かされた患者さんは、

 世界が違って見えるであろう。

 不特定の時期にあった死が、

 目前だと気づく。

 ふつうはそのこと自体を重視する。

 でも、実はそこが問題なのではない。

 自分の余命を知った時に、

 世界が変わってしまう、

 それが問題なのである。

 別に世界が変わるわけではない。

 昨日と同じようにお天道様が昇る。

 変わったのは世界ではない。

 自分である。

 世界を見ている自分が変われば、

 世界は変わる。

 その体験を一度でもすれば、

 知ることの意味を知る。

 私はそう思う。

「知る」こと、そして「思い返すこと」。

「この命をどう生かすか」ということを

コトある毎に反芻することが大切!

あらためてそう感じる朝。

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カレーライス

「う〜ん… 何か変だなぁ」

夜遅くまで仕事をしていて、ふと感じる。

忙しく立ち振る舞って、

仕事をやっつけていても、

何か調子が出ない…

できない!というわけではないのに、

できた!という気持ちになれない…

「頑張る!」と約束したのに、

ちゃんとできていないことへの

「焦り」や「気の迷い」かな? (-゛-メ)

たぶんに、「やろう!」とする気が

空回りしてるのだろうなぁ…

それと、これだけ急に寒くなって、

冷たい風に当たると、

身も心もちぢこまってしまう… (≧ヘ≦)

寒さのせいにしちゃいけないけど、

ホントの意味での元気が出てこない…

「なんでだろう〜」

「そうか!」( ̄▽ ̄)!!

ふと気づいた。そういえば…

「長らくカレーを食べてないやぁっ!」

自分にとって、カレーライスは元気の源。

忙しい時には特に、合間にカレーを食べて、

次の仕事にかかると、なぜか?調子が出る。

ゲンキンなものですね! (*´v゚*)ゞ

そうとわかれば、あーだこーだ言わず、

最低限の仕事をやっつけて、

大学を出てカレーライスを食べにいく。

夜遅くまで、カレーライスを

食べられる店が開いている。

店についてすぐ、迷わず注文する。

「ビーフカレーとアイスコーヒー!」

これが自分にとってのゴールドスタンダード

この組み合わせで、なぜか?元気になれる!!

カレーを食べ終わって、店をあとにする頃には

日付が変わろうとしていた。

でも、案の定、元気が出てきたよ! (^-^)

やっぱり、ゲンキンなものですね!

(*´v゚*)ゞ

でも、なぜ無性にカレーライスが

食べたくなったのだろう…

カレーと言えば、香辛料。

香辛料に含まれる成分の中には、

唐辛子の主成分であるカプサイシンが有名。

カプサイシンは、体内で熱を受容する

受容体(バニロイド受容体)の1つに作用して、

脳で「辛い!」と認識する。

「辛い」は英語で「hot」だけど、

「熱い」も英語で「hot」。

全くの無関係ではなくて、

科学的には同じ受容体で感受する感覚!

とてもおもしろいよね!!

カプサイシンの受容体(TRPV1)は、

脳に情報を伝える三叉神経に

存在する事が知られている。

この神経は「痛み」を感受する

「視床下部」とも密接に関係している。

たしかに、その受容体は

「痛み」にも関係している。

だから、「辛い」ものを食べると

「痛い」と感じるのも同じ受容体だから!

「熱い」はわかるとしても、

じゃあ、「痛い」のになぜ食べたくなるの?

実は、その受容体がある三叉神経は、

意欲に関係する「大脳辺縁系」にも

密接に関係している。

おそらく、「食べたい!」というのは、

そちらの影響だろう!

それに、「大脳辺縁系」の1つが、

記憶に関係する「海馬」だから、

カプサイシンによる刺激が少ないと、

「食べたい!」と思い出すのかな? (^-^;

あっ、また「理性」で考えてしまった…

( ̄○ ̄;)!

「感性」でしたよねっ!

でも大丈夫!!

「カレーライス」は美味しい!!と

五感をフル活用して、

「感性」でしっかり感じてきましたから!

o(*^▽^*)o

これで当分元気でいられる!

3連休といわれる日も、

仕事の予定がつまっているけど、

これで何とか乗り切れそうだよ!! (^-^)

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「心」と向き合う

「心と向き合う」

昨日(11月18日)の『プロフェッショナル 仕事の流儀』

では、認知症介護のグループホーム施設長

大谷るみ子さんが、認知症のお年寄りの

「心」と真剣に、でも温かく、とても優しく

向き合う姿を映し出していた。

「認知症介護の現場は大変である」

と一言では語れない大変さがそこにはある。

いくら美辞麗句を並べても意味がない…

その中で、こうしてみることで、

認知症のお年寄りが、こんなにも

笑顔でいきいきと「生きて」おられる!

という現場を作り出すことができる!!

という希望を与えてくれた気がする。

介護の現場の大変さは、

実際に経験した者でないとわからない。

自分も中学の頃、自宅で祖母の介護を

経験したことがある。

祖母は認知機能は保たれていたが、

足腰が不自由になり、歩くには

人の手が必要な状態。

主な介護は母が担っていたので、

経験とはいっても、主たる介護者の

大変さに比べれば比較にならないだろう。

でも、「大変!」だということはわかる。

その大変さを「知る」ことが大切だと思う。

誰しも「認知症」になりたくない。

「認知症」は、アルツハイマー病だけでなく、

脳梗塞後の脳血流の障害によっても発症する。

また、長生きをすること自体が、

「認知症」のリスクを高めることになる。

つまりは、誰しも「認知症」になる可能性がある。

「だったら、仕方のないこと?」

う〜ん… 100%という意味ではそうかもしれない。

でもね、医学は懸命に取組んでいるよ!

アルツハイマー病の原因を解明することで、

どうすれば、認知機能が保てるかについて!

さらに、「認知症」は「治療」もさることながら、

「予防」が最も大切だから、

どうすれば、予防できるか?についても!

介護の現場も懸命に取り組んでいる!

まさしく、介護の現場は真剣勝負だから…

だから、人任せにしないで、

予防策が確立されれば、

積極的に予防するすることが大切!!

介護も人任せにしない。

実際に、介護の現場に立たなくても、

介護する人が報われるような環境を

整備することも大切!!

そのためには、介護の現場の大変さと

「あきらめ」ではなく、

「生きる」現場である!ということを

知ることも大切なことだと思う。

さらに、介護に携わる人の

「心」の素晴らしさを知ることも。

そうした意味において、

昨日の『プロフェッショナル』に登場した

大谷るみ子さん率いるグループホームの方々は

とても素敵だった!! (^-^)

人は誰しも年をとる。

「認知症」の不安を抱きつつ過ごすのではなく、

その場その場を懸命に「生きる!」

「今さえ良ければ…」というのではなく、

「今を懸命に生きる!」という気持ちは

いくつになっても持ち続けていたいよね!

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心のバリアフリー

昨日の朝、地下鉄につながる地下道を

歩いていたら、後ろからダダだーっと

走る足音が聞こえてくる。

その人は、あっという間に、自分の横を

駆け抜けていき、その後も

人の間をすり抜けて駈けていく。

「よほど急いでいるんだなぁ〜」

そう思ったすこし後、視覚障害の方が

こちらの方に向かって歩いて来られる。

走る人はスピードを緩めることなく、

ダダだーっと走る足音とともに

ピョンと跳ねてかわすように駆け抜ける。

視覚障害の方が思わず立ちすくむ…

走る人が駆け抜けた後、

しばらくしてからようやく歩き始める。

ぶつかることはなかったけれど、

視覚障害の方にとっては、

とてつもない恐怖だったに違いない。

ダダだーっと走る大きな足音が

前から近づいてくるのだから…

視覚障害の方は、白杖で地面を叩きながら、

黄色い視覚障害者用の線上を歩いている。

決められたところを歩いている。

その線上を前から大きな足音とともに、

ダダだーっと走ってくる

見えない物体が近づいてくるのだから、

恐怖におののいて当たり前。

とても怖かったろうと思う。

バリアフリーとは、身体障害者の方向けに、

物理的障壁を取り除くことだけではないはず。

精神的障壁をも取り除くことが大切。

何も「特別扱い」するのではなく、

それぞれに自分のできることをするだけのこと。

それは、障害の有る無しに関わらず…

その振る舞いこそがマナーであり、

その不文律こそが文化なのだと思う。

昔の日本にも、そんな不文律があった。

『PHP』12月号に「江戸しぐさ」が紹介されている。

「傘かしげ」、「肩引き」、「こぶし腰浮かせ」など、

現在においても、相手の存在を認める

「しぐさ」として十二分に通用する。

「江戸しぐさ」の「しぐさ」は「思草」と書くという。

思慮の「思」に、行動をしめす「草」。

すなわち、知識と行動が合わさった姿のこと。

これこそまさに、「心のバリアフリー」

昨日の走っていた人に、「走るな!」とは言えない。

走るにはその人なりの理由があっただろうから。

でも、視覚障害の方が見えた途端、

走るのを止めて、何事もなくスルリと、

通り抜けていたら、「素敵だぁ!」と思えたのに…

残念!! (>_<)

昔、自分の大切な人が、

覚えたてのリフレクソロジーの手技を生かして、

知り合いの先生がいる病院で

ボランティアをしていたことがある。

忙しい時も、体調のあまり良くない時も、

毎週出向いてはボランティア。

入院する高齢者だけでなく、医療スタッフにも。

正直、「どうしてそこまでするの?」

と思うこともあったが、

「こんな風によろこんでもらえたよ!」と、

うれしそうに話す笑顔を見ていると、

こちらまで心が温かくなってきた。

そうしたことがさりげなくできるのは、

「心のゆとり」があればこそ!

とても素敵なことだと思う。

その時あらためて感じた。

心が人を動かすのだ!と。

よろこぶ顔を見たい!という心が。

その心が自分の心に伝染して、

自分を動かす力になっている。

人の気持ちは伝染する。

良いことも、良くないことも。

だったら、良くない気持ちをまき散らすより、

良い気持ちを伝染させる方がイイ!

自分ひとりの力はとても弱くても、

昨日あった出来事を伝えることくらいはできる。

そして、「こうしてみてはどうだろう!」

と伝えることもできる。

素敵な心を伝染することで、

「心のバリアフリー」につながり、

素敵な振る舞いをする人が増えるはず!!

昨日はそんな、

「変わらなければいけないこと」

「変わってはいけないこと」

を教えてくれたような気がした。(^-^)

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ただ、なんとなく…

昨日の午前は、久しぶりに

ゆっくりと過ごす時間があったものの、

それでも、前日の夜遅くまで

勢いにまかせて?仕事をしていた余波で、

朝から何かと雑務を片付けていた。

調子良く次々に片付けていくと、

だんだん心が穏やかになっていって、

予定のある午後からは、

まるで「風に身をまかせて」

動いているような感覚。

肩の力が抜けて、

予定がまさしく予定通りに運ぶ。

たぶんに前日の疲れの影響が、

昨日の午後になって出てきた

のかもしれないけれど、

「疲れて何もできない」というのではなく、

フルマラソンを全力で走ったあとに、

ゴールで立ち止まらず、

そのまますこし走るような感覚?

時間の流れがいつもと違って、

すこしゆっくり感じた昨日。

そんな、「ただ、なんとなく」

流れる時間の中で、流れに身を任せて

過ごす時間もいい。

忙しい午後の時間を過ごしながらも、

雨に濡れた木々をみながら、

秋の深まりを感じた昨日。

急流(激流?)の間にある、

緩やかな流れは、

心をとても穏やかにさせる。(^-^)

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あたりまえの日常の中に…

「すると、ある日突然、

 雨が生ぬるく匂い始めた。」

森下典子さんの『日々是好日』

(新潮文庫)のまえがきの一節。

本の表紙に「薄茶」の写真があり、

サブタイトルにー「お茶」が教えてくれた

15のしあわせーとも書いてあり、

体調の芳しくなかった1週間前は、

ただ単なる「茶道」の本とばかり思い、

その時は買わずにもとあった場所に返す。

昨日、あらためて手に取って読むと、

ただ単なる「茶道」の本ではないことが

たちどころにわかった!

文庫本の解説に、噺家の柳家小三治さんが

書いておられるように、『日々是好日』は

書店の茶道のコーナーに並ぶべき本ではない。

解説の中で小三治さんはこう叫ぶ。

 違うんだよ。ここにあるべき

 本じゃないんだよこの本は。

 副題にー「お茶」が教えてくれた

 15のしあわせーとはあるけれど、

 これはお茶の本じゃないんだよ。

 いや、お茶の本ではあるけれど

 違うんだよ。

 (中略)

 生きて行く楽しみ…

 日本国民全体の副読本、

 いやあ、なんだか外れていくなあ。

 だからそういう本なんだよ。

その気持ちよくわかります!!

解説を読んで小三治さんに共感。

冒頭の一節にあるように、

森下さんにとって「お茶」は、

あたりまえのことが五感を通して

強く感じられるきっかけになったもの、

自分の成長を折々に発見していくことを

実感させてくれるものであるという。

まさに、この本は、「お茶」を

通して感じる「生きる」ことのエッセイ。

昨日の診療の行き帰りに

ほとんど読み進めていたが、

午後は大学に直行して、

残りを読み進める暇なく、

大学をあとにしようとした時には、

すでに日付が変わっていた。

帰り着いて、1日の疲れとともに、

最近、睡眠時間を削っていたせいか

眠気もあったが、

最後まで読み進めたい衝動が

勝ったのか?一気に読了して

眠りについた。

この本を自分を育んでくれた

大切な人にも読んでもらいたい!

読了直後にそう感じる。

何も、「この本を読んで勉強しなさい」

みたいな気持ちではなく、

(そんなこと、おこがましくて

 おくびにも出しませんが…)

「あなたが言ってくれてたのは、

こういうことですよね!」

というのを確かめるために…

昔、学会でパリに行った際、

オルセー美術館のモネの絵の前で、

動けないくらいの感動に包まれた。

初めて見る絵でもなく、

オルセー美術館で3度目の

出逢いであったにもかかわらず…

自分の中に起こる「今までと違う何か」

を強く感じた。

帰国してすぐ、その大切な人に報告。

すぐさまこんな返事が返ってきた。

 何か違う自分や言葉では表現できない何か。

 今までと違う感覚を満喫してください。

 モネの絵を見て感じた、

 言葉で表現できないという感覚を。

 その感覚を慌てず、ゆっくり確実に

 自分のものにしてください。

 これから自分以外の人間との

 関わり方が違ってくると思います。

 今、大切なのは、慌てない事と

 その感覚を反芻して味わう事、

 そして忘れない事です。

この返事に、モネの絵の前で感じた

感動とはちがう感動を強く覚えた。

それまでは、「理性」というよりは、

「理屈」と言った方がいいかな?

「理詰め」で生きてきた自分。

大切な人が、「感性」という種を

自分の中に蒔いてくれた。

そして、その成長を見守り、

育んでくれた。

自分の「感性」の成長を

自分自身が気づいた瞬間、

えも言われぬ感動で包まれた。

自然の機微に寄り添うように

なったのもその頃から。

「あたりまえのこと」が、

「あたりまえ」に思えなく感じる。

移ろいゆく季節の変化も、

とても素晴らしいと感じる。

まさしく、「生きてる!」

『日々是好日』の本が、

あらためてそのことを

優しく気づかせてくれた。

今朝起きて、雨が降っていても

「日々是好日」

そう感じるのが、

自分の「感性」だから! (^-^)

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あすなろ?それとも、ヒノキ?

「なかなか仕事が片付かない!!」

一所懸命頑張ってはいても、

やるべきことがたまる一方で、

なかなか片付かない… ( ̄○ ̄;)!

その理由として、

「自分の仕事のスピードが遅い…」

ということが最大の理由だとは思うが、

同時に、「やるべきことが多い…」

ということも理由の1つかな? 

自己弁護かもしれないけど… (゚ー゚;

でも…

「片付かない!!」

と感じる理由が他にもあるんじゃないかな?

そう感じた昨日、自分の行動を振り返る。

すると… Σ( ゜Д゜)ハッ!!!

「いつかやろう…」と思っているだけで、

着手していない仕事までも片付かない!!

と気持ちばかりが焦ることも

その理由の1つかもしれない!

まるで、「あすなろ」の名前の由来とされている

「明日はヒノキになろう!」と思うばかりで、

「ヒノキ」になれず思い悩んでいるような…

「また今度やろう…」とか

「そのうちやろう…」って

思っていることは、たいていできない。

「やらなきゃいけない!」ことが

次々やってくるから。

だから、そうしたことが「棚上げ」されて、

気ばかりが焦る…

片付けるためには、とにかく

やらなきゃ片付かない!

自分だけだろうけど、

「また今度やろう…」って思っていることは、

実はすることが億劫になっているだけで、

やってみれば「なんてことはない!」

ということもある。

ただ単に、「今しなくても…」

と言い訳してるだけ。

なのに、「片付かない!!」と焦る。

そんな自己矛盾を反省 Σ( ̄ロ ̄lll)

そう感じて、さっそくやってみる。

やっぱり…

「な〜んだ、できるじゃないかぁ!」

「なんだかんだ」と言い訳せず、

すぐにやっていれば焦ることもなかったなぁ…

「明日はヒノキになろう」とばかり思っても

いつまで経っても「ヒノキ」にはなれない。

「あすなろ」は「あすなろ」だから…

でも、どうして「ヒノキ」になろうと思うのかな?

「ヒノキ」の方がイイから?

「あすなろ」は「あすなろ」のイイところがある。

ヒノキチオールという殺菌力の強い精油成分は

「あすなろ」から採れる。

「ヒノキ」は「ヒノキ」のイイところがある。

日本にある歴史的木造建築物の多くは、

ヒノキを使っているからこそ、

現存しているとも言われている。

でも、「火の木」が名前の由来とされる

「ヒノキ」は火がつきやすい…

どんなものにも、長所と短所が必ずある!!

だったら、「明日はヒノキになろう」

とばかり考えて、「ヒノキ」になれずに

焦ったりしないで、立派な「あすなろ」に

なるにはどうしたらイイのかな?

と考えてみたり、

「あすなろ」の自分を好きになる方が

すこしは気持ちが楽になるんじゃないかな?

それが、「自分を変える」ことであり、

「自分を変える」力にもなる!

「あすなろ」は「あすなろ」として、

「ヒノキ」は「ヒノキ」として、

それぞれ立派に成長する姿を

日々思い浮かべながら… o(*^▽^*)o

そのためには、「あすなろ」として

「やるべきこと」をやってみる!

あれこれ考えずに、とにかくやってみる!!

そうすることで、やってもいないことを

「やらなきゃいけない」と焦る気持ちが

とても軽くなってきた。(^-^)

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プロとして打ち込む

「プロになるということ」

昨日(11月13日)の日経新聞夕刊のコラム

『あすへの話題』で福岡伸一さんが述べたこと。

「打ち込む」

『PHP』12月号の裏表紙のコラム。

昨日の夜、この2つがカチッとつながった!

福岡伸一氏は分子生物学という分野の

研究者としてのプロフェッショナルである。

そのプロフェッショナルが、

「プロになるということ」についてこう述べる。

 与えられた手続きを行って、

 予想した結果が得られるのは

 当たり前である。

 当たり前のことが起こらないとき、

 どこに問題があるのか。

 その所在を突き止める能力を

 身につけることこそが

 プロになるということなんだよと。

日々、暮らしているなかで、

サラリーをもらう仕事に就いているから、

ある意味「プロ」であると言える。

でも、本当の「プロ」とは…

あるいは、「プロ」が「プロ」であるとは…

この仕事をしたから「プロ」?

この資格をもっているから「プロ」?

そうじゃないよね!

まさしく、問題にぶち当たった時、

それをいかに解決するか?

さらには、問題を問題と認識するか?

そういったことを考えながら、

仕事のクオリティーを上げることこそ、

「プロ」であるとも言える。

「プロ」は何も特別なことをしていない。

すべて日常にある出来事の中で、

自分に与えられた仕事にどう取り組むか?

それが「プロ」だと思う。

だから、人はすべて「生きる」という

仕事を担った「プロ」なんだよね。

じゃあ、「プロ」が「プロ」であるとは?

『PHP』12月号裏表紙のコラムにこうある。

 お互いの日常は、そこまで究極の世界に

 生きている訳ではないけれど、

 仕事でも趣味でもいい、

 やはり一つのことを極めようと

 心に決めて打ち込みたい。

 何事もそうして徹底的に

 取り組んではじめて、

 奥深さや面白みが感じられてくる。

 それは技術の向上や、

 精神の錬磨がなされるだけはない。

 全力を尽くしたあとの充実感とともに、

 さらなる高みをめざす意欲も湧いてきて、

 毎日の生活に張り合いが生まれてくる。

まさしく、「打ち込む」。

何に「打ち込む」のかは、人によって違う。

でも、「打ち込む」ということで

生きる上での張り合いを持たせ、

「打ち込んだ」結果の満足感で

人は幸せな気分になれる。

「打ち込む」には万全の体調で

臨むにこしたことはない。

当然、体調を整えることも

「プロ」としての資質だけど…

病み上がりでいきなり、月曜から水曜まで

フルスロットルで「打ち込んだ」。

その瞬間瞬間はとても張り合いがある。

とはいえ、人の体は「生もの」。

自分自身に「大丈夫!」と言い聞かせながらも、

睡眠時間を削ってしまっては、さすがに…

だから、昨日はなんとか早く切り上げて、

体を休めることにした。

何もせず、ただ体を休めるだけ。

「何もしない」ということに

「罪悪感」を抱かず、ただ体を休める。

そうすることで、「打ち込んだ」後の

充実感を味わうこともできる。

昨日の夜は疲れだけでなく、

充実感も感じながら眠りについた。(^-^)

上述の『PHP』のコラムはこう締めくくっている。

 “我ながらよくやったな”と、

 自分で自分の頭を撫でてやりたいと

 いうほどの思いを味わいつつ

 日々の眠りにつくことができれば、

 これに過ぎる幸せはあるまい。

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人に見られることの大切さ

昨日の夜、録画していた

「プロフェッショナル 仕事の流儀」

を1日遅れで見た。

まさしく、3人のプロフェッショナルから

珠玉の言葉が次々と出てくる。

そのなかで、「人に見られることの大切さ」

について語られているような気がした。

映画監督の宮崎駿さんは、

若いクリエーターが世の中で認められるには、

「(若い頃は)つまらない仕事で人に認められること」

と話す。さらに、

「(誰かが)見ててくれないはずはない!」とも。

落語家の柳家小三治さんは、

落語による笑いについて、

「無理やり笑わすぞってしないこと。

 自分にも飽きがくる。

 聞いてる方も飽きがくる。」と話す。

競泳コーチの平井伯昌さんは、

もうこのあたりが限界だ!

と思わせないためには、

「良い結果が出たときに反省させることが必要」

と話す。そして、

「悪い結果が出たときというのは誰でも反省する。

 良い結果が出たときの理由を分かっておかないと、

 悪くなったときになかなか戻せない。

 だから、良かった時に反省をして、

 100%じゃなかったはずだと思わせておくと、

 自分の限界って感じなくなる部分もあるかなと思う。」

とも話す。

3人のプロフェッショナルの言葉に触れて、

人との関わり方が、自分を高める要素に変えていく

ヒントを与えてくれる。

「人にどう見せるか」

「人にどう見られているか」

こうした意識を持つことが、

自分を映し出す鏡になる。

そして、映し出された自分の姿を見て、

さらに、どう振る舞うか?というのを

考えることがその先につながっていく。

昔、懸命に頑張っていても、

「誰も認めてくれない…」と思うことがあった。

そんな時、大切な人が自分に語ってくれた。

「自分が認めてもらいたい人に認めてもらえればイイ。

 その人は必ず見てるから!」

具体的な行動として、

その人から認められることが

大きなよろこびとなるが、

いつもいつもそうあるわけではない。

そんな時は、

「その人だったらどう見てくれるだろう…」

みたいに、自分の姿を映し出すことが大切かな?

人は人とつながりながら生きている。

たとえ、直接言葉をかけられるのではなくても、

その人との間には言葉が常に存在している。

「自分は一人じゃないよ!」

「いつもそばで見てるから!」という言葉が…

さぁ!今日はどんな風に映るかな?

自分の中にある、その人が語る言葉に

耳を傾けてみよぉ〜っと!! (^-^)

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蛙の子は蛙だけど…!?

「蛙(かえる)の子は蛙」

何事も子は親に似るものだということ

のたとえによく使われる言葉。

あらためて、この言葉の意味を

持ち出すまでもなく、身を持って

理解している言葉の1つかな?

良きにつけ、悪しきにつけ… (^-^;

科学的には「遺伝子」という表現形で、

そのことを現していることこそ、

言わずもがなの事である。

なかでも、「体質」というのは、

「遺伝子」の影響を受けやすい。

「肥満関連遺伝子」と呼ばれる遺伝子があり、

その遺伝子の型が標準と異なると、

基礎代謝と呼ばれる

「安静状態で消費されるエネルギー」が

低下して、エネルギーが貯えやすくなる

ことが知られている。

いわゆる、「太りやすく、やせにくい」

体質のもとになるといわれている遺伝子。

その1つが「β3アドレナリン受容体遺伝子」

この遺伝子の型が異なるものを持つ日本人は、

約30%強あると報告されていて、

日本人の3人に1人はその遺伝子の型を持つ。

「じゃあ、私がやせないのは遺伝子のせい?」

言い訳が聞こえてきそうですね… (^-^;

「でも!そうとばかりは言えませんよ!!」

という研究結果が最近報告された。

米国の医学誌『Metabolism』(メタボリズム)

2008年11月号に掲載された、

東北大学の栗山進一先生らの研究で、

「β3アドレナリン受容体遺伝子」

の遺伝子の型が異なっても、

同じようにやせられる!というもの。

こういう結果が報告されると、

安易に言い訳できなくなりますよね!?

「やせないのは遺伝だから…」って!

他のいろいろな研究でも、遺伝子の型と

病気との関連が指摘されているが、

その遺伝子の型を持っているからといって、

100%そうなる!ということはない!!

100%そうならない!ということもない!!

やはり、遺伝要因はとても重要な因子だけど、

大切なことは、どう生きていくかどうか。

どこかで、その遺伝子のスイッチが入ると、

その遺伝子の影響を強く受け、

場合によっては病気にもなる。

だから、いかにその遺伝子のスイッチを

入れないようにするかがポイント!!

誰も先のことはわからない。

でも、わからないからといって

好き放題というのもどうだろう…

不安にばかり思うのもどうだろう…

だからこそ、先のことを知りたいと思う。

「占い」もそんな人の「知りたい」という

思いの現れじゃないかな?と思う。

でもね、「占い」がこうだから、

必ずこうなる!というわけでもない。

「占い」で良いことを言われた時は、

そう信じて前に進む。

良くないことを言われた時は、

そのことに注意しながら前に進む。

場合によってはあきらめることもあるけど…

大切なのは、「お告げ?」にどう対処するか!

「設計図ではこうだけど、どう生かすか?」

まるでそんなことを試されているような気がする。

どうせなら、楽しく生きたいよね!

でも、その「楽しく」は「楽(らく)に」

というだけじゃないのが、

ますます試されてるなぁ〜と感じる。(^-^)

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おりゃぁー!!

「おりゃぁー!!」

何も武道をするというのではなく、

気合いを入れる時の言葉。

一昨日、全くと言っていいほど

何もせず横になっていた1日から、

昨日のように、フル・スロットルで

仕事をしなければならないモードの

スイッチを入れるには、

気合いが必要!だから、

「おりゃぁー!!」と叫んでみる。

当然!?柔道の試合に臨む訳ではないので、

大きな声で叫んだ訳ではないけど… (^-^;

たとえ小声でも、「おりゃぁー!!」

さらに、表情も大切。

決していかめしい表情じゃなく、

すこし笑顔で、「おりゃぁー!!」 (^-^)

すると、不思議なことに「やろう!」

というモードに入ってくる。

「おりゃぁー!!」という言葉が、

「これから始めるぞぉー!」という

気持ちを確認させるスターターのような

役割を果たしているような気がする。

「よーい、どん!」に、

気合いをプラスしたような… (^-^)

人は時として、その場から逃げたくなるような

気持ちになることがある。

たしかに、「逃げるが勝ち!」

の言葉があるように、

すべてのことに対して、

向こう見ずな行動になることが

賢明でないこともある。

ふりかかる火の粉を避けるためには、

逃げることも時には必要。

でもね、その逆に、

逃げることが問題解決につながること

とは言えない!ということもある。

むしろ、逃げることで問題を先送りし、

結果、問題を複雑にさせることだってある。

ほとんどの場合、逃げて問題が解決する

コトなんて少ないんじゃないかな?

だって、自分は「自分という存在」から

逃げることができないのだから…

だったら、時にはなだめすかして、

時には叱咤激励しながらも、

逃げることなく、自分と付き合っていく。

そして、自分に言い訳することなく、

「えい、やぁー!」とやってしまった方がイイ。

自分の場合、さらに気合いが必要な時に、

「おりゃぁー!!」になる。

気持ちのレベルでいうと、

「えい、やぁー!」が比較級なら、

「おりゃぁー!!」は最上級みたいな…? (^-^;

茂木健一郎さんは、

「生きるとは暗闇への跳躍である」と話す。

誰だって、暗闇に向かって跳躍する時には、

不安がある。どうなるかわからないんだから…

でもね、「どうなるんだろう…」と

不安にばかり思っていて、

跳躍せずにいても、

問題解決にはつながらないよね!

時には、「やる気」、「勇気」を

振り絞ることが必要。

当然、いつだって「やる気」、「勇気」

という訳にはいかない。

大切なのは、「今その時」かどうか

しっかりと見極めること!

跳躍すべき時なのに、逃げていては

何も始まらない。

今は、逃げる時?

それとも、逃げてはいけない時?

その見極めがとても大切!

ただ闇雲に跳躍するというのではなく、

わずかな手がかりをしっかりとつかんで、

準備を整えてから跳躍することが必要。

そして、最後に「勇気」を振り絞る。

その「勇気」と「やる気」を

奮い立たせるために、自分は

「おりゃぁー!!」と叫んでみる (^-^)

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肩の力を抜いてみる

昨日は予定をすべてキャンセルして、

ほぼ1日横になって体を休めていた。

「体が言うことをきかない」って

こんなことを言うのだろうか?

こんなに休んだのは、

昨年の8月に「夏風邪」をひき、

40℃の高熱で休んで以来。(゚ー゚;

昨日の朝、ブログを書いてから、

仕事に取りかかっていたが、

どうもおかしい…

全く調子が乗らない。(>_<)

いつもなら、それでも何とかできるのに、

昨日だけは、何ともならない…

すこし考えて、結局休むことにした。

朝起きたのに、再び寝床へ逆戻り。

部屋を暗くして、横になっていたら、

知らないうちに深い眠りについていた。

とても不思議なくらい…

眠っている間、何かはよくわからないけど、

やわらかでやさしい感覚に、

包まれていたような気がする。

ふわふわと浮いているような感じもあった。

「休んでいられない!」

「やらなきゃいけないことがある!」

という気持ちがたしかにあった。

でも、昨日はそうした気持ちにすら

抗うことなく、体を休めていた。

今年、ぶっ倒れた時ですら、

点滴を受けてしのいで仕事してたけど、

昨日ばかりは、ホントに何もせず、

ただただ体を休めていただけ…

こうなる前に、もうすこし「体の声」を

聞いておくべきだったかな… ( ̄ー ̄)

休んでみて、体が「ほっ」と言っているよう…

「体がホントに全く言うことがきかない!」

となる前に、肩の力を抜いて、

休んでみることの大切さをあらためて感じた。

昨日1日休んだおかげで、

今日は何とかなりそうな気がする。

o(*^▽^*)o

肩の力も抜けて、結構イイ感じかも!

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いかに生きるかというヒント

「負けた」という経験が、

自分の意見を大きく変え、

他人の意見に寛容になる。

そして、人を大きく育てる。

すべては、「負けた」という

経験が人を大きく育てる原点となる。

昨日の夜、ふとそう感じた。

そう思えるようなヒントに出逢えたから。

2004年8月の民主党大会で

雄弁に語るバラク・オバマ氏の演説。

2004年8月当時、バラク・オバマ氏は

イリノイ州で選出される

民主党の上院議員候補ではあったが、

党大会での基調講演はあくまで、

当時の大統領候補であった

ジョン・ケリー氏の応援演説。

ところが、あらためて動画で見てみると、

自身が次期大統領として選出された

勝利宣言の演説と何ら変わることがない。

4年経っていても、ぶれることなく、

熱く語っていた。それが強く心に響いた。

そして、ここに、「いかに生きるか」

というヒントがあるような気がした。

たとえ、党大会の基調講演に起用された背景に

黒人やマイノリティーの支持を取り付けよう

とする思惑があったとしても、

偶然の機会(Chance)を

必然の機会(Opportunity)ととらえ、

いかにその機会を生かすかということ。

そんな人生における「天からのお試し」に

オバマ氏は勝利したからこそ、

先日の勝利宣言につながったのだと感じた。

その勝利はおそらく、

「自分は黒人である」という、いわゆる

「負けた」経験がその原動力になっている

気がしてならない。

だからこそ、勝利宣言での、

「若い人も年老いた人も、

金持ちも貧しい人も、

民主党支持者も共和党支持者も、

黒人も白人も、

ヒスパニックもアジア人も…」

と語ったことに、

人々の心が大きく動かされた。

「負けた」という経験で、

「ルサンチマン」に走ることなく、

自分の意見を大きく変えて、

「負けた」経験を自身の糧にしてこそ、

人は強くなれるのだと思った。

何が、「負けた」という経験になるかは、

人によって違うとは思うけど、

「負けた」経験を、「失敗」と

とらえるのではなく、あくまで

「負けた」ととらえることが大切かな?

そして、「負けた」経験をいかに

自分の糧とするかが、まさしく

天が与える「お試し」なのかな?

「じゃあ、あなたも負けたの?」と聞かれると、

自分は間違いなく、笑顔でこう答える。

「はい、負けました!しかも、徹底的に!!」

「負けた」と認めることから、

何かが始まるきっかけとなる。

「負けた」ことを認めるのは、

とてもとても辛いことだけど…

昨日の夜、疲れのせいか?

「すこし風邪気味だな…」と感じ、

温かい飲み物を飲みながら、

「心まで風邪ひいちゃダメダメ!」と

ばかりにネットで見たオバマ氏の演説。

とても熱い演説に、心が熱くなった夜。

心を温めるには、

温かい言葉や音楽に触れること。

心を熱くするには、

熱い言葉や熱い音楽に触れること。

身体も心もおなじかな? (^-^)

おかげですこし元気を取り戻せたよっ!

(o^-^o)

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学びて時にこれを習う

「自然の美しさを見抜く

センサーを身につけるには?」

と題された養老孟司先生のエッセイ。

(JAL機内誌『SKYWARD』11月号)

 満開の桜がきれい、くらいの感覚なら

 都会育ちの人でももっているが、

 無意識のうちに自然の複雑なルールを

 解く脳の働きまではどうか。

 都市型の人間は意識中心に生きている。

 意識の世界は案外単純で乱暴である。

 (中略)

 複雑な秩序を見抜く複雑なセンサーを

 育てるには、本来盛んに外遊びをする

 小学校低学年くらいまでが臨海期

 (環境に応じて脳の神経回路が

 つくられる時期)ではないかと思う。

 子供時代に自然にたっぷり触れる

 時間をもてたか否かで、大人に

 なってからの感覚が分かれるだろう。

たしかに、大人になってからセンサーを

身につけるのは難しいかもしれない…

でも、さらに大切なことは、大人になって

そのセンサーをどう維持して、

どう生かしていくか?ということ。

それは、折にふれて、

自然にどっぷり浸かってみることが

必要だとあらためて思う。

そうすることによって、

「自然の美しさを意識する」のではなくて、

「無意識に自然の美しさを肌で感じる」

ことができるように思う。

せっかく、子供の頃に身につけたセンサーも

大人になって使い、磨き続けなければ、

その機能は衰えていくのだから… (>_<)

不意に、『論語』の冒頭

「学びて時にこれを習う

 亦た説ばしからずや」

という一節が頭に浮かぶ。

「学んでは適当な時期におさらいする、

いかにも心嬉しいことだね。」

自然に触れて感じるセンサーも同じ。

大人になって、折にふれて自然に

触れるからこそ、そのセンサーが磨かれ、

その都度感じるものが違い、

その都度新たな感動がある。

そして、『論語』に照らし合わせてみると、

自然に触れることも立派な「学び」なのだと。

さらに思う。

「学びて時にこれを習う」ことの大切さを。

実際、『論語』のこの一節ですら、

「おさらい」してはじめて、

学校で習った頃とは違う、

その意味の大切さを感じるのだから…

「学問」だけが「学び」ではない。

「人生」そのものが「学び」であると思う。

だからこそ、「豊かな人生」は、

「豊かな学び」によって育まれるのだろう。

そして、その「豊かな学び」とは、

新たな知識を得ることだけでなく、

学んだことを、「折にふれておさらいする」

ことも大切なことだ!と。

あらためて思う。本を再読することも、

とても重要な「学び」の1つだなぁと。

そして、その都度「違う!」と感じて、

自らの新たな発見を目の当たりにする。

それはまさしく、「心嬉しいこと」 (^-^)

とても短い時間であったが、

北の大地での「学び」は、

「今ここ」にいる自分にとって、

とても「大切な何か」を「おさらい」

させてくれたような気がした。

そう感じて、とても心嬉しい朝 o(*^▽^*)o

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熱く、熱く、暑く?

「変革の時が到来した」

と、オバマ次期大統領が「熱く」

勝利宣言した5日から一夜明けた昨日、

来年1月20日(就任式)までの政権移譲の準備や、

アメリカの抱える問題の解決に向けた対応など、

冷静なニュースへと変わっていった。

昨年の今頃、自分はワシントンにいた。

学会の後、スミソニアン博物館と

ナショナルギャラリーを観るために。

早朝から夕方まで、ワシントンのモールを歩き、

美術館、博物館巡りを満喫した。

その時にあらためて、アメリカの

「ふところの大きさ」を実感する。

それは、すべて入場無料で公開されている

ということが物語っている。

現在、経済問題を筆頭に、

危機的状況にあるアメリカ。

オバマ次期大統領が、

「ふところの大きい」アメリカを維持しつつ、

いかに「変革」していくのか?

そのプロセスを見守っていきたい。

ところで、「オバマ圧勝!」一色だった昨日、

とても「熱い」ニュースが

プレスリリースされていた。

それは…

「ES細胞から、大脳の組織を作り出すことに、

理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの

笹井芳樹氏らが世界で初めて成功した」というもの。

昨年の11月、「ヒトiPS細胞の作製に成功」という

ニュースから1年、iPS細胞があれば、

胚を使うES細胞研究はいらないんじゃない?と

思われている節もあるが、話は全く逆!!

ES細胞研究がないと、iPS細胞による

再生医療の研究が進まない。

それは、ES細胞でできないことは、

iPS細胞でも決してできないからである。

ES細胞研究を含めた、「再生医療研究」の

もう1つの大きな役割は、

病気のメカニズムの解明や、

新規治療薬の開発である。

「えっ?」と思われる方もおられるかもしれない。

「iPS細胞で組織を再生すればイイじゃん!」

たしかに、究極の目標はその通りだけれど、

そんなに簡単なものではなく、

実現するには10年以上の歳月を要する。

それに、すべてが再生医療で治療可能か?

というとそういう訳でもない。

そのため、再生医療研究で組織を作り出し、

その組織を用いて病気の研究を進めれば、

動物実験よりも正確にいろいろなことがわかり、

薬の効果もより正確に把握できる!

今回のニュースは、その足がかりになる

とても重要な成果である!!

だから、とても「熱い」ニュース。

さて、昨日の北海道・札幌。

朝は「寒い!」と覚悟していたが、

秋晴れの日中、上着を着て歩いていると、

「暑い?」と感じるほど… (^-^;

秋晴れの天気に恵まれ、

すこしの時間を利用して散歩に出かけ、

綺麗な紅葉を見ることもできた。

20081106131406

さらに、北海道庁のレンガ庁舎も

陽気に包まれ、入り口にある紅葉も

明るい陽射しに映えていた。

20081106132208

20081106132327

「でも、ホントに暑かったの?」

と聞かれそうですよね…

だって、2日前は雪が降っていたんですから!

そんな方のために、次の写真をどうぞ。(^-^)

20081106152942_2

すこし見えにくいかもしれませんが、

電光掲示板の気温は「19.4℃」と示しています。

ほら!「暑い」でしょ? (o^-^o)

とても有意義で充実した1日を過ごした昨日。

今日帰れば、明日からはいつもの日常。

それでも、心はさらに「熱く」なって、

昨日までとは違った感覚で

生きていけそうです!! o(*^▽^*)o

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CHANGE, YES WE CAN!

「寒い!」(≧m≦)

夜10時過ぎに新千歳空港に到着して、

搭乗橋に一歩足を踏み出した瞬間、

わずかな隙間から流れ込む

冷たい空気を感じた。

「今、北海道にいます!」 (o^-^o)

今朝から始まる、

とある研究会に参加するため、

昨日の夕方、外来を終えて

「アトはよろしく!」とばかりに、

空港へと急ぐ。

スムーズに空港まで移動できたおかげで、

JALの最終便の出発時刻まで十分な時間。

「ブログのコメント返信ができる!」とばかりに、

MacBook Airを立ち上げて、ネットにつなぐ。

(いつもコメントありがとうございます!!)

さらに、何も食べてないこともあり、

「空弁」ならぬ、「空おにぎり?」を買って

とりあえず小腹を満たす。( ̄ー ̄)ニヤリ

そして、無事に予定の飛行機に乗り込んだ。

離陸してしばらくすると、

シートベルトサインが消灯し、

夜7時のNHKニュースが放映される。

「オバマ圧勝!」

予想はされていたものの、

大統領を指名する選挙人の数が

ダブルスコアとなる大差!

「自由」の国アメリカにあって、

危機的な金融不安に直面し、

閉塞感に満ちた「不自由」を嫌気した

アメリカ国民が選んだニューリーダーは、

47歳のバラク・オバマ次期大統領。

「CHANGE(変革)」をスローガンに、

国民全体でアメリカを変えることができる!と

高らかに宣言した「YES WE CAN」

の合い言葉が、

新たなアメリカの未来を予感させた。

「YES WE CAN」に象徴されるように、

まず「できる!と信じる」ことが大切。

人はポジティブなものに心が向かう。

たとえ「痛み」を伴っても、

先には明るい何かがあると信じるから、

辛いことにも耐える力がわいてくる。

そして、一歩一歩確実に歩み続けること。

そうしてはじめて、「CHANGE(変革)」

を実感できるようになる。

超大国のニューリーダーのニュースに接し、

「今ここ」にいる自分に置き換えて想う。

自分の「CHANGE(変革)」を実感するために、

着実に自分の成すべきことを成す!

そうすることで、「自分の理想とする自分」に

出逢えることができるから…

「そう信じること」がとても大切!!

北の大地の空気に触れて、

あらためて身の引き締まる思いがした。

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足るを知る

某有名音楽プロデューサーの逮捕。

昨日、このニュースが各紙の1面に…

一世を風靡した人だけに、

このニュースに接した多くの人が

衝撃を受けたに違いない…

このニュースについて、

「どうの、こうの」と言うつもりはないし、

自分が言う立場にもない。

でも…「人の振り見て我が振り直せ」

この出来事が、

「大切な何か」を教えてくれた

ということだけはわかる。

それは…

「足るを知る」ということ。

「足るを知る」は、老子の

『知人者智 自知者明 勝人有力

 自勝者強 知足者富』

(人を知る者は智、自ら知る者は明なり。

 人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。

 足るを知る者は富む。)

にある言葉。

ちなみに、「足るを知る者は富む」の

「富む」は、経済的に富むというよりも、

心が豊かになるという意味であると

自分は解釈している。

人が生きる上で、

「足るを知る」ことの大切さ、

「足るを知る」ことによって得られる

心の豊かさというものを

教えてくれているような気がする。

じゃあ、「足るを知る」にはどうすればイイ?

う〜ん… それはね、

「足らざるを知る」ことじゃないかな?

これは、「学然後知不足」

(学びてしかる後に足らざるを知る)

と説く『礼記』の一節。

「学ぶことで初めて、自分が知らない!とわかる」

ということ。

やはり、学び続けること。

さらに、問い続けること。

そして、求め続けること。

そうすることで初めて「知らない!」

とわかり、「知ろう!」とするのだから…

「足るを知る」ということは、

「あれも、これも、と欲張らない」

ことだとは思うけれど、それは決して

「まぁ、これでイイか…」とあきらめる

ことでもないと思う。

自分の能力を評価し、

自分を認め、信じること。

それは、自分の能力を

過信することでも、卑下することでもない。

その一方で、現在の自分に

満足することなく、

「より良い自分」を目指して、

成長する余地を探し、

成長する努力をし続けること。

それこそまさに、

「足るを知る」、「足らざるを知る」

ということになるのだと思う!

これは、誰かに向かって

言っているのではありません!

一番できていない、他ならぬ

自分に向けて言っているのです!!

おーい、自分よ!

心して聴いているか???

こうしたことを感じ、行うために、

大切な人が、「感性」の大切さを

教えてくれたじゃないか!!

「栄光」と「挫折」

「よろこび」と「かなしみ」

「笑顔」と「涙」

相反するこの2つは、

いつも隣り合わせにある。

11月3日の日経新聞のコラム「春秋」に、

ご存命なら80歳の誕生日を迎えた

手塚治虫さんについてこうある。

 そんな手塚にも失意の日々があった。

 (中略)

 ここで第一線を退いていたら

 今ほど厚い支持はなかったかもしれない。

 (中略)

 どうすれば未来志向の発想ができるのか

 と聞かれ、手塚は生前、こう答えている。

 「まず暗い想像を全部してしまったら、

  反対の明るい未来のイメージが

  出てくるような気がします。」

「現在(いま)」は、

たとえどんなに苦しくても、

創造的な明るい「未来」は、

それを乗り越えた先にあるのだから!

とても辛くかなしい時は、休んでもイイから、

前に向かって歩み続けようよ!!

「現在(いま)」の「涙」の先にある、

とても素敵な「笑顔」に出逢うために…

乗り越えたら、きっと出逢える!

そう信じているから!! (^-^)

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和洋の文化に触れてみる!

昨日は、「文化の日」

しかも待望の休日!

文字通り、文化に触れる1日にしよう!

とばかりに、朝から美術館巡り (o^-^o)

まず、上野の東京国立博物館へ足を運ぶ。

平成館で開催されている

「大琳派展」を観るために…

Dsc00795

尾形光琳の生誕350周年を記念して

開催された「大琳派展」では、

4つの「風神雷神図屏風」が並ぶ。

たいてい、みどころとなる作品は、

展示の中盤以降に並ぶものだが、

「大琳派展」は違う!

前半のしかも、2つ目の展示ブースで、

俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一の

「風神雷神図屏風」がどぉーだぁ!とばかりに

並んでいる。 まさに圧巻だった!!

特に、宗達と光琳の屏風が

直角に並んでいるために、

真正面で観る人を除いては、

首を右に左に動かしながら、

見比べている人でごった返していた。

宗達の「風神雷神図屏風」は、

以前、京都国立博物館で鑑賞して以来。

その時の感動を思い出す。

とても素敵な思い出とともに…

その後も、宗達や光琳の絵だけでなく、

本阿弥光悦の硯箱や茶碗など、

国宝級の作品がこれでもかぁ!

とばかりに並ぶ。

あらためて、日本文化の素晴らしさに

心動かされたひとときだった。

「和」の文化を堪能した後は、

「洋」の文化!とばかりに、

そのまま国立西洋美術館の

「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」へ。

Dsc00796

デンマークのコペンハーゲンで活躍した

ハンマースホイの描く絵は、

フェルメールのような静謐さを想起させる。

サブタイトルに、「静かなる詩情」

と題されるがごとく、

とても静かに鑑賞できた。

たぶんに、「大琳派展」での混雑に対する

反動かもしれないけれど… (^-^;

静かながら、細かなところまで繊細に

描かれた絵に迫力すら感じる。

ゆっくりと流れる時の中で、

「和」とは異なる「洋」の文化を味わう。

とても充実したひとときだった。

さて、美術館巡りの締めくくりは、

東京ミッドタウンのサントリー美術館

以前、時間の関係で、国立新美術館のみの

鑑賞に終わってしまった

「巨匠ピカソ展」を観るために…

『ピエロに扮するパウロ』

に逢いに行くためにも… o(*^▽^*)o

Dsc00798

「青の時代」を代表する、

ピカソの自画像にはじまり、

あまりにも有名なキュビズムの絵が

並ぶその先には…

ひと際キレイな色づかいで明るく輝く、

すこし“おすまし”したパウロが待っていた。

パウロとの出逢いの記念に、

『ピエロに扮するパウロ』のクリアファイルを

ミュージアムショップで買って帰った。

上野だけでなく、六本木でも、

とても素敵な至福のひとときだった。

そして、美術館巡りから帰れば、

フェルメールの絵の謎を追う番組や、

源氏物語絵巻の謎に迫る番組も!

まさしく、「和」と「洋」の文化を

満喫することのできた休日だった!!

感性を磨くための心のビタミン補給。

こんな1日の過ごし方もイイ!

心が豊かになるような感じって、

こういう感覚もそう言うのかな? (^-^)

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半歩遅れの映画鑑賞

「心の力を信じる!」

その言葉に、心が動く…

昨日、朝から夜まで大学で仕事。

夜、仕事を終えて帰る時、

「たまっていた仕事を片付けた!」

という安堵感もあってか、

すこし疲れをおぼえる。( ̄○ ̄)

「すこし心がとげとげしいかな?」

そう思うときは…

「映画でも観よっと!」

DVDを借りて帰る。( ̄▽ ̄)

映画『クローズド・ノート』

昨年(2007年)9月に公開された映画。

映画そのものよりも、舞台挨拶での

やりとりが有名になってしまった作品…

昨年の公開時に、原作本をすこし立ち読みして

「こんな感じの映画かな?」

と想像した程度で、

どんな映画か十分わからずに、今に至る。

日経新聞の日曜版には、

「半歩遅れの読書術」というコラムがあるが、

差し詰め今の自分は、

「半歩遅れの映画鑑賞」というところかな?

さてと… 帰って早速観てみる。

とてもイイ映画だった! o(*^▽^*)o

レンタル店で、「疲れた心にオススメ!」と

書いてあったラベルに共感!!

万年筆で書かれた、伊吹(竹内結子)の日記。

その中に書かれている言葉が、

香恵(沢尻エリカ)の心を動かす。

そして勇気を与える。

弱いところも、強くあろうとするところも。

映画の中で描かれていた、

リュウ(伊勢谷友介)が万年筆を選ぶ姿に、

今年の4月に万年筆選びをしていた頃の

自分を重ね合わせてしまった…

いろいろ共感するところの多かった映画。

「心の力。一人一人の心が持っている力は、

とても強く、色々なことを可能にする」

「個性を認めて、ほめてあげよう!」

などなど…

日記の最後の1ページ。

 大げさなことかもしれないけど、

 出逢いというのは運命の糸で

 つながれているから、あるんだと思う。

 限りあるめぐり合いの中で出逢うのだから、

 それは奇跡だと言ってもいい…

 ・・・・・・・・・・

 こうやってあなたのことを考えると、

 なんだか暖かい気持ちになれる。

 あなたは、私にとって陽だまりです。

 一見冷たそうで、でも本当は

 心の芯が太陽のように温かい。

 そう思うのはきっと私だけじゃなくて、

 あなたにはそんな魅力があります。

 ・・・・・・・・・・

 私はあなたに出逢えて本当に良かった。

観おわった後、心がとても澄んできて、

心が浄化された気持ちになった。

「半歩遅れの映画鑑賞」もイイもの。(^-^)

今日は待望の休日!

心も浄化されたことだし、

今日は「心のビタミン補給」にでも、

出かけてみようかな! (o^-^o)

ブログに触れていただいているあなたにも

よい休日でありますように… (^-^)

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「日にち薬」というくすり

「日にち薬ってあるんだね」


10月7日に頚髄の腫瘍を摘出する

手術を受けられたK先生は、

順調に回復され、術後2週間で退院、

すぐさま診療に従事しておられる。

(「相手の立場で考えることの難しさ」)


昨日、外来が終わってお話しをした際に、

経過は順調ながら、術後は肩こりがひどく、

それに伴って頭痛もあったが、

今は徐々に肩こりも頭痛も軽くなってきた

とのこと。そして冒頭の言葉。


「日にち薬」

「特に治療しなくても、日が経てば良くなる」

あるいは、「治るには、多少日数がかかる」

という意味で使われる言葉。

特に、骨折などの怪我や術後の回復には

適した言葉かもしれない。


さらに、「日にち薬」は、

体の傷だけでなく、心の傷にも使われることがある。

「どんな悲しみや苦しみでも月日を経ることで、

悲しみや苦しみを乗り越える力を与えてくれる。」

傷を癒すには、「時間」が必要ということ。


「じゃあ、何も治療せず、時間さえ経過すればイイの?」

と聞かれるかもしれない。

う〜ん… そうは言えないと思うよ!

傷を治すための適切な手当をした上で、

「時間」というくすりが必要になるんじゃないかな?

心も体も…

まずは、しっかり傷に対して手当しないとね!

心も体も…


「時間さえ経過すれば忘れるってコト?」

う〜ん… 確かに最初の痛みは

忘れるかもしれないけど、傷は残るよね。

傷あとを見て、痛みを思い出すことも

あるかもしれないけど、強くもなれる!

「日にち薬」は「免疫」みたいなものかな?


傷あとを見て、悲しみを思い出すことも

あるかもしれないけど、

「傷あと」になってるということは、

手当をして乗り越えたっていう証拠!

むしろ、その「傷あと」を時々見ることで、

忘れてしまいそうになる大切なことや、

その傷を負った時の苦しみを乗り越えた!

という証も思い出すきっかけになる。

「日にち薬」が自分を変えていく。


でもね、よく効く「日にち薬」の使い方を

間違っては、とんでもない副作用も…

「日にち薬」は、傷を負った人自身が使う

くすりであって、いくら善かれと思っても、

傷を負って無い人が、傷を負った人に向けて

安易に「日にち薬」と言うと… (>_<)


やっぱり、「薬は用量・用法を守って正しく」

ねっ! (^-^)


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変化のない毎日に、変化を感じて

今日から11月。

去年の今頃の自分なら、

「今年もアト2ヵ月かぁ…」なんて考えて、

すこし焦りの気持ちも出ていたかもしれない。

でも、今年は違う!と実感できる。

「なぜ?」って聞かれても困るけど… (^-^;

考えて「こう!」と言えるものではなく、

「そう」感じるから… (^-^)

変化のない毎日にあって、

最近、確実に自分の中の「変化」を感じる。

去年の今頃なら、

「このあたりでいいかな…?」とか、

「こんなことはムリ!」と

甘めの評価をして、

やりきれていなかった自分。

現在(いま)は、

「とにかく、やれるだけやってみよう!」と、

感じて素直にやっている自分。

何も、高いテンションでいるのでもなく、

すごいやる気があるというのでもなく、

いつもと変わらぬテンションで、

ふつうのやる気?で、物事に向かう自分。

「スゴい!」ことでもなんでもなく、

淡々と物事に向かう日々。

とても静かだけれども、

でも、明らかに自分の中に感じる

「あきらめない!」という覚悟のようなもの。

そう想う自分が、「今ここ」にいる!

これはひとえに、毎日毎日ブログを書いて、

まず自分自身と対話していることと、

日々、このブログに触れていただいている方がいる!

そして、心温まるコメントを頂いている

というおかげに他ならない!!と感じています。

「いつも誰かが、どこかで見ている!」

そう実感できるのです。

それは、自分自身を見つめる自分も含めて…

今日から11月。

そろそろ、「かに」の美味しい頃。

「かに」と言えば…

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」

人は自分の力量や身分に応じた言動をするもの

という喩えですが、

「自分の力量」って???

わかるようで、わからないですね。(゚ー゚;

自分はこう思うのです。

「過大評価でも、過小評価でもいけない!」と。

しっかりと自分をみつめる!

そして、感じて、行動する!

この繰り返しが大切ではないかと。

そうすることで、自分の中の変化を感じ、

自分の成長も感じることができる。

今日の自分は、昨日の自分とは違うのです!

変化のない毎日の中で、

淡々と物事に向かう自分に、

変化を感じる朝。 (^-^)

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