« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月

「村上春樹にご用心」

村上春樹さんの

『1Q84』が、

発売以来ずっと

売れている。

(Book1は、

未だに入手

困難な状況

とのこと。)

さらに、

波及効果?

なのだろう。

村上春樹さんの

これまでの著作

『ノルウェイの森』

も売れており、

『1Q84』に

書いてある、

ヤナーチェクの

「シンフォニエッタ」が、

iTunesで数多く

ダウンロード

されているという。

良いことだと思う。

文学がひとつの

きっかけとなって

拡がっていくのは。

それまで、

静かだった湖面に

1つの石が

投げ込まれ、

岸辺まで拡がる

波紋のように。

昨日、

以前から読みたい

と思っていた

内田樹さんの

『村上春樹にご用心』

を読む。

(これも1つの

波及効果??)

とてもわかりやすく、

軽快なリズムで

大切なコトが

響いてくる1冊。

村上春樹さんの

著述を引用し、

内田樹さんの

「言いたいこと」

が述べられている。

中でも、

「家族」に関する

著述が興味深かった。

まずは、

村上春樹さんの

著述の引用から。

「僕は思うのだけれど、

家族というのは

これはあくまで

暫定的な制度である。

それは絶対的な

ものでもないし、

確定的なものでもない。

はっきり言えば、

それは通り過ぎて

いくものである。

不断に変化し

移りゆくものである。

そしてその暫定性の

危うさを認識する

ことによって、

家庭はその構成員の

それぞれの自我を

ソフトに吸収して

いくことができる。

それがなければ、

家庭というものは

ただの無意味な

硬直した

幻想でしかない。」

(『村上朝日堂 はいほー!』)

それに対する

内田樹さんの

著述はこう。

「これに付け加える

べき言葉を

私は持たない。

(中略)

安定的で恒久的な

ものは人間たちを

統合することが

できない。

勘違いしている

人が多いけれど、

私たちが何かに

はげしく惹き付けられ、

それに固着するのは、

それが移ろい、壊れ、

消えてゆくものだからだ。

(中略)

家族もまた

同様である。

それが

人間たちを共同的に

生きさせるために、

人間が作り出した

制度である以上、

それもまた

『失われるもの』

を軸として

構造化されなければ

ならない。

家族が家族として

成立するのは、

そこに集うメンバー

たちがいずれ必ず

消え去ることが

確実だからだ。

(中略)

家族とは

誰かの不在を

悲しみのうちに

回想する人々を

結びつける

制度である。」

いろいろな意見が

あると思う。

ただ、

人が生きる中で、

こういう意見も

あるのだ!

ということを

受け容れる

度量が必要だと

あらためて感じる。

いろいろな思いの

拡がり(拡散)と、

1つの思いへの

帰着(収束)が

繰り返されて、

人は成長していく。

(@茂木健一郎

『疾走する精神』)

読書は、そんな

「拡散と収束」を

助けてくれる。

その助けが、

おもしろければ

なお良い。

村上春樹さんと

内田樹さんの

文章は、

非常におもしろい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

メメント・モリ

昨日の午前中は、

密度の濃い

休日を過ごす。

それは、

昨日の午後から

仕事に出なくちゃ

いけなかったから。

さらに、

今日から数日は、

本格的な梅雨空の

予報だから、

梅雨の中休みを

最大限有効に遣う。

休みのない日々を

過ごしていると、

時に「休みたい!」

という衝動に

駆られることがある。

じゃあ、

休日を得たとして、

有意義に過ごせるか?

というと…

丸一日休みがあると

どうしても

ダラダラと過ごして

仕舞うことが多い。

それは、

「まだある」

と思ってしまうから。

時間をあまり

意識することがない。

昨日のように、

午後から出かけなきゃ!

と思うと、

「もう**時」

というように、

時間を意識して

過ごすようになる。

それを

人生に置き換えて

考えてみると、

まさに、

「メメント・モリ」

限りのある

人生の時間。

その意識が

あるのと、

ないのとでは、

過ごす時間の

密度の濃さが

違ってくる

ように思う。

「メメント・モリ」

明日死ぬかもしれない。

だから、今日を大切に!

素晴らしい時間は、

過ぎてから感じる

ことの方が多い。

大切なものは、

失ってから

その大切さを

あらためて

思い知る

ことの方が多い。

でも、

「生」を失って

しまった後に、

その大切さを

思い知っても

もう遅い。

孔子先生も

おっしゃってます。

「未だ生を知らず

焉んぞ死を知らん」

(生もわからないのに

どうして死がわかろう)

『論語』

何時しか来る、

必ず来る最期。

二度と戻らない

大切な時間。

「有意義だった」

と思える時間を

過ごしていきたい。

いつ何が起こるか

わからない

「生」の時間。

1回限りで、

わからないからこそ、

おもしろい!

のだから。

今日も笑顔で

いこうよ!!

o(*^▽^*)o

| | コメント (4) | トラックバック (0)

その先の未来へ

昨日は、

出張先から

そのまま

同門会へ。

お会いするのは

昨年の忘年会

以来という先生も。

懐かしく、

楽しく

お話しする。

特別講演は、

ゲノム研究で

ご高名な先生を

お迎えして

お話しいただく。

標的となる

ターゲットを

選択的に阻害する

分子標的薬を

創り出す

「ゲノム創薬」から、

ゲノムを用いた

「オーダーメイド医療」

さらには、

ゲノム解析による

「予防医療」まで。

幅広い話題を

わかりやすく

お話しいただいた。

究極の目標は、

病気にならないよう

予防すること。

決して、

「不老不死」

というわけではない。

約30億の

塩基対からなり、

百科事典

1000冊分の

情報が書かれた

ゲノムには、

「遺伝子多型」

と呼ばれる

書き違いは

あるものの、

通常に書き換えて

いくと必ず、

死を迎える

ようにプログラム

されている。

「ゲノム研究」は

その定めを忠実に

守りながら、

天から与えられた

寿命まで、

病気にならないように、

病気になっても

速やかに、適切に

治療できるように、

医療に貢献する。

医療は、

「人の生命維持」

に貢献する。

では、人が

「生きる」とは?

お話を聴きながら、

大切なコトを

思い出した。

そして、

「ゲノム研究」

がもたらす、

その先の未来を

想像した。

「その先の未来」で

人はどのように

「生きる」のだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

悼む

昨日の朝、

マイケル・ジャクソンの

訃報に接し、

とても残念に

思います。

心から

哀悼の意を表し

冥福を祈ります。

彼の音楽は

好きでした。

大ヒット曲の

「Thriller」や

「BAD」、

そして、

「Black Or White」

もさることながら、

彼が歌う

「Smile」が

大好きでした。

http://www.youtube.com/watch?v=iu-rLA4POkI

彼が優しく、

悲しげにも

歌う歌は、

自分の心に

沁み渡り、

そして、

自分の心を

優しく包んで

くれました。

人生には

必ず終わりが

来るものだ

ということは

わかっていても、

簡単には

受け入れ難いもの。

あまりに突然の

早すぎる最期なら

なおさらのこと。

あらためて、

冥福を祈ります。

今まで

本当にありがとう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変わらぬ愛

昨日から、

とあるところへ

出張中。

時折、

真夏を思わせる

ような陽射しに

照りつけられる。

そんなとき、

ふっと心和む

花に出会った。

それは、

「桔梗」

自分の大好きな

花の1つ。

気品漂う

紫色の花は、

とてもあざやか。

その気高さは、

凛と咲く

花の気品

だけでなく、

桔梗の根が

その昔、

咳によく効く

去痰剤として

用いられた、

薬としての

存在が

なお一層

引き立てる。

そんな桔梗の

花言葉は、

「変わらぬ愛」

気品があり、

でも、

奢らず、

誠実に。

桔梗の花を

見ていると、

人として

あるべき姿を

想起させる。

今この瞬間、

現在(いま)の自分に、

何かを知らしめ

ようとして、

出会ったような

気がしてならない。

そのあるべき姿。

そして、

「変わらぬ愛」を

いつまでも。

P1000289_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

夢はでっかく、志は高く

昨日の夜、

ビッグ・プロジェクトの

キックオフ・ミーティングに

参加した。

(いわゆる

「立ち上げ会議」)

うちの

チーム・リーダー

である、

U先生はスゴい。

(≧∇≦)

産学連携の一環で、

額の桁で言えば

「9けた」の

ビッグ・プロジェクトを

立ち上げ、

日本から世界へ!

最先端の医工学技術を

発信しよう!

としているのだから。

忙しい臨床の合間に、

どうして

そんなパワーが

出てくるのだろう…

(^-^;

でも、

U先生の

「人たらし」な人間力が、

そんなプロジェクトの

成功をもたらすような

気がしてならない。

それは、

「夢はでっかく!

 志は高く!!」

を地で行くところが

あるからだろう。

そして、

「先生はこれ」、

「先生はそれ」、

「先生はあれ」と

的確にその適性に

応じた指示を出す

チーム内での

マネジメント力も

スゴい!!

(*≧m≦*)

人は夢があれば、

どんな状況でも

前向きになれる。

人は志の高さに

あこがれ、

そして頑張る。

昨日の朝、

昨年の7月と

同じように

「あっ、あぶない…」

というような体の

シグナルを感じた。

それでも、

でっかい夢と

高い志のもとに、

命の炎を燃やし続ける

気概はある!!

さらに、

多くの人の

健康に寄与する!

という信念に

揺らぎはないのだから。

夢を語り合う時、

人はとてもイイ

笑顔になる。

その笑顔に

元気をもらった。

(o^-^o)

世界を巻き込んだ

ビッグ・プロジェクトを

率いるチームの

一員として、

ますますやる気が

漲る夜だった。

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

傘をお忘れなく

雨が降ったり、

止んだりする、

梅雨ならでは

のこの時季。

昨日のような、

梅雨の中休みの

晴れ間があると、

忘れてしまいがち

なのが傘ですね。

自分にも覚えが

あります…

そんな昨日、

傘についての

心がほっとする

エッセイ記事を

見つけました。

JCBカードの

情報誌7月号に

掲載された

角田光代さんの

エッセイ

「傘の値段は正しいか?」

「二〇代のころ、

傘が、一年たって

自分のところに

戻ってきたことがある。

(中略)

あ、このホテルに

傘忘れたんだ、

と気づいたのは、

その1年後。

打ち合わせに、

そのホテルの

ティールームを

指定されたのだった。

仕事相手と話しながら、

私は唐突に傘のことを

思い出した。

打ち合わせが終わって、

まさか相手には

してもらえないよな、

と思いつつ、

ホテルのフロントで、

「1年前に傘を

忘れたんですが」

と、言ってみた。

するとフロントの人は、

絶句するでも

呆れるでもなく、

「どのような傘でしょうか」

と訊くではないか。

私は説明した。

お待ちください、

と言い残し、

その人はどこかに消えた。

十数分が経ったころ、

その人が戻ってきた。

手にはなんと、

一年前に忘れた傘。

「ストックルームに

ございました」

とのことである。

以来、私はそのホテルの

ファンになった。

ホテルってこういう

場所なんだな、

と思い知ったのである。

徹底して人に

寄り添おうとする場所。

今みたいに

安い傘ばかり買い、

忘れ、買い足し

しているようでは、

ああいう感動は

ちょっと得られまい。

そう思うと、

傘の値段が安くなって

ありがたいが、

ちょっとさみしい

気もする。」

傘一つをとっても

こうした感動が

味わえる瞬間がある。

それは、

モノを大切に

想う気持ちと、

そのモノに

対する思いや、

そのモノと

ともに過ごす

瞬間までも、

大切に想う気持ちが

ふとした瞬間に、

強い感動を

味わえる機会を

与えてくれる。

昨年の雨の日。

素敵な傘1本で

街をそぞろ歩き

した瞬間は、

いつまでも大切な

心の宝物。

どうぞ、

傘をお忘れなく。

持って出ることも。

持って帰ることも。

あなたの大切な想いや、

素敵な瞬間を

ともに過ごした

大切な傘なのですから。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

『1Q84』をめぐる冒険?

村上春樹さんが、

『1Q84』について

読売新聞の取材に

答えたインタビュー

記事を読む。

(世の中から隔絶

しちゃってたのかな?

インタビューは

先週のことだったのに…

それとも、

もしかして、

200Q年にいたのかな?)

(≧m≦)

タイトルからして、

G・オーウェルの

『1984』がベース

だろうと思った

のは正解だったけど、

10年以上の

オウム裁判の傍聴が、

上下巻合わせて

1000ページ

にもおよぶ

長編小説を

創作する気持ちを

駆り立てたのだという。

村上氏は、

「現代社会における

『倫理』とは何かという、

大きな問題を

われわれに突きつけた」

と感じ、そして、

「作家の役割とは、

原理主義や

ある種の神話性に

対抗する物語を

立ち上げていく

ことだと考えている」

と述べ、さらに、

「インターネットで

『意見』があふれ

返っている時代

だからこそ、

『物語』は余計に

力を持たなく

てはならない」

とも述べたという。

そんな力強い

メッセージが、

とてもシンプルな

文体で伝えられて

いるからこそ、

多くの人々に

届くのでしょう。

だから、

村上春樹さんはスゴい!

と思うのです。

自分は「物語」が

上手く立ち上げられない。

(作家じゃないから。)

「意見」すらも

上手く伝えられない。

(文章が上手くないから。)

「メッセージ」も届かない。

(届け方まで上手くないから。)

そんな自分が

書くブログを

読んでいただいて、

心から感謝します。

さらに、

みなさまの忍耐力?

に心から敬服します。

m(_ _)m

(本当にそう

思っているのですよ。)

「活字離れ」と

言われて久しい昨今。

これほどまで、

多くの人々に

読まれている

村上文学。

『ノルウェイの森』

がきっかけになって、

村上文学に触れた

自分たちの世代

とは異なり、

『1Q84』

がきっかけになって、

『ノルウェイの森』

を読むようになった

若年層も多いという。

(実際、あらためて

『ノルウェイの森』

が売れている!)

「いい作品なら

私も読むのよ!」

という声も

聞こえてきそうです。

(o^-^o)

『1Q84』をめぐり、

出版界も、メディアも

いろいろな冒険を

読者に試みることで、

文学に触れる機会が

増えることを、

一読者として

心から楽しみに

しているのです。

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月7日、晴れ?

日曜日。

すこし時間の

余裕がある時は、

1週間分の新聞を

ぱらぱらめくり、

1週間の出来事を

振り返る。

そんな時、

6月19日(金)の

夕刊のちょっとした

記事に目が止まる。

「七夕、

7万4000施設で消灯」

記事によると、

7月7日の七夕の夜、

東京タワーを

はじめとする、

施設が一斉消灯

するとのこと。

現時点で、

7万4000施設の

参加が見込まれ、

一般家庭にも

呼びかけるという。

なかなかおつな

ことを言う。

(*゚▽゚)ノ

七夕の夜、

星空を見上げて、

星の瞬きを

楽しむ☆

まるで、

ドリカムの音楽が

全篇に流れた

映画

『7月7日、晴れ』

のように。

(* ̄ー ̄*)

七夕といえば

「織姫と彦星」

こと座のベガと

わし座のアルタイル。

この2つの

輝く星に、

はくちょう座のデネブ

を天空上で結ぶと

「夏の大三角」になる。

残念ながら

七夕の頃は、

梅雨の時期

でもあり、

よく見えない。

昨年の8月、

北海道で

露天風呂に

つかりながら見た

「夏の大三角」は、

とてもキレイだったなぁ。

(゚▽゚*)

「夏の大三角形」

それから、

七夕といえば

「天の川」

沖縄では、

「天河原(ティンガーラ)」

と呼ばれ、

英語では、

「Milky way(ミルキーウェイ)」

と呼ばれる銀河。

都市の光害に

遮られることなく、

キレイな星空を

見ることができたら…

そして、

同じものを見て

自分たちは

何を感じるのだろう?

「ただものが同じでも、

人々の受け取り方は

今とはずいぶん違って

いたかもしれません。

当時の夜の闇は

もっと深く、

暗かったでしょうし、

月はそのぶんもっと

明るく大きく

輝いていたことでしょう。

(中略)

私たちはこのように

便利な世の中に

住んでいるから、

そのぶん感受性は

鈍くなっている

でしょうね。

空に浮かんだ

月は同じでも、

私たちはあるいは

別のものを見ている

かもしれない。」

(村上春樹 『1Q84』)

星空を見上げて、

自分はどう感じるか?

七夕の夜が

楽しみです。

ところで、

梅雨らしい気候に

なってきた

今日この頃。

さて、

1年間の

「織姫と彦星」の

"おこない"は

いかがなもの

なのでしょう?

(o^-^o)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「父の日」に想う

今日は「父の日」

6年ほど前に、

大病を患った

自分の父は、

時折、体調が

芳しくない

こともあるけれど、

懸命に生きている。

離れて暮らして

いるけれど、

可能な限り、

父と触れ合う

機会を大切に

しようと想う。

いつまでも

元気でいて

ほしいと願う。

その一方で、

天国におられる

自分の大切な人の

御尊父を想う。

「大切な人」

人が成長する上で、

なにかしら

父親の影響を

必ず受ける。

その影響を

受けて、

現在(いま)の

自分が形成

されている。

だから、

父を大切に

想うことは、

自分の中にある

人としての

大切なもの、

それは、

アイデンティティのような

ものを大切に

想うことと

同じような

気がする。

「お父さんありがとう」

と心から慕う

大切な人の心を

見習いたい。

したくても、

できない気持ちは

本当に切ない

ものだから。

できる時に

できることを遣って、

後悔しないように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失敗と予感

「しかし

そうすんなりと

いかないだろう

という予感はあった。

そして悪い予感

というのは、

良い予感より

ずっと高い

確率で的中する。」

これは、

村上春樹さんの

『1Q84』の中の一節。

忙しさ

というより、

慌ただしさ?から

すこし解放され、

一気に読み進めたい

衝動を抑えながら、

(一気に読んじゃうと

仕事に差し支える…)

すこしずつ読み進める。

読み進めていくうちに、

心にひっかかる一節が

次々と登場する。

上記の一節は、

かなり以前に

読んだ箇所

だったけれど、

自分の心に

ひっかかったまま

でいる一節。

というのも…

あることが、

自分にとって

良くないと思われる

結果に終わる。

でもそれは、

なんとなく

うまくいかない

だろうという

「予感」があった。

つまりは、

起こるべきして

起こった結果。

「失敗」と言って

いいかもしれない。

人が失敗する時、

「まさか!あの人が!!」

というような

失敗は少ないように思う。

むしろ、

「やっぱりね…」

というような

失敗が多い。

それは、

失敗の原因の

ほとんどが、

その人の弱点に

起因することが

多いからだろう。

「失敗していいや」

なんて思いながら

やるわけじゃない。

でも、

振り返ってみると、

「やっぱりね…」

というところが

原因している。

「じゃあ!

そこを直せば

いいじゃん!!」

そうですね…

おっしゃる通り!

直しているのです。

でも、修正中!なので、

うまくいく時もあれば、

うまくいかない時もある。

ちょっとずつ

ではありますが、

「改善」の兆しは

見えてきています。

結果は「失敗」

であっても。

むしろ、

「失敗」の方が

学ぶことが多い。

「うまくいくには

どうすれば

良いのだろう…」

と考えるのだから。

「自分は**だから」

と開き直って、

「失敗」に蓋をする

のではなく、

「自分は**だけど」

すこしずつ軌道修正

する気持ちを

持ち続けられれば、

きっと「成功」

する日が来る!

(実際「成功」する)

感性を磨くと、

「勘」が良くなる。

つまり、

「予感」が結構

当たることが多い。

それは、

どこかにある

何かの「種」を

しっかりと

見つめることが

できるからかな?

折れそうになる心も、

人に支えられて、

折れずにやっていける!

弱点を認識して

見守ってくれて

いるから…

そんな支えに

感謝しながら、

今日もガンバルっ!

のです。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

今、幸せについて思うこと

ここ最近、

よく昔を

思い出す。

それは、

思い出に

ひたるような

感覚でも、

切ない思い出に

センチメンタルに

なるのでもない。

前向きで

あるための、

「温故知新」

のような

思い出しかな?

その1つの例が、

先日のブログに

書いた、

その昔

大切な人が

贈ってくれた言葉。

来るべき時に

やって来る

人をしっかりと

見守り、

自分にできる

精一杯のことを

考えに考えたうえで、

その人のために

贈られた言葉。

その言葉の意味を

あらためて理解する

ことができるのは、

成長の証。

素敵な言葉を

贈られたこと。

そして、

成長したと

感じられたこと。

それって、

とても幸せな

ことなのだと思う。

今、たった今、

満たされず

幸せに思えない

とすれば、

それは、

「勘違い」なの

かもしれない。

幸せの種は

必ずどこかにあり、

それが今、

見えていないか、

見失っただけ。

昔を思い出すことで、

幸せになれること。

必ずあると

思います。

昔は良かった

というのではなく、

今を幸せに

するための

思い出し。

そんな想いから、

昔触れた文章を

振り返ってみる。

2008年10月号の

『PHP』の特集

「いま、幸せって

何だろう」に

掲載された

内田樹さんの記事

「幸せのおすそ分け」

その記事にはまず、

「身の程を知れ」

と書いてある。

その言葉に、

今あらためて

得心する。

「身の程を知る」

ことと幸せに思う

コトとの関係は?

記事にはこうある。

「古来、

多くの人々が

「幸福とは何か」

問うてきた。

答えるのに

困難な問いだ。

でも、

「不幸とは何か」

について問うた人は

あまりいない。

こちらの方が

答えるのに簡単なのに。

どうして人は

不幸だと感じるのか。

それは、

本来の自分は

こう「あるべき」だと

いう像を描いて

いるからである。

現実の自分は

それにあまり

似ていない。

そして、

この想像上の

「あるべき自分」

と現実の自分の

落差から

不幸は生まれる。

病を得て

不幸なのは、

「健康な私」

であるべきなのに、

そうなっていない

からである。

貧しくて

不幸なのは、

「富裕な私」

であるべきなのに、

そうなっていない

からである。

老いて

不幸なのは、

「若い私」

であるべきなのに

そうなっていない

からである。

「あるべき私」が

私の原点であり

かつ到達点であり、

「現実の私」は

むしろ歩むべき

行程からの逸脱、

設計図通りに

製造されなかった

失敗作であると

考えることで

人は不幸になる。

「身の程を知れ」

というのは、

「あるべき私」を

あまり遠くに

設定するな

という教えである。」

思わず唸るくらい、

今あらためて

腑に落ちる。

「身の程を知れ」

とはつまり、

「『分相応』

ということの

大切さを知る

というコト」

だと思う。

『分相応』

を知るとは、

自分を卑下する

のではなく、

自分をしっかり

見つめ直すこと。

「分」は、

「分ける」こと。

つまり、

「分相応」の

「分」は、

天から分けられた

自分の「持ち分」

であり、その「分」

を正しく知ること。

成長することは、

自分の「持ち分」

が大きくなること

ではなく、

自分に分けられた

「持ち分」が

理解できるように

なるということ

なのだと思う。

自分の「持ち分」

が理解できたのなら、

その「持ち分」

に相応しい

ことを為すのが、

「分相応」という

意味なのだから

そう思った瞬間、

とても幸せに感じた。

そして、

大切な人が

贈ってくれた

素敵な言葉は、

自分の「持ち分」

の包みに添えられた

とても素敵な水引の

ようにも思われた。

そして、

上述の記事の

最後には、

「あなたの成功を

喜んでくれる人を」

と書いてある。

「自分の仕事の成功を

わがことのように

喜んでくれる他人が

いるというのは

大切なことだ。

仕事がうまくいっても

喜ぶのは私ひとりと

いうのと、

何人もの人が

いっしょに

祝ってくれる

のとでは、

仕事に向かう

モチベーションが違う。」

自分の成功を

喜んでくれる人が

いるのは、

とても幸せなこと。

その幸せに、

「幸せのおすそ分け」

ができることも、

とても幸せなこと。

だから、

今はとても

幸せなのです。

o(*^▽^*)o

不安定な気候です。

体調の芳しくない方も

おられるでしょう…

かけがえのない

大切なお身体です。

くれぐれも、

大切にして下さい。

かけがえのない

大切なあなたを

大切に想う

あなたの大切な人

のためにも。

大切なあなたが

じっと見守って

いてくれるだけで

とても幸せです。

(* ̄ー ̄*)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「世界に一つだけの花」

昨日は

サテライトでの診療。

そこはそこで

忙しいけれど、

大手デパートの

すぐ近くにあるから、

ランチはいつもと

ちがう雰囲気で

食べられる。

(*^-^*)

とはいえ、

忙しくて

食べられない時も

あるけれど…

(≧m≦)

昨日は

かなり遅いランチ。

セレブな奥様が

ティータイムを

楽しんでいた。

(^-^;

ランチの後は、

デパートの中の

とある店舗に

オーダーした

品物を取りに行く。

( ̄▽ ̄)

お店の方に

その仕上がりを

確認されて、

「うん、うん」

とにこやかに

うなずく。

(o^-^o)

すると、

店員さんが一言。

「これで、

"世界に一つのもの"

になりましたね!」

(゚▽゚*)

というのは…

(・_・ )

その品物を

2週間前に

見つけた時、

自分が言った

ことには、

「もうすこし

オリジナルに

ならないかなぁ〜

"世界に一つのもの"

みたいな…」

ってつぶやいていたら

店員さんが、

「してさしあげられます!」

と微笑む。

お話を詳しく

お聞きすると、

「ふむふむ。

じゃあ、それで!」

(*゚▽゚)ノ

というわけで…

その品物を

昨日取りに行った。

(* ̄ー ̄*)

たしかに!

"世界に一つのもの"

になってる!!

(*^ー゚)bグッジョブ!!

お店を出て、

頭の中で

『世界に一つだけの花』

が流れる。

♪そうさ 僕らも

世界に一つだけの花

一人一人違う種を持つ

その花を

咲かせることだけに

一生懸命になればいい

小さい花や大きな花

一つとして

同じものはないから

No.1にならなくてもいい

もともと特別な

Only one♪

優劣を競い、

優れている

優れていないから

という価値判断で

大切にするか否か

よりも、

"世界に一つ"という

貴重な存在価値を

大切にすること。

そんな

基本的なことを、

この品物も

教えてくれた

気がした。

大切なコトは、

「感じること」

「気づくこと」

そして、

「気づき」が

「築き」になって、

「積み重ねていくこと」

まず最初の

「気づき」の

価値判断を間違えない

コトが大切かな?

o(*^▽^*)o

| | コメント (5) | トラックバック (0)

うれしさを何倍にもして

昨日の夜、

仕事を早めに

切り上げて、

ちょっとした

祝い事の

食事会へ。

ちなみに、

お祝いされたのは

自分です。

(≧∇≦)

ホントに

ちょっとした

祝い事だけれど、

お祝いされるのは

とてもうれしいもの。

(* ̄ー ̄*)

お祝いされる

うれしさを

感じたのなら、

今度は、

そのうれしさを

何倍にもして、

お祝いする側に

まわって

そのうれしさを

お裾分けしよう!

( ̄▽ ̄)

幸せのおすそ分け

そのためには、

「うれしさ」の

感度を良くして

おかないと!

いろいろな

よろこびや

うれしさが、

眼の前を

通り過ぎても

気づかないから…

(≧m≦)

もし、

よろこびや

うれしさを

感じる出来事が

なかったとしても、

きっと大丈夫!

「来るべき時に

やって来る」もの。

未だ来ていないだけ。

きっと来るはず!

もしかすると、

すぐそこまで

来ているのかも

しれませんね!

(゚▽゚*)

うれしさを

何倍にもして、

うれしい!

の波が拡がれば、

どんなに

うれしいことだろう。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

来るべき時にやって来る

自分には

素敵な言葉の

贈り物を、

私信で伝えて

くれる人がいます。

まさに、

その瞬間、

ツボにはまるように

言葉で癒される

時もあれば、

言葉を贈って

頂いてから、

かなり時間が

経過して

効いてくる

時もあります。

自らを省みて、

その言葉は、

贈って頂いた

瞬間の

「理解」と、

現在(いま)の

「理解」が

大きく異なります。

その瞬間に、

現在(いま)の

ように「理解」

していれば…

と思いますが、

物事は概して

「来るべき時に

 やって来る」

もの。

「理解」できて

いなかった自分を

嘆くのか?

「理解」できる

ようになった

自分の成長に

よろこびを

感じるのか?

おそらく、

素敵な言葉の

贈り主は、

後者の方が

うれしいでしょうね。

たとえ、どんなに

時間が経過しても

贈った言葉が

役に立つのですから!

その昔、人から

あらぬ中傷を受け、

苛立っていた自分を

諭すために

贈って頂いた

言葉があります。

「人から嫉妬を

受けるというのは、

その人があなたを

自分より上だと

思っているからです。

だから、

悔しいから、

足を引っ張るような

ことをするのです。

そんな、

小さい人に

惑わされないで

下さい。

その時には

わからなくても、

見ている人は

見ています。

わかっている人は

わかっています。

そして、

弱い犬ほど

よく吠える

ものなのです。

吠えれば吠えるほど、

自分がダメなことを

人に知らせている

ことも知らずに…」

この言葉は、

自分が悦に入る

ために思い出す

のではなく、

「見ている人が

必ずいる!」

と思う時と、

自分が「弱い犬」

のごとく

吠えないよう

戒める時に

思い出します。

そして、

この言葉を

思い出すたび、

感謝の気持ちで

満たされるのです。

理解するべき

時がやって来た

のだと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やっぱり、この季節は!

昨日のブログでは、

夏にクリスマスソング?

みたいなことを書いた。

夏だからこそ?

昨日の午後、

ここ最近の忙しさに

一区切りがついた後、

この季節ならではの

風物詩を見よう!

と思い立ち、

昨日の夜に

逢いに行く。

その風物詩とは…

蛍です!

(*^-^*)

そこは、

蛍が見られる

「秘密の場所」

(* ̄ー ̄*)

でも、

自分がその場所に

着いた時は、

すでに多くの人が

橋の上から

淡い光の

ページェントに

魅了されている。

(*v.v)。

ぜんぜん、秘密に

なってない…

(^-^;

自分は蛍の光が

見える場所に

近づいた。

すると…

偶然、蛍が

手に止まった。

(≧∇≦)

思わずパチリ!

(*^ー゚)b

人は蛍の光に

魅せられる。

それは、

蛍の放つ

幻想的な

淡い光そのもの

だけでなく、

その光が

ホンの短い

期間だけしか

見られない

という儚さも

あるからかな?

約10日間、

自分の恋を

実らせるために

自らの身を

焦がし続ける蛍。

来年も、

再来年も、

逢えますように…

P1000285

P1000281_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

夏だからこそ?

「今日が終われば、

すこしは落ち着く」

そう思いながら、

いつもより忙しい

日々を過ごしている

今日この頃。

(^-^;

梅雨に入って、

あまりじめじめ感は

ないものの、

急ぎ足で

移動すると

汗ばんでしまうsweat01

そんな移動中、

自分の心を

心地良くしてくれる

音楽を、iPodで

ヘビーローテートさせる。

それは、

Dreams Come Trueの

『WINTER SONG』

-dancing snowflakes version-

しっとりとした

『冬のクリスマス』

のEnglish version

ではなく、

アップテンポな感じが

とても心地良く、

夏にクリスマスソング?

という違和感はない。

むしろ、

暑いからこそ

吉田美和さんの

透きとおる歌声で

清涼感が味わえる。

( ̄▽ ̄)

そして、

さびの歌詞が

耳から離れない。

♪I want to show you

everything I see,

the way I'm feeling

I need to be

with you tonight,

to hold your arms

around me

My love for you is deeper

than the deepest snows

of winter

The greatest gift I ever

had was you♪

「最高の贈り物はあなた」

と想う心は、

忙しくても、

自分が成すべきコトを

見失わず、

やり遂げる

勇気を与えてくれる。

この歌詞にも

背中を押されて、

今日も頑張れそうです。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「数値」の持つ意味

「日経平均

 1万円回復」

「新型インフルエンザ

 警戒度6へ」

ここ最近、

新聞の1面にある

数値の変化に

よく目が止まる。

人が何かを

理解する時、

「数値」は

大いなる

助けになる。

と同時に、

直感的に

「数値」の

魔術にかかる、

人間の脳の

弱点にも

思いが至る。

例えば、

株価が100円

上がるとして、

9800円が9900円と、

9900円が10000円

とではどうだろう?

後者の方が

大きな違いが

あるように

感じてしまうのでは?

同じ100円の

差なのに…

(^-^;

よく使われる

喩えとして、

こんな例もある。

「検査の精度は99%」

といわれる検査をして、

「陽性」という

結果が出た場合、

その結果を疑う人は

ほとんどいない。

だって、

「ほぼ100%」

なのだから。

でもね、

「ほぼ100%」

が実はミソで、

「100%じゃない!」

ということを

顕している。

ややこしいかな?

つまりはこういうコト。

100万人が

この検査を受けて、

正しく「陽性」

と判定されるのは

99万人。

(ふむふむ)

ということは…

1万人も!

誤って「陽性」

と判定されて

しまうことになる。

(あれれ!?)

だから、

1つの数字に

踊らされることなく、

何度か試行したり、

他の指標と

照らし合わせて

判断することになる。

科学の世界で

「数値」を扱い、

「科学的」に説明を

している自分。

だからこそ、

「数値」の持つ意味を

しっかり理解して

かからなければ!

と思うのです。

o(*^▽^*)o

とはいえ、

「数値」は

わかりやすいもの。

その魔術に

自分がまんまと

ひっかからないように…

「くわばら、くわばら」

(o^-^o)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

思い出を育んで

「6月12日」

ドコかに飛んで

行きたくなる。

素敵な緑で

満たされた

癒しの空間へ。

この日は、

ホントに素敵な

思い出が重なる日。

過去を振り返り、

後ろ向きに

なるのではない。

「過去は良かった。

 現在(いま)は…」

などと言う

つもりはない。

現在(いま)が

あるのは、

素敵な過去が

あったから。

より良い自分を目指し、

頑張ることで、

さらに成長し続ける。

そうすることで、

過去がさらに

育まれるはず。

昨年の今日。

ブログに書いた

「大切なコト」

それは…

大切なのは…

「問い続けること」

その時感じた想いを

あらためて振り返り、

自分に問いかけてみる。

そして、問い続ける。

よぉーし!

今日もがんばるぞぉ!!

o(*^▽^*)o

素敵な過去を

さらにさらに

素晴らしいものへと

育むために…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

北風と太陽

「あの患者さんを

よく説得できたね!」

「"北風と太陽"ですよ!」

今週の月曜日に、

そのような話しを

しているところに

自分が通りかかり、

その話の詳細を聞いた。

話しはこう。

ある患者さんにとって

必要な検査の説明を、

主治医で指導医の

N先生が説明したが、

熱心に説明するあまり、

患者さんにとっては

厳しく聞こえたようで、

頑なに拒む結果に

なってしまった。

一方、

同じく担当医の

F先生は優しく

微笑みながら、

検査を受ける

受けないは

患者さんの自由

ということになる

けれども、

受けた方が良い

ということを

優しく説明し、

結局、同意された

とのこと。

確かに、

『北風と太陽』

の寓話のごとし。

その時、自分は

「北風が吹いた

からこそ、

太陽の有難みが

わかったのかも?」

と思いながら

話を聞いていた。

すると、昨日、

自分にも同じような

ことが起こった。

ある病気の権威

と呼ばれる先生に

厳しく諭され、

ショックに思った

ある患者さんが

受診され、

目に涙を浮かべながら

その状況を

説明された。

その先生の

言うことは

理にかなっており、

理不尽なことを

言ったわけではない。

ただ、"北風"で

あったということ。

自分は、

話をよく聴いて、

結局その先生と

同じような内容を

優しく説明した。

果たして、

同意された。

さて、ここで、

自分が説明したから

同意したのだと

悦に入るのであれば、

結局は成長がない!

のだと思う。

今回は、たまたま

自分が"太陽"で

あっただけのコト。

そういえば、

こんな話しも

あったように思う。

旅人の帽子を

とらせようと

"太陽と北風"が

勝負した。

太陽が照りつけると

旅人はその陽射しの

まぶしさに、

ますます深く帽子を

かぶってしまった。

一方、北風が

ふぅーっと一息

風を吹かせると、

帽子は簡単に

吹き飛んでしまい、

北風が勝った

という話。

つまるところ、

何が適切かを

見極めることが

とても大切。

常に"太陽"のように、

笑顔で優しく

微笑んでいても、

ダメなことだって

あるのだから。

笑顔の素敵なU先生。

ある患者さんが、

「診察中、U先生に

微笑みながら

説明されたら、

バカにされたように

感じて信用できない」

と自分に訴える。

そう言われた自分は、

眉間にしわを

寄せながら、

切々と説明した。

U先生と同じ内容を。

そして、納得された。

やっぱり難しい…

(≧m≦)

でも、

やらなきゃ!ねっ

それが自分に

与えられた

仕事なのだから。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

人生に寄り添う

「人生によりそい、

 がんと闘う」

昨晩の

『プロフェッショナル

 仕事の流儀』のゲスト

乳腺外科医である

中村清吾医師の

タイトルコール。

「医師は謙虚であれ」

の言葉通りに、

白衣のさらに上に

"診療部長"的な

威圧感を

与えないところが

中村医師を慕う

患者さんの声にも

映し出されていた

ようにも思う。

「人生に寄り添う」

自分は患者さんの

心に寄り添っている

"つもり"だった

のかもしれないなぁ…

と自分を

見つめ直してみる。

前に、前に!

という自分の想いを、

押しつけてしまって

いたかもしれないと。

時には

立ち止まって考える。

患者さんの人生に

よりそうように。

立ち止まってはじめて

見えてくるものがある。

前に、前に

行くばかりでは

見えないものが。

見過ごして

しまっていたものが。

患者さんに寄り添って

いるつもりが、

ふと見ると

先走って

"おいてけぼり"

にならないように。

中村医師の

姿を見て

あらためて

その意を強くした。

ところで、

このブログを

ご覧頂いている

女性のみなさまへ。

あらためて

「できそこない」

から愛を込めて

お伝えします。

「できそこない」

 から愛を込めて

是非!

乳がん検診を

受けて下さいね!!

o(*^▽^*)o

あなたの人生が

素敵な人生で

ありますように

と祈りながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その瞬間を大切に

不思議なことが

あるものですね!

何を唐突に?

って思われたかも

しれませんが、

自分にとっても

ホンの一瞬の

出来事だったので、

「不思議なことが

 あるものだ」

と思うよりほか

なかったのです。

「不思議なこと」

それは、

一瞬にして、

手にしていた

ペーパーバックが

消えてしまったコト。

(≧m≦)

昨日の朝、

いつものように

電車に乗り、

ドアサイドに

立っていました。

鞄の中から

ペーパーバックを

取り出して、

続きを読もうとして

開いた時、

書き込みのための

ボールペンを

出していなくて、

ペーパーバックを

開いたまま、

手と身体で

ホールドしながら、

片手でボールペンを

探して取り出しました。

そして、

電車が動き出し、

手に持っていた

ペーパーバックを

見ようとすると、

あら不思議!

ペーパーバックが

ドコにも見当たりません…

(?_?)

自分の足下にも、

鞄の中にも。

ボールペンを見つける

直前にドアが閉まる

以外には、特に何も

変わったことは

ありませんでした。

やはりドコを探しても

見つかりません。

自分の前に立っていた

高校生も不思議そうに

自分を見ています。

確かに手にしていた

本が一瞬で

消えたのですから…

(^-^;

おそらく、

ドアが閉まる瞬間、

ペーパーバックが

手からするりと落ちて、

ホーム下に落ちて

しまったのでしょう…

(。・w・。 )

そのことが

ホントにあまりにも

一瞬の出来事

だったので、

狐につままれた

感覚に包まれました。

もうすこし

しっかりと手で

摑んでいれば…

(;ω;)

その瞬間を

取り戻すことは

できません。

だからこそ、

その瞬間、瞬間を、

大切に、大切に、

と思うのでしょう。

大切に過ごした瞬間は、

たとえ、その瞬間を

取り戻せなくても、

とても大切な、

とても素晴らしい

思い出として、

その瞬間を

振り返ることが

できるのです。

「その瞬間を大切に」

これが、昨日の朝

ペーパーバックが

教えてくれたこと

だと感じて、

その想いを

あらためて強く

刻み込みました。

ところで、

消えたペーパーバック。

夜に駅のホーム下を

のぞいても見当たらず。

駅員さんに、

落ちていなかったかの

確認をしましたが、

そんな報告は

あがっていない

とのコト。

一体全体、

ドコにいってしまった

のでしょうか?

w(゚o゚)w

| | コメント (2) | トラックバック (0)

石橋を叩いて渡る

5月の連休

あたりから、

Macに不具合が

出はじめ、

その都度

対症療法的に

対処してきた。

それでも、

不具合が解消

されなかったため、

昨日、

ついに?

(ようやく?)

OS再インストール

という根治的な

対処をすることした。

非常に重要な

データが盛り沢山。

バックアップデータが

文字通り復元

されないと…

(≧m≦)

過度に不安を

抱いているわけ

ではないけれど、

絶対大丈夫!

という安心が

得られないと

不安なのも事実。

「石橋を叩いて渡る」

この言葉通り、

慎重に、慎重に、

物事を進めていった。

果たして、

すべてはうまくいった。

不具合も解消された。

ヽ(´▽`)/

「石橋を叩いて渡る」

いつもがこの調子なら、

なかなか前に進めない

けれど、

(いつもなら、

「えいやぁ!」??)

時には、

臆病なくらい

慎重に物事を

進めることも

大切なコト

なのだと思う。

ところで、

「石橋を叩いて渡る」

この言葉に

何となく懐かしみを

感じるのはなぜだろう…

(* ̄ー ̄*)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

『1Q84』

「あ〜ぁ

 やっちゃったっsweat01

(^-^;

禁断の果実に

手を出して

しまったような、

そんな感覚。

(≧∇≦)

「何のコト?」

ははは…

(*^.^*)

村上春樹さんの

『1Q84』

のコトです。

来週末(6月14日)が

過ぎないと

一段落できない

状況にあって、

「出だしの部分

 だけでも…」

と思って、

読み始めてしまった

『1Q84』

まんまとハマりました。

「村上ワールドへ

 ようこそ!」

とばかりに、

両手を広げて

待つ世界に。

それでも、

どうしても

仕事を片付けなくちゃ

いけなくて、

Book1の途中で、

「村上ワールド」を

相当なスピードで

前に前に進む自分に

急ブレーキをかけ、

仕事に戻る。

それにしても、

おもしろい!

言わずもがなの

ことだけど…

文章が上手い!!

(゚▽゚*)

そして、

前半部だけでも

かなりの

「邪悪なもの」が

盛り込まれている。

村上春樹さんの著書

『走ることについて語る

 ときに僕の語ること』

を読んだ後だから、

余計に、

「邪悪なもの」の存在が

ありありとわかる。

「我々が小説を

 書こうとするとき、

 つまり文章を用いて

 物語を立ち上げようと

 するときには、

 人間存在の根本にある

 毒素なようなものが、

 否応なく抽出されて

 表に出てくる。

 作家は多かれ少なかれ

 その毒素と正面から

 向かい合い、

 危険を承知の上で

 手際よく処理して

 いかなくてはならない。

 そのような毒素の

 介在なしには、

 真の意味での

 創造行為を

 おこなうことは

 できないからだ。

 (妙なたとえで

 申し訳ないが、

 河豚は毒のあるあたりが

 いちばん美味しい、

 というのに

 ちょっと似ている

 かもしれない。)

 (中略)

 しかし僕は思うのだが、

 息長く職業的に

 小説を書き続けて

 いこうと望むなら、

 我々はそのような危険な

 (ある場合には

 命取りにもなる)

 体内の毒素に対抗できる、

 自前の免疫システムを

 作り上げなくてはならない。

 そうすることによって、

 我々はより強い毒素を

 正しく効率よく

 処理できるようになる。」

(『走ることについて語る

 ときに僕の語ること』)

仕事のスケジュールの

都合上、

『1Q84』の

「村上ワールド」を

堪能することは

しばらくおあずけ!

ということになります。

("おあずけ”にしないと

 まんまとハマって

 しまいますから…)

次に読む時は、

疲れた後に

読むよりも、

体力がある時に

読み進めた方が

イイのかもしれません。

(≧∇≦)

強い毒素に負けない

抵抗力がある時に。

(*^ー゚)b

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「言葉にできない」想いを

♪誰のせいでもない

 自分がちいさすぎるから

 それが くやしくて

 言葉にできない

 lalala 言葉にできない

 あなたに会えて

 ほんとうによかった

 嬉しくて 嬉しくて

 言葉にできない

 lalala 言葉にできない♪

小田和正さんの

『言葉にできない』が

頭の中で流れます。

何があったという

わけではなく、

この季節が

この曲を想起

させるのです。

♪あなたに会えて

ほんとうによかった

嬉しくて 嬉しくて

言葉にできない♪

このフレーズが

流れる時、

自分の

「言葉にできない」

想いが、

映像になって

頭の中に

映し出されます。

すると、

心の中では

感謝の気持ちで

あふれてしまいます。

そのあとは、

出逢いの奇蹟の

余韻が残るのです。

この季節のように

しっとりと。

「言葉にできない」

想いに満たされて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おたがいさま?

「なぜ、**して

 くれないのだろう?」

って思うこと

よくありませんか?

自分は、今でこそ

少なくなりましたが、

昔はよくありました…

(≧m≦)

人が人にイライラする

原因の多くは、

「**してくれなかった」

「**して当たり前」

という相手に対する

過度の期待感?

あるいは思い込み?

に依るのですね。

「自分の思うように」は

相手は応えてくれないもの。

それは、

自分の過剰な期待が

そんな思い込みを

もたらしたのだから…

その逆もまた真なりで、

相手がイラつく原因も、

「自分の思うように」

こちらが応えなかったから。

そのことを、

「相手が勝手に期待した」

と放っておくのか、

「そうか!

 そう思ってたのか!

 だとしたら…」

と気づくかで

相手との距離感が

変わるものですね。

「期待する」というのは、

決して悪いコトでは

ありませんが、

過度に「期待する」のは…

「相手に期待し過ぎてたなぁ!」

って思った途端、

ずいぶん気が楽になって、

イライラすることが

少なくなりました。

(* ̄ー ̄*)

そのうえ、

相手にこうすれば

もうすこしよろこんで

もらえるかな?

と考えるのは

結構楽しいもの。

(o^-^o)

自分が期待して、

期待通りの結果

とはならずに

イライラするよりも、

相手の期待に

すこしは添えるように

自分を変えた方が、

とても楽ですね。

できなければ、

「次はこうしよう!」

と思えばよいのだから。

イイ意味での

「おたがいさま」は

お互いの関係を

滑らかにする

潤滑油のような

気がするのです。

イライラメーターは

摩擦の指標。

振り切れそうになったら、

クールダウンして

油を注入!

o(*^▽^*)o

自分が相手に

期待するのではなく、

自分から進んで

相手の期待に

すこしでイイから

添えるようにありたい。

そういう思いでいると、

イライラメーターは

上がらずに、

むしろ、

気分良く過ごせますね!

ヽ(´▽`)/

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ひたむきな愛情

調子が出なくても、

成すべきコトを

淡々と着実に

やり続けていれば、

ほんの些細なことで、

回復基調のきっかけを

摑むことができる!

昨日はそう感じた

一日でした。

「どんなきっかけ?」

そうですね…

この季節らしいもの

2つに出会った

からでしょうか。

(*^-^*)

「ホントに小さな

 きっかけ!」

ははは!(^-^;

その通りです…

さて、

この季節らしい

2つとは…

1つは、

いずれご紹介

するとして…

(^-^;

もう1つは、

「紫陽花」です。

(o^-^o)

5月下旬から

咲き始めたことは

気づいていたのですが、

すぐ近くで

愛でる機会が

昨日の移動中、

偶然訪れました。

咲き始めてから、

土壌の酸性度で

七色に変わる

「紫陽花」

人はその七変化の

様子から、

「紫陽花」

の花言葉を、

「移り気」

としました。

その一方で、

梅雨の雨に

打たれながらも、

力強く咲きほこる

「紫陽花」

ある人は

その姿を見て、

「紫陽花」の

花言葉を

「ひたむきな愛情」

としました。

自分にとって

「紫陽花」

の花言葉は

「ひたむきな愛情」

の方がピッタリ!

だと思います。

寄り添って

力強く咲く姿は

まさに!

「ひたむきな愛情」

「移り気」

と称されるごとく

七色に変わるのも、

「ひたむきな愛情」

を持ちながら、

ある時は優しく、

ある時は冷静に、

その姿を

見せ続けて

くれるのです。

「ひたむきな愛情」

を持つその姿に触れ、

元気をもらった

気がします…

(* ̄ー ̄*)

自らも

「ひたむきな愛情」

を持ちながら、

冷静に

成すべきコトを

やり続けよう!と

o(*^▽^*)o

P1000262

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「一生モノの勉強法」

「何となく調子が…」

6月は自分にとって

そんな時期なの

かもしれない…

対処法の1つとして、

「ヘタに抗わない」

ということを

選択することもある。

調子が出ないのだから

仕方がないと

開き直り?つつ

あきらめ?つつ

調子が出るまで

辛抱強く待つ。

そんな時、

京都大学教授

鎌田浩毅さんの著書

『一生モノの勉強法』を

さらっと読む。

「勉強法」を勉強する

ためではなく、

勉強し続ける方法の

参考のために。

やはり、

誰しもスランプは

必ずあるもの。

スランプ脱出法について、

「スランプが来たら

 抵抗するな!」

あれれ? (^-^;

同じこと言ってる…

さらに、

「スランプ状態も歓迎!」

あらら… (≧∇≦)

やはり、

開き直るくらいが、

スランプから

早く脱出できるようです。

鎌田さんの経験からも…

とにかく、

自分を見つめ直し

ながらも、

やり続けることが

大切ですね!

(* ̄ー ̄*)

まぁ!

間違ってなかった!

ということで…

(・∀・)

ところで、

『プレジデント』

6月15日号の中で、

『下流社会』が

ベストセラーになった

三浦 展さんと、

経済評論家の

勝間和代さんとの

対談記事が載っていて、

その中に、

「勉強法の本を買っても

 勉強していない」

とありました。

ははは… (^-^;

鋭いご指摘。

気をつけます。

(*≧m≦*)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

さりげなく

昨日に引き続き、

DVDのお話。

息抜きに、

気軽に見られる

作品として、

『ハッピーフライト』

を選んだ。

ANAの全面協力で

撮影されたこの映画。

飛行機好きの自分には

ホントに気軽に

観られる映画だった。

(* ̄ー ̄*)

ストーリーは…

おっと!

w(゚o゚)w

ココで書いてしまうと、

観ておられない方の

感興をそぐことに

なりますので、

書きません。

肩の力を抜いて

観られるイイ作品

だと思いますよ!

( ̄▽ ̄)

さて、

この映画の中で、

自分の琴線に

触れたのは、

岸部一徳さんと、

ベンガルさんの

演技。

さりげなさ、

何げなさが

表現されていて、

とてもイイ感じ。

(゚▽゚*)

デジタルに

ついていけない、

いわゆるイケてない

オペレーション・

コントロールセンターの

ディレクターを

演じる岸部さんは、

デジタル機器が

使えなくなる

状況になった時、

その本領を発揮する。

そして、

自らの成すべきコトを

成し遂げた後は、

とてもさりげない。

いつものイケてない

人物像に戻っている。

一方、

「カモメはバカ」

発言をした

バードパトロールの

ベンガルさんは、

おそらく迷い鳥の

小鳥の世話を

さりげなくする。

いずれも、

さりげなく、

なにげなく

演じられている。

こうしたシーンが

自分には強く

印象に残った。

そして、

そのシーンを

さりげなく?

映画の中に

入れている

矢口史靖監督に

拍手です!

(*^ー゚)bグッジョブ!!

「さりげなく」

できるということは、

「作為のない」

ということの

あらわれである

ように思います。

「さりげない」

からこそ目立たない。

でも、その

「さりげなさ」

「作為のなさ」

にフォーカス

できるかどうか。

同時に、

自分の振る舞いに

「さりげなく」

できることが

いくつあるだろうか?

「さりげなく」

できるということは、

自らの血肉に

なっている証。

さぁ!ますます

丸く、まぁ〜るく

研かないとね!

(*^-^*)

「さりげなさ」

に「作為」が

あっては、

「さりげなく」

ないですから!

(≧∇≦)

ところで、

昨日(6月1日)の夜、

エールフランス機の

消息が絶えたという

ニュースに触れ、

正直なところ

心中穏やかでは

ありません。

今はただ、

乗員・乗客の

無事を祈らずには

いられません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

セレンディピティ

最近、

(かなり以前から?)

映画館で映画を

観ていない。

もっぱら、

DVDを借りて観るか、

国際線の機内で

観るかのどちらか。

昨日、

仕事の空き時間に

DVDを1本観た。

レンタルショップで

何気に手にした

『セレンディピティ

〜恋人たちのニューヨーク』

気軽に観ることが

できる恋愛コメディ。

ちょっとした

息抜きにイイかな?

と思って借りた作品。

観終わった後、

確かに、

「眼の前の現実だけ

 でなく、運命を信じ、

 感じるままに生きていけば、

 素敵な人生に変わるかも」

というメッセージは

伝わった。

でも、なんだろう…

何となく釈然としない…

ハッピーエンドの2人

以外の2人は???

「自分の幸福は、

 他人の不幸の

 上に成り立つ」

そんな言葉が

脳裏に浮かんだから?

「偶然の幸福に

 出会うことを、

 『セレンディピティ』

 と呼ぶ。

 恋人とのなれそめや

 ノーベル賞級の発見が

 セレンディピティだが、

 本当は成功主義に

 着地させられるほど

 生やさしいものではない。

 セレンディピティは、

 潜在的には自我を脅かし、

 破壊することさえある。

 (中略)

 古い自分を乗り越える

 ことの恐怖や目眩に

 耐えなければ、

 素晴らしい新世界に

 旅することはできない。」

(茂木健一郎

『今、ここからすべての場所へ』)

感性を磨くと、

いろいろなことも

また見えてくる。

見えてくるというより、

見ないでいたことに

目を向けたということ

なのかもしれないけれど。

「感じるままに生きる」

というわけには

いかないことだらけ…

感性と理性。

難しいですね。

(≧m≦)

たまに、頭の中で

ぐるぐるぐるぐる

思索をめぐらせるのです。

息抜きで (^-^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »