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2009年7月

うまく壊す技術

「はぁ〜」

思わずため息が

出てきそうになる。

「夏バテ」

というより、

不順な気候に

すこしバテ気味。

時間のほとんどを

室内で過ごす

自分なのに、

気候のせいに

してるだけかな?

(≧m≦)

ネガティヴなもの

をためこむのは

良くない!

こんなことは、

誰の目にも明らか。

じゃあ、

どうすればイイ?

(?_?)

福岡伸一さんの

『世界は分けても

わからない』を読む。

いつも思うコト

だけれど、

福岡さんの文章は

とても心地良い。

小説を読むように、

生物学の世界に

触れることができる。

その中で、

あらためて、

「そうだよね!」

と気づかされる

文章に出会う。

「ところがここ十年

ほどのあいだに急速に

明らかにされた

意外な事実がある。

細胞は、つくる仕組み

よりも、こわす仕組み

のほうをずっとずっと

大切にしており、

そのやり方は

より精妙で、

キャパシティ

よりも大きい。

そういうことが

わかってきたのだ。」

(福岡伸一 『世界は

分けてもわからない』)

「つくる」よりも

「こわす」仕組み。

ユビキチンシステム

心のユビキチンシステム?

もそうだけれど、

うまく壊さないと

病気になってしまう。

人は何かをうまく

「創り出す」コトに

意識を向けるけれど、

「創り出す」ためには

うまく「壊す」、

「捨てる」技術も

とても大切。

自分の身体にある

細胞がそうであるように、

自分の身体にある

心もそうでなければ

うまく処理できない。

じゃあ、

うまく「壊す」には?

う〜ん、そうだなぁ…

自分のまわりを

整理してみれば?

自分の周りを

見渡して、

「捨てる」べきものを

実際に「捨てる」コトで、

心の中も整理

できるかもしれないよ!

何かを「創り出す」

には、「創り出す」

スペースが必要だから。

「創り出す」ために

「捨てる」、

あるいは「壊す」。

この週末は、

すこし時間を取って、

整理してみよう!

うまく「捨てる」

コトができるかな?

(*^ー゚)b

明日から8月!

「夏らしい夏」を

過ごす準備としても!

o(*^▽^*)o

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80:20の法則

「上海では来年、

万博が開催されます。

パビリオンが急ピッチに

建設されていました。

物価は日本の

約10分の1ですが、

空気が悪く、

長期間滞在するには

適さないように

思います。

中国はGDPで、

間もなく日本を抜き、

世界第2位になると

言われています。

でも、かなり

貧富の差が拡大しており、

必ずしも中国全体が

豊かになっているとは

思いませんでした。」

懇意にして頂いている

U先生から、

私信を頂きました。

東アジアでの学術交流

を目的として、

学会の代表として

上海を訪問された

時の様子です。

「貧富の差が拡大」

という言葉に触れた瞬間、

ある法則が頭に浮かび、

とあるニュースを

思い出しました。

ある法則とは、

「80:20の法則」で、

「パレートの法則」

(パレードじゃないよ、

パレートだよ! 笑)

とも呼ばれ、

経済学においては

広く知られた

法則(らしい…)。

法則といっても、

自然科学の法則

とは違い、経験則

ではあるけれど…

例えば、

「所得税の8割は、

2割の納税者が

納めている」

あるいは、

「売上の8割は、

全商品の2割が

生み出している」

などなど。

特に、後者の

「売上の8割は云々」

というのは、

小売り業者にとっては

至極当然の経験則

らしく、上位2割の

品揃えが大切!

(らしい…)。

逆に、

2割の売上しか

生み出さない

残り8割の品揃えを

ネット上に用意して、

ビジネスモデルとして

成功したのが、

Amazonというのは

有名な話。

2割といっても、

母集団が大きければ、

その売上額が

とても大きな

数字になるから。

さてさて、

中国の話。

上述したように、

経済学的には、

「所得税の8割は、

2割の納税者が

納めている」

つまりは、

2割の高額納税者が、

8割の税収を支えて

いることになってる

はずだけれど…

現在の中国では、

低・中所得者が

65%の税収を

支えている

(らしい…)

あれ?

経済学的な経験則

にあてはまらない…

そう!

経済専門家いわく、

高額納税者は脱税

している(らしい…)

それは、

中国が所得を

監督管理する

システムを構築

できていない現状が、

そういう結果に

なっているという。

だから、ますます

「貧富の差が拡大」

するのかもしれない。

ところで、

「80:20の法則」

いろいろな場面でも

あてはまる(らしい…)

以前、

『人は見た目が9割』

というベストセラー本が

話題になったけれど、

それは、

「メラビアンの法則」

といわれる、

コミュニケーション

実験の結果が

もとになっている。

いわゆる、

人の行動が他人に

どう影響するか?

について、

「言語情報が7%で、

あとは、

38%の聴覚情報と

55%の視覚情報が

影響している」

という話。

それが当てはまるのなら、

「80:20の法則」も

当てはまるのかも…

つまり、

「人はその人の

2割の情報で、

8割理解する」

ということかな?

(かなり乱暴だけど…)

人って、

その人の8割も

本当に理解できる

のだろうか…?

たった2割の情報で。

おそらく、

理解した「つもり」

になっているのだろう…

ところで、

「80:20の法則」

こんなことも

言われている。

「故障の8割は

2割の部品が

原因である」

つまり、

2割を疎かに

していると、

8割の故障の

原因となる。

8割(80%)は

結果であって、

2割(20%)の

原因をしっかりと

把握しておかなくちゃ

いけません!!

ということかな?

恐るべし!「2割」

(≧∇≦)

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「思い込み」と「思いつき」

「2つの観測衛星

によるオーロラ撮影:

宇宙からの観察で

明らかになった

地球両極のオーロラの

非対称性」

科学誌『ネイチャー』

2009年7月23日号

の表紙を飾る

宇宙から見た

北極と南極の

オーロラの画像。

オーロラは

ご存じのように、

「太陽風」と

呼ばれる

プラズマ粒子と、

地球の磁力線が

関係する

発光現象で、

北極圏と南極圏の

地磁気の磁力線に

よって結びつけられた

場所(オーロラベルト)

で同時に、

ほぼ対称的に

発生しやすいことが

知られている。

科学界では、

それが「常識」

であった。

今回の解析で、

常にそうだとは

限らないことが

明らかにされた。

つまり、

「常識」は

「思い込み」に

過ぎなかったのだ!

ということかな?

たしかに、

「常識」は必要。

「そういうものである」

という発想から

スタートしないと、

地に足の着いた

議論ができない。

でも、

時には「常識」を

疑ってみることも

必要なコト

かもしれない。

だって、

「常識」は

単なる「思い込み」

かもしれないから。

「常識」を否定する

のではなく、

「常識」を疑ってみる。

そうすることで、

この「常識」とは

何だろう?

ということがわかる。

その時、

大切になるのは

「思いつき」

なのかな?

「あれっ?」

「おやっ?」

「あっ!」

こんな「思いつき」が、

あらたな発見に

結びつくことは

枚挙に暇がない。

「思いつき」は、

全く根拠のない

突飛押しもない

空想や妄想ではなく、

過去の知識や経験が

熟成されたもの

だと思う。

だから、

正しい?「思いつき」

(なんか変な表現…)

をするには、

正しい知識と経験

が必要なのだと思う。

今回、

『ネイチャー』に

掲載された新証拠も、

「思い込み」を疑う

「思いつき」があった

からなのだろう。

そう思わなければ、

膨大なデータを

解析する気にも

ならないはず…

「思い込み」と

「思いつき」について、

ふと思いを馳せる

記事だった。

でも、その一方で…

「思い込み」でも、

「思いつき」でも

どちらでもイイから、

地上から素晴らしい

オーロラを見たい!!

という想いが

強くなった

記事でもあった。

(*^-^*)

Cover_nature_2

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「大人になるということ」

「子どもが育つ

プロセスは、

ですから言語を

習得するという

だけでなく、

『私の知らない

ところですでに

世界は分節されて

いるが、私はそれを

受け容れる他ない』

という絶対的に

受動的な位置に

自分は『はじめから』

置かれているという

事実の承認をも

意味しているのです。

(中略)

あらためて

考えてみると、

実に不可解な

話だと思いませんか。

どちらも区別しがたい

ほどにへたくそな踊り

をしたのに、

一方は報償を受け、

一方は罰せられるなんて。

実は、

この物語の教訓は、

『この不条理な

事実そのものを

まるごと承認せよ』

という命令のうちに

こそあるのです」

(内田樹 『寝ながら

学べる構造主義』)

昨日、以前に読んだ

記述とシンクロする

瞬間と遭遇しました。

自分の患者さんに、

下半身が麻痺する

脊髄損傷の患者さんが

おられます。

昨日、その1人の

患者さんが来院

されました。

彼は、8年前、

高校生の時に、

交通事故で

下半身不随の

脊髄損傷を

受傷しました。

自分は、

7年前に他院からの

紹介をきっかけに、

診させて

もらっています。

昨日、会話の中で、

「何か辛いことはない?」

と聞いたところ、

「先生、そりゃぁ

生きていれば、

ツライことも

ありますよね!(笑)

でもね、先生のおかげで

脊損(脊髄損傷)だから

ツライ!って

思わなくなりました。

だって、今、

たった今、

健常者として

ふつうに歩いている

であろう自分と、

今の自分とを

『脳内比較』しても

仕方ありませんから!

はははははっ(笑笑)」

この言葉を聞いた瞬間、

とても感動しました。

それは、

高校生の時から

知る彼が、

ここまで「大人」に

なったのか!

という感動。

とてつもない

障害を持つように

なった自分の状況を、

「まるごと」、

本当に「まるごと」

承認している!

たとえそれが、

「強がり」で

あったとしても、

口に出して言う

コトが出来るだけで、

そう考えている!

と自ら確信を

得るコトが出来る!

そう思います。

だから、彼は

本当の意味で

「大人」に

なったのだ!と。

本当に、

患者さんから

教えられます。

年齢も性別も

関係なく。

自分に起こる

不条理な現実。

人はそれを

「まるごと承認」

することを

まずは拒みます。

「何か他に手だては

ないものだろうか?」

と探し求めます。

この状況を

受け容れる他に

手だてがない!

という状況を

知った上で。

その時の

「大人」としての

態度は、やはり、

「まるごと承認」

するというコト。

承認した上で、

自分は何をすべきか?

について熟慮する

コトが出来る人を

「大人」と

言うのでしょう。

人として

振る舞うと同時に、

「大人」として

振る舞うことが

できるのか?

そのことを

あらためて

考える直す

きっかけを

頂いたように

思う瞬間でした。

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そこは一面、花畑

「おぉ〜っ」

思わず声を上げる。

そこは一面に

広がる花畑。

しかも、

素敵な薫りを

ともなって。

土曜日の夕方、

お話と質疑応答を

終えた後、

足早に羽田空港へ

向かいました。

そして、

最終便で札幌へ。

新千歳空港に

到着した時には、

強い雨が

降っていました。

「明日も雨かな?」

そう思いながら、

その日は眠りに

つきました。

そして、昨日の朝。

「雨が止んでるっ!」

(*゚▽゚)ノ

さぁ、行こう!

と向かったのは、

ラベンダーで

有名な中富良野。

「夏の北海道」

に関する写真に、

必ずといってイイほど

登場する一面の花畑。

それは、

忙しい時間を

割いてでも、

どうしても!

見ておきたかった

風景だったのです。

しかも、その風景は、

7月下旬までしか

見ることが

できない風景。

そしてようやく

到着しました!

「ファーム富田」

やっと、

この風景に

出会うことが

できました!

ラベンダーの

淡い薫りに

包まれて、

花と戯れて

きました。

ただただ、

その風景に

出会うため

だけの旅。

でも、それは、

とても素敵な

瞬間でした!!

この風景を胸に、

今日からの

忙しい時間も

頑張れそうです!

o(*^▽^*)o

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多様性と一貫性

「多様性を持って、

 一貫性を持って」

日頃、懇意にして

いただいている

S先生の肝煎りで、

地域医療に

従事している

先生を前に、

臨床と研究の

お話をさせて

いただいた。

「当たり前のこと」

をお話しした

だけだけれど、

あらためて、

「当たり前」とは?

についても、

疑問を持って!

ということも

お話しする。

「当たり前」と

思っていることは

何なのか?

それをあらためて

考えると、

自分の進むべき

方向がわかる。

そして、

実際に進む時、

「多様性を持って」

すなわち、

「変化に富んだ

思考を許容しながら」

事に当たる。

でも、

「一貫性を持って」

すなわち、

幅はあっても

揺らがずに。

お話ししたことは、

自分がそのように

できている!

ということではない。

自分はそのように

考えている!

というだけ。

でも、

「有言実行」

お話しして、

自分に負荷をかける。

そうすれば、

より前に前に

進めるように

なるから不思議。

考えたコトは、

口に出したり、

書いたりすることで、

自分の考えが

あらためてわかり、

実行への近道となる。

まるで昨日は

そんな時間だった。

言った以上

自分はやるよ!

でなきゃ、

言った意味がない!!

o(*^▽^*)o

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自分のベクトル

「前向きに進む!」

前を向いている

ことはわかるけど、

どの方向に向かって、

どの位進んでいる?

時には、確認する

必要がある。

「自分のベクトル」を。

向きと大きさを持った

「ベクトル」を

可視化すると、

どの方向に、

どの位のスピードで

進めばイイのか?

あるいは、

どの位の力で

押せばイイのか?

がわがる。

ただ、

それがその先

どうなるのか?

まではわからない。

ドコに進むか?

進むための

向きとスピードは

示していても、

ドコにどんな風に

着くのかまでは

よくわからない。

さらに、それが

正しかったのか?

正しくなかったのか?

なんてさっぱり

わからない…

それでも、

前に進む。

進みながら、

「自分のベクトル」

を確認する。

時には、

立ち止まって、

「自分の軌跡」を

振り返る。

自分には、何が

できるのだろう?

果たして、

自分は、何を

してきたのだろう?

常にその確認作業の

繰り返し。

でも昨日、

あらためて気づく。

そうか!自分は

大切な誰かに、

大切な何かを

届けるために、

前に向かって

進んでるのだ!と。

そう気づいた瞬間、

Mr.Childrenの

『GIFT』が、

頭の中で流れた。

♪一番きれいな色

 ってなんだろう?

 一番ひかってるもの

 ってなんだろう?

 僕は探してた

 最高のGIFTを

 君が喜んだ姿を

 イメージしながら

 (……)

 今 君に贈るよ

 気に入るかなぁ

 受け取ってよ

 君とだから探せたよ

 僕の方こそありがとう

 一番きれいな色

 ってなんだろう?

 一番ひかってるもの

 ってなんだろう?

 僕は抱きしめる

 君がくれたGIFTを

 いつまでも胸の奥で

 ほら ひかってるんだよ

 ひかり続けんだよ♪

そして、

強い力で背中を

押されている

ことにも気づく。

だから、大丈夫!

きっと届けられる!!

最高の笑顔を添えて

o(*^▽^*)o

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きっと見ている!

こうして毎日ブログを

更新していると、

自分でも気づかなかった

「自分」というものが

見えてくることがある。

それは、よく謂われる

「書くことで、自分が

何を書きたかったのか

ということがわかる。」

というコトなのだろう。

「おかしくない?

わかっているから

書くんじゃないの??」

確かに!書き始めはね。

でもね、書き進めていく

うちに、あっ!そっかぁ!!

って思うコトがしばしば。

自分が考えたコトを

自分が理解するには、

沈思黙考するだけでなく、

アウトプットすることが

とても大切。

「それなら別に、

ブログじゃなくて、

人に見せない日記で

十分じゃない?」

確かに!

それでもイイかも。

でもね、この日記

ドイツんだ?

オランダ!

って自分ひとりで

自分に問いかけてみても、

自分の中でしか

わからないコト。

「自分」って、

コミュニティの中で、

「自分」を人に見せて、

どういうふうに「自分」を

表現したいのかを

理解するものだから、

「ほんとうの自分」

ブログの方が、

よりイイのだと思う。

自分のコトとは言え、

明らかに、

見られている!

って思いながら

書いているのは

紛れもない

事実だから。

人と人との

関わりの中で、

「自分」というものを

自分自身が知る。

それは、

自分が書いたモノ

だけでなく、

書いたモノに

寄せられる想いが

さらなる「気づき」

を与えてくれる。

自分のブログが

そうですが、

書いた記事よりも、

頂いたコメントで

ブログに書きたかった

コトが、さらに、

よくわかる。

さらに、際だつ!

そういうコトが

よくあります。

そのようなことを、昨日、

いつもコメント頂く

月のひかりさんのブログ

『ただいま妄想中』

の中のブログ記事

3時、そして3つのこと

に見つけました。

月のひかりさんの

「気づき」が、

書きたかったコトを

生み出し、

自分のブログにも

いつもコメント頂く

港湾人さん、

suwanaganoさんの

素晴らしいコメントと、

そのやりとりの中で、

ブログ記事が

さらに際だち、

そういうことか!

と理解が深まる。

そんな秀逸な記事でした。

誰かがきっと見ている!

そして、つながる!!

なんて素晴らしいコトでしょう。

でもそれは、

実際の人と人との

「つながり」だけでなく、

今はもうその声を

聴けなくなった人とも

つながっているのかも

しれませんね。

自分が思うコト。

あの人だったら

どう思うだろう…

自分の考えたコト。

あの人だったら

どう考えるだろう…

そう想うだけで、

自分の思いや

自分の考えを

あらためて考え直す

きっかけになる。

そうそう!

昨日素敵な花に

出会ってしまいました!!

池に咲く、

とても綺麗な蓮の花。

緑と淡いピンクの

コントラストが

とても美しい。

思わず「おぉ!」と声を

上げてしまいました。

そしてそれは、

あの人もきっと見ている!

そう思える瞬間

でもありました。

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三日日?

「あっ、見えた!」

そう言う人たちの

視線の先には、

三日月のような

カタチをした太陽が

雲間から姿を

現した瞬間でした。

みなさん、日食は

見られましたか?

自分は何とか

部分日食を見ること

ができました!

日食が始まった頃、

仕事の合間に

ホンのすこし空を

見上げた時には、

厚い雲に覆われて

太陽の姿は

見えませんでした。

11時を過ぎて、

これまた、

ホンのすこしの

空いた時間に外に出て

空を見上げると…

ちょうど雲間から

欠けた太陽が

姿をあらわした瞬間。

まるで三日月のよう。

(三日月ならぬ三日日?)

待ち望んでいた姿を

見ることが

できたのでしょう。

空を見上げた人々が、

「おぉ〜」っと

声を上げていました。

自分も思わず

「おぉ〜」

(夜、満月を見ると

「ワォーン」?)

夜遅く、自宅に帰って

今度は「皆既日食」を

見ました!テレビで…

何度か、映像で

皆既日食の瞬間を

見たことがありましたが、

「ダイヤモンドリング」

は、いつ見ても

感動しますね!

この目で実際に

見たかったなぁ…

とはいえ、

天体の織り成す

素敵なショーの瞬間、

「今、ここ」に、

自分が生を受けている

よろこびを感じます。

「2009年7月22日の日食」

というように、

映像で過去を

映し出すことが

できたとしても、

その時間に生きた自分は

一秒たりとも取り戻せない。

その瞬間、瞬間が

とても大切なコトは、

その瞬間よりも、

時間が過ぎてからの方が

よくわかるもの。

でも、「あの時…」

と思うよりもむしろ、

「今この時!」

と思いながら、

今を大切に生きていたい。

今日はどんなイイ日に

なるだろう…

笑顔で過ごしていれば、

よろこびの感度が

良くなり、きっと

イイ日になるはず。

(*^-^*)

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願いを叶えてもらうには

今日(7月22日)は、

日本で46年ぶりの

天体ショーである

皆既日食(日本の

多くの地域では

部分日食)が

観測できる日。

そんな今朝の天気。

太陽の約半分以上

食となる部分日食が

観測可能な地域での

雲行きが怪しい…

(≧m≦)

多くのみなさんが、

日食を観られ

ますように…

と心から願います。

o(_ _)oペコッ

こんな時は、

神様にお願いする

気持ちがとても

強くなりますね。

ところで、

みなさんは

どのようにして

神様に「お願い」

していますか?

神様への「お願い」

の仕方について。

どうして自分が

そのことを知って

いるかというと…

神主の伯父から

自分が訊いたのです。

(ちなみに、

伯父の1人は神主。

伯母の1人は

クリスチャン。

遠い親戚には

寺の住職と

神仏混淆の

親族ですが…)

ちなみに、

自分は小さい頃、

大人が手を焼く

「どちて坊や」

だったようです。

(*v.v)。

「どちて、おまいりのとき、

てをあらうの?」

「どちて、かみさまのまえで、

てをたたくの?」

というようにね!

(*´v゚*)ゞ

あっそうそう!

ここは、「お願い」

の仕方でしたね。

(≧∇≦)

手と口を清めた後、

神殿(あるいは神棚)の前で、

二礼二拍手一礼。

「どちて坊や」が

訊いたところに依ると、

柏手を打つのは、

神殿の奥に在す

神様を呼ぶため

だそうです。

そのためか?

格式が高い神宮

(伊勢神宮など)では、

あまりにも奥に在す

ために、4回以上

柏手を打たないと

神様に届かない

とのコトです。

(へぇ〜 へぇ〜:2へぇ?)

それを訊いた

「どちて坊や」。

伯父の神社の神殿で

4拍手したところ、

「うちは小さいから、

2回でイイ!!」と

たしなめられました。

(/ー\*)

さて次に、お願い事。

まず、神様へ

「いつもいつも

ありがとうございます!」

と感謝の気持ちを

必ず述べた後に、

「私は何処ドコに

住む某ですが、

お願いがあります。」

と言ってから、

お願い事を言うように!

と教えられました。

でないと、神様が

「訊くに及ばず!!」

と言われて、願い事を

訊いて頂けないようです。

それから、願い事は

自分のためにではなく、

人のために願うこと!

そして、

誓いを立てること!

とも教えられました。

例えば、学業成就なら、

人の役に立つために、

勉学の道をスムーズに

通して下さい。

そのためには、

勉学の苦しみに

耐えますから!

というようにね。

(*^ー゚)bグッジョブ!!

他に、例えば、

家内安全なら、

皆が無事に

暮らせますように。

そのためには、

自分は自らの務めを

果たしますから!

安産祈願なら、

無事に健やかな子供が

生まれますように。

そのためには、

産みの苦しみに

耐えますから!

みたいな。

(*≧m≦*)

なぜ?誓いを??

だって、

神様のお仕事は、

パスポートの文言

ではありませんが、

私たちが通るべき道を

「通路支障なく」通す

コトだからだそうです。

そのせいか?

神仏の力を「神通力」

って謂うでしょ??

(v^ー゜)

そしてそして、

願い事の最後に、

お礼を言うことが

大切だそうです。

しかも、笑顔で楽しく。

「願い事を訊いて頂いて

ありがとうございまぁーす!

うふっ♡」

みたいな。

(*^.^*)

「まかせなさい!」と、

神様に一肌脱いで

もらうためには

大切なコトです。

きっと素敵な

ご加護があるはず。

何か、神頼み的なコト

を書いてしまいましたが、

私たちの周りで

起こることすべてが

人智の及ぶものではない!

と謙虚に認め、

感謝する気持ちは

とても大切なコト。

そのうえで、

「人智を尽くして

天命を待つ」

ということこそが、

人としてすべき

態度ではないだろうか?

(難しいけど。)

「すべてを味方につける」

というのはそういうコト

なんじゃないかな?

さぁて、今日は

晴れますように…

そして、多くの方が

日食を楽しめますように。

そのために、

私は祈りますから!

というお願いの文言で。

( ̄▽ ̄)

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人を見る目

昨日初めて、ブログに

自分の好きな能・狂言の

コトを書いた。

今までなぜ?

書かなかったのだろう…

ところで、自分を

能・狂言の世界に

誘ってくれたのは、

神官であった伯父。

自分が小さい頃、

伯父に連れられ

とある神社で行われた

薪能を観たのが、

初めての能楽体験。

子どもながらに

とても感動し、

すぐにハマって

しまった。

でもアトで聞いた

話だけれど、本当は、

昨年の10月に

亡くなった伯母が

(「笑顔と一期一会」)

伯父に自分を連れて

行ってくれるよう

頼んでくれたから。

「(ひさは)きっと

能楽が好きになる」

と思ったのだという。

伯母は、何を見て

そう思ったのだろう…

実際その通りだったけど。

「人を見る目」って、

その人に秘められた

ものを見つけるイメージ

があるけれど、

秘められて見えないものは

誰の目にも見えない。

秘められたものとは、

現在(いま)はあまり

目立ってはないけれど、

確実に見えるもの。

見る人が見れば、

輝きを持って映る

仕草や目のかがやき

のコトを言うのだと思う。

それはやはり、

その人が欲しているもの。

それを見てよろこびを

感じるもののコトだろう。

そういう観察眼が、

「人を見る目」なのだろう。

「好きこそものの上手なれ」

好き!って想うコトは、

その人にとってのびる

きっかけとなる。

自分が能・狂言を

好きなのは伯母のおかげ。

自分が美術、特に

絵画が好きなのは、

自分を慈しんでくれた

叔母のおかげ。

自分がこうして感性を

磨こうとしているのは、

自分を育んでくれた

大切な人のおかげ。

3人に共通しているのは、

自分の好きなコト、

自分にとって大切なコト、

自分にとって必要なコト

をよく理解する観察眼

「人を見る目」を持ち、

そのコトのために

愛情を持って支えてくれた。

そのおかげで、

現在(いま)の自分がある。

「人を見る目」は、

自分のためでなく、

相手を思いやるために

必要な素養。

「人を見る目」を

養うためには、

相手への深い思いやり

がとても大切なのだと

あらためて感じた。

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『ぶす』と「無知」

今日は、

『ぶす』と「無知」

の話を。

「何をいきなり!」

って思われる方が、

いらっしゃるかも

しれませんね。

でも、大きな

「気づき」を

得たので、

「おすそ分け」を。

(o^-^o)

先日(7月18日)に

書いたブログ記事

パンドラの箱?

で思い出した

コトがありました。

それは、

とても有名な

狂言の演目

『附子(ぶす)』

です。

このブログに

書いたことは

ありませんが、

自分は、

能・狂言が好きです。

昨年の5月、

ホテルのラウンジで

珈琲を飲みながら

話をしていると、

隣のテーブルに

能楽師の梅若六郎さんが

座られたのに気づき、

スゴい偶然に

驚いたものです。

さて、

「附子」は

ご存じのように

「トリカブト」

のことです。

「トリカブト」の

花はとてもキレイな

色をしており、

観賞用にも使われる

多年草ですが、

根には猛毒の

アルカロイドが

含まれており、

毒として用いる時は、

「附子」を「ぶす」

といいます。

一方で、

弱毒化した「附子」は

漢方薬に使われ、

この場合は、

「附子」を「ぶし」

といいます。

ちなみに、

「ブス」の語源は、

毒の「ぶす」を

食ったような顔

のコトであるとも

謂われています。

さて、

狂言の演目

『附子(ぶす)』。

ご存じの方も

多いと思いますが、

あらすじを簡単に。

主人が、

太郎冠者と次郎冠者に

ある桶を見せ、

「附子という猛毒が

入っているから

絶対に近づくな」

と言って外出します。

留守番を言い付けられた

太郎冠者と次郎冠者。

附子のことが気になって

気になって仕方がなくなり、

桶の中身を覗きます。

すると、中には

大変おいしそうに見える

「附子」がありました。

太郎冠者がそれを

怖々なめてみると、

それはとてもおいしい

「砂糖」だったのです。

二人は桶にある

「砂糖」をすべて

食べてしまいました。

主人が嘘までついて

隠しておいた「砂糖」を

食べてしまった言い訳に、

主人秘蔵の掛け軸や、

天目茶椀を壊して、

大声で泣きながら

主人を待ちます。

帰ってきた主人は

その状況に驚き、

怒り、二人に事情を

聞きます。

そこで二人は、

「相撲をして、

掛け軸と天目茶椀を

壊してしまったため、

死んでおわびをしようと

「附子」を飲んだが

死ねずに困っている」

と言い訳し、

主人が途方に暮れる

というお話。

なぜ?

「パンドラの箱」

のブログ記事を

書いた時に、

狂言の『附子』

を思い出したのか??

それは、

「ダメだと言われると、

開けてみたくなる

のが人情」という観念が

話の重要な点に

なっているという

コトからです。

さて、

狂言の『附子』と、

「無知」のお話。

とても示唆に富んだ

記述に触れたのです。

それは、

抑圧の及ぼす

「無知の効果」

についての記述。

内田樹さんは

狂言の『附子』

を例にあげて

こう述べています。

「なぜ、太郎冠者の

偽装工作は一瞬のうちに

見破られたのでしょう。

ここが抑圧メカニズムの

かんどころです。

(中略)

太郎冠者は自分のことを

あらゆる可能性を

勘定に入れることの

できる狡猾な人間だと

思い込んでいます。

ところが、

その太郎冠者は、

「自分が嘘つきである

ことを主人は知っている」

という可能性だけは

みごとに勘定に

入れ忘れたのです。

(中略)

この無知は太郎冠者の

観察力不足や不注意が

原因で生じたのでは

ありません。

そうではなくて、

太郎冠者はほとんど

全力を尽くして、

この無知を作りだし、

それを死守しているのです。

無知であり続けることを

太郎冠者は切実に

欲望しているのです。

私たちは生きている限り、

必ず「抑圧」のメカニズム

のうちに巻き込まれています。

そして、

ある心的過程から組織的に

目を逸らしていることを

「知らないこと」が、

私たちの「個性」と

「人格」の形成に決定的な

影響を及ぼしています。

(中略)

私たちは自分を

個性豊かな人間であって、

独特の仕方でものを考えたり

感じたりしているつもりで

いますが、その意識活動の

全プロセスには、

「ある心的過程から

構造的に目を逸らし

続けている」という

抑圧のバイアスがつねに

かかっているのです。」

(内田樹 『寝ながら

学べる構造主義』)

これはとても大きな

「気づき」でした。

たしかに、

狂言『附子』の

終わりには、主人が

「人たらし。

やるまいぞ、やるまいぞ。」

(人をだましたな!

逃がさぬぞ、逃がさぬぞ。)

といって追いかけて

劇が終わります。

ここに、狂言『附子』の

「肝」があったのです!

これは自分の「無知」

でした。

さらに、

人間の「無知」は、

「ある心的過程から

構造的に目を逸らし

続けている」という

抑圧のバイアスである

というコト。

つまり、

「知らないコト」は、

敢えて努力して?

「知ろうとしないコト」、

「知りたくないコト」

なのだというコト。

自分にとって、

これはある意味とても怖い

「無知」の観念でしたね。

ソクラテスの言う

「無知の知」を知っている

ということで、

「『無知』を知っている」

と勘違いしていた自分を

とても恥ずかしく思います。

とても奥が深いですね。

でも、同時にとても

わくわくする感覚に

包まれました!

もっともっと知りたい!!

思うようになりました。

そして、

狂言がますます

大好きになりました。

(*^-^*)

長々と書いて

申し訳ありません。

m(_ _)m

今日は、3連休最終日。

ブログに触れて頂いた

みなさん!素敵な休日を!!

o(*^▽^*)o

そして、

素敵な「気づき」に

出会ったら、

ぜひ教えて下さいね!

(゚▽゚*)

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土用の丑の日

今日(7月19日)は、

「土用の丑の日」

「土用の丑の日」

といえば、

江戸時代に

平賀源内の

発案した

「丑の日に

『う』の字が

附く物を食べると

夏負けしない」

というコマーシャル

がきっかけとなり、

「うなぎ」を

食べるようになった、

と謂われていますね!

(o^-^o)

「あれ?どうしたの??」

このブログを

以前からご覧に

なっておられる方は、

「何をいまさら!」

と思われる方も

多いことでしょう。

(≧m≦)

だって、

このブログの中では、

自分の大好物である

「うなぎ」に関する

記事の多いこと、

多いこと。

(^-^;

何が言いたいか!

といえば…

今回は、

(1日早いですが…)

言い伝えを

しっかり守り???

「うなぎ」を食べた

という言い訳を

述べているのです。

(;´▽`A``

ただし、

自分の「うなぎ」は、

「土用の丑の日」

というよりも、

「土曜のうなぎ」

(*^-^*)

そして、

いつもご一緒する

お相手は、

恩師のK先生。

でも、

昨日は違ったのです。

K先生は理由(わけ)

あって休みを

取られており、

昨日の

「土曜のうなぎ」は、

自分が下の先生を

連れて食べに

行きました。

さすがに、有名店!

「土用の丑の日」は

翌日でも、

並んで待っている

人の列ができていました。

それでも、

今日は食べたい!

という気持ちからか、

静かに並んで待つ。

そして、ようやく

自分達の順番。

事前にオーダーを

きいてくれていた

「うな重」が

運ばれてきて、

美味しく頂きました。

ψ(`∇´)ψ

おなかも満たされ、

午前の仕事を終えた

安堵感からか?

食べ終えた後に、

「眠くなりそう」

とつぶやいた

そうです。

(まったく無意識に

言ったようで、

覚えてないのですが…)

すると、

一緒に食べていた

M先生が、

「眠そうですね…

ところで、

先生はどうして

朝早くから起きて

そんなに仕事が

できるのですか?

どうして、

そこまでして

いるのですか??」

と、突然、疑問を

投げかけてきました。

現在(いま)の

自分の仕事に

思うところが

あるのでしょう。

その質問に対して、

こう答えました。

う〜ん…

どうしてだろうね。

たぶん、仕事が

好きなんだろうね。

それと、

やらなければ

いけないことが

いっぱいある!

っていうのも

あるけど、

同時に、

やりたいことが

いっぱいある!

というコト

なんだよね。

だから、

身体を休めるだけの

睡眠をとれば

それで十分!

アトは自分の

好きなコトを

している!

って思うだけで

楽しいのさっ!

それから、

一度どん底を

味わって、

自分の卑小さを

イヤって言うほど

わかってしまうと、

アトはそこから

這い上がるしか

ないんだよね!

それには、

自分に与えられた

時間があまりにも

少な過ぎる!

だから、

朝早く起きよう!

って思ったんだ。

でも、ホントは

眠られなくて…

眠られないのなら、

起きていよう!

って思って

起きたのが

きっかけだけどね!

以上のように、

ありのままを

素直に言った

自分の言葉に

対して、M先生は

「へぇ〜」と

言うばかりでした。

う〜ん…

やっぱり難しいかな?

これって、

自分の体験からの

「偶然の産物」

だから…

(* ̄ー ̄*)

でもね、

「偶然」は

往々にして

「必然」である。

そう思うのです。

M先生に話した時、

昨年の8月に拝聴した

故山田泉さん

(山ちゃん)

の講演会のアト、

山ちゃんが自分に

話してくれた言葉を

思い出しました。

「いのちの授業」

を、もう一度

「人はいつか

必ず死ぬんよ。

そのことに気づいて、

大切な時間を

どう過ごすか

考えるんよ。

そのことに気づけば、

人は変わる。

必ず変わる。

そうすれば、

もっと良い

世の中に

なると思う。

そのためには、

自分もいつか

必ず死ぬ

ということを、

週1回くらいは

思い返さないとね。」

山ちゃんが

自らの身を持って

あらためて

教えてくれた言葉を

「今、ここ」で、

しっかりと

噛みしめています。

優しい笑顔で

話してくれた

山ちゃんを

思い浮かべながら。

さぁ!今日も

ガンバルぞぉ!!

「土用の丑の日」に

「うなぎ」で得た

パワー炸裂!

そして、

いつもの

笑顔でねっ!!

o(*^▽^*)o

P1000330

「うな重」特上!

P1000329

そして、完食!!

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パンドラの箱?

「前向きに進みつつ、

時に、後ろを

振り向いてみる。

そうすることで、

より前に前に

進めるような

気がする。

根拠はないけど。」

昨日のブログ記事

にはそう書いた。

昨日の朝に書いた

ことだけれど、

その日の出来事を

予兆として

感じていたのかな?

自分には

よくあるのです。

(虫の知らせ?)

しかも、それが

よく当たるのです。

ドンピシャに。

いわゆる科学者の

はしくれである

自分が言うのも

何ですけど…

でも、科学で

解明できない

出来事って

あるのも事実だし。

閑話休題。

昨日、

開けちゃったのです。

「パンドラの箱」を。

絶対に開けちゃいけない!

っていわれると、

開けたくなるのが人間。

(弱いものですね…)

それは、

洋の東西を問わず、

ギリシャ神話の

「パンドラの箱」も、

日本昔話の

「浦島太郎の玉手箱」、

「鶴の恩返しの扉」も。

すべて必ず、

「絶対に開けちゃ

いけない!!」って

事前に念押しされて

いるものばかり。

それで、

今回の「箱」がなぜ?

「パンドラの箱」か??

それはね…

開けた途端、

自分にとって

「災い」の感情

(苦しみや悲しみ、

恨みや妬みなどなど)

が飛び出してきた

からなのです。

とてもショックでした。

でも、それは、

誰かが意図して

傷つけたのではなく、

自分で勝手に

傷ついたのです。

誰かのせいでは

決してありません。

すべては自分のせい。

「真実は劇薬」

ですから…

でもね、

箱の下には、

「パンドラの箱」

の物語と同じく、

「希望」というものが

残っていたのを

見つけたのです。

「希望」さえあれば、

絶望の淵に

立っていても、

苦しくても、

悲しくても、

生きていける

ものです!!

あふれる涙を

ひとしきり

流した後は、

その「希望」の

おかげで、

「カラ元気」を

ブンブンブンブン

振り回すことが

できました。

自分のことながら

健気だなぁ〜

って思いましたよ。

でも、イイコトでしょ?

「健やかな気」って

書くのですから。

そして、

ブンブンブンブン

振り回してた

「カラ元気」が

「ホントの元気」に

なってきたのです。

それもこれも、

「希望」があるから。

あらためて、

患者さんに

「希望」を与える

大切さを想います。

それが、自分の

本当に大切な

仕事なのですから。

今日から3日間。

「カラ元気」から

変異した?

「ホントの元気」

で頑張れそうです。

自分自身が

「希望」を持ち、

患者さんにも、

そして、

大切な人にも、

「希望」を

与えるために。

明日(7月19日)は、

土用の丑の日。

一足早く、

土曜のうなぎ」で、

「ホントの元気」の

パワーを

チャージします!!

o(*^▽^*)o

ブログに触れて

頂いたみなさん。

本当に

ありがとうございます!

いつもコメント

頂く方々。

コメントは頂いて

いないものの、

いつもいつも

優しく見守って

頂いているあなた。

(「えっ!私?」

はい!あなたです!

(^-^) )

本当に本当に

ありがとうございます!!

「希望」が残った

「パンドラの箱」は今、

「感謝と愛情」で

満たされた素敵な

「熨斗」と「水引」

で飾られています。

自分は日本人

ですから、

日本人として

大切な心を、

日本人らしく

伝えたいものですね。

だから、

「パンドラの箱」も

日本風に

アレンジして。

(*^-^*)

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「ひさしぶりのI Miss You」

現在(いま)の

自分の生活の

一部として、

iPod touchは

手放せない。

音楽は当然のこと、

オーディオブックも、

そして、写真も。

自動車で言えば、

アイドリングや

ギアチェンジ

(オートマだから

しないけど…)

のような生活の

タイミングには

特に欠かせない。

そんな中、

iPodを使って

音楽を聴いて

いないのに、

頭の中を

ぐるぐるぐるぐる

まわる曲がある。

Dreams come trueの

『ひさしぶりのI Miss You』

昔なつかしい

ドリカムの曲を

ローテートしていて、

耳に心地良い曲が

何曲か頭に残る

うちの1曲。

この曲を聴くと、

昔のことを

思い出す。

♪昔の日記

読み返しては

おさらい

必勝法♪

昔の日記を

読み返せない。

書いてないから。

♪バカにしてた

占いとか

気にするよう

になって♪

占いは

気にならない。

見ないから。

なるほどね!

前向きに進みつつ、

時に、後ろを

振り向いてみる。

そうすることで、

より前に前に

進めるような

気がする。

根拠はないけど。

でも、大丈夫って

思うことができる。

今は頑張らなくても、

頑張ることが

できるから。

さて!

明日から三連休。

みなさんどうか

素敵な休日を

お過ごし下さいね!

(*^-^*)

自分は楽しく!

仕事します。

o(*^▽^*)o

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あっ!忘れた…

「あれ?ないっ!」

( ̄○ ̄;)!

電車を降りて、

銀行のATMの

前で思わず

そう言って

しまいました。

(^-^;

そりゃそう

ですよね。

キャッシュカードを

出そうとして、

財布がないっ!

のですから…

(≧m≦)

でも、

次の瞬間、

「今までとは違う」

と思ったのです。

今までなら、

焦ってたでしょう。

(実際、その昔

財布を忘れた時に、

焦って思わず

「お金を持ってきて!」

って頼んだことが

ありました…)

現在(いま)は

違います。

2つの理由で。

1つは、

財布を忘れても、

携帯があれば、

「おサイフケータイ」

として、モノを

買うことに困らない

という理由から。

それに、

忘れずに持ってきた

カード入れには

Suicaがあるから、

移動にも困らないし。

いわゆる

「電子マネー」

があれば、

困ることが

なくなったという

時代の変遷ですね。

もう1つは、

なければないで、

「何とかなるだろう」

と冷静に

思ったからです。

実際、何とか

なるものですね!

( ̄ー ̄)ニヤリ

その日たまたま

立替払いをしていた

お金を現金で

渡してもらい、

結局、現金を

手にすることが

できたのですから!

(*゚▽゚)ノ

「不思議な偶然」です。

その昔、

財布を忘れた時も、

たまたまその時、

現金を手にすること

ができたので、

お金を持ってきて

もらった大切な人に、

ランチをごちそうしました。

(* ̄ー ̄*)

今回、手にした現金も

本来自分の手に

渡るべき「お金」

だったのでしょうが、

こんな時に

手にしたお金は

「人のために遣おう!」

と決めているので、

ランチの後、

ちょっとした

時間を利用して

手にした現金を

遣いました。

ある人のために。

なくて困っている時に、

自分が手にするべき

「お金」であっても、

それが偶然、自分の

手に渡った瞬間、

得した気分に

なりますよね。

そんな得した気分は

独り占めしちゃ

いけないもの!

だと思っています。

まさに、

「幸せのおすそ分け」

たまたま自分に

まわってきたものは、

次にまわさないと

また自分にまわってくる

機会を失いますからね!

(*^ー゚)b

どこかで、

目に見えない

帳尻が合ってくる

ように思います。

「お金」だけでなく、

「人生のバランスシート」

みたいなものの帳尻が。

(o^-^o)

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あぁ夏休み!

今週初めから

夏休みシフト

となり、

「夏休み!」

という感覚が

実感される。

(かといって、

自分の夏休みは

まだまだ先の

話だけれど…)

今年の夏は、

昨年と違って、

本格的に?

休みを取ろう!

と考えている。

「何がしたい?」

と聞かれたら、

何もしない!

と答えるだろうなぁ…

「ん?どういう意味??」

ははは。(^-^)

ホントの

"vacation"を

過ごしたい

っていう意味。

(゚▽゚*)

それにしても、

「夏休み」

というと、

何だか特別な感覚が

立ち上がってくる。

「不思議な感覚」

とでも言うのだろうか?

夏休みには

いろいろな「偶然」

が待っているような

そんな気がする。

昨日の朝、

早速その「偶然」が!

梅雨明けしたの?

と思わせるような

(実際、関東甲信越では

梅雨明けが宣言された)

真夏の陽射しに

背伸びして

「おはよう!」

とあいさつしてる

ひまわりに

出会いました!

(* ̄ー ̄*)

あぁ夏休み!

という実感が

わいてくる

一瞬でした。

o(*^▽^*)o

P1000322

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確認作業?終了!

ブログに表示される

文字の大きさを

変更しなければ、

ドコモの新機種でも

自分のブログ記事を

見ることができました。

ということは…

やはり、

JavaScript機能が

利用できない

ということの

証なのでしょう。

「この文字の大きさ」

では、

読みづらいですよね。

新機種の

iモード不具合は、

いずれ改善される

はずです。

iモードの不具合が

報告された

ドコモの新機種を

ご使用の方には

ご覧頂けず

大変申し訳ありませんが、

従来のフォントサイズで

今後もブログ記事を

アップしたいと

思います。

自分が大切に

しなければ

いけないことは

何なのか?

というコトを

あらためて

確認しました!

なお、

今朝(7月14日朝)

のブログ記事の

フォントサイズは

従来の大きさに

変更し、

記事も若干

改変しました。

(今朝のブログ記事を

ご覧になっていない

方にとっては???

な文章ですが…)

それもこれも、

確認作業?が

終わりましたので!

(*^ー゚)b

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心の扉を開く鍵

「私の知人

友人の中には

脳科学の専門家が

養老先生、茂木さん、

池谷さんと三人いる。

三人に共通しているのは、

「オープンマインド」

ということである。

いつもにこにこしている。

これは「たまたま

そういう人だった」

ということではない。

この方々は、

人間は

「理解しがたいこと」

を受け容れ

理解しようと願い、

それを受け容れるために

脳の容量を

押し広げているときに

脳の情報処理能力が

最高速になることを

体験的にも理論的にも

熟知している

からである。

「心を開く」ときに、

脳の演算能力は向上し、

「心を閉ざす」ときに、

脳の機能は劣化する。

怒ったり、憎んだり、

嫉妬したり

しているときに

知性の機能が

上がるということはない。

これは確かである。

だから、

「怒っている知識人」とか

「不機嫌な研究者」

というのはそもそも

形容矛盾なのである。

怒ったり不機嫌に

なったりしていたら

脳のパフォーマンスが

下がることを

知らないのなら、

彼らは知的職業に

就くべきではない。

知っていて

そうしているなら、

彼らは自分の脳の

機能を最大限まで

向上させなければ

対処できないような

チャレンジングな課題に

直面していない

ということになる。」

御説ごもっとも! (゚▽゚*)

このブログ記事に触れ、

思わず膝を打った。

これは、

昨日の夜読んだ、

内田樹さんのブログ

『内田樹の研究室』

の記事

河合塾でお話

を採録したもの。

この記事を読んで、

自分としては

あらためて、

「機嫌良く」、

「笑顔」でいよう!

としていたことに

意を強くした。

「笑顔」でいると、

心の扉を開く

ことができる。

心の扉を開くために、

「笑顔」でいる。

自分にそのことを

身を持って

教えてくれたのが、

自分の大切な人。

この人は、

「天下無敵の?聞き上手」

という形容をしても

イイくらい、

ニコニコ笑顔で

「ふんふん、それで?」

と話を聞く人。

そんな笑顔で話を

聞いてもらえると

思わず饒舌になる。

ある時、

話し終わって

ふと気づいたことがある。

それは、

笑顔で話を聞くことこそ、

知性の証だと。

大切な人自身も、

ある時

気づいたようです。

イヤな思いに包まれて、

「笑顔」でいることが

少なくなっていた時期は

「斜に構えていた」

とのこと。

知らず知らずのうちに、

「心を閉ざし」ていた

のですね。

それが、

ある時から

楽しいコトが増え、

自然に

「ニコニコ笑顔」

が増えた途端、

「心の扉を開いている!」

と感じ、

いろいろな情報が

入ってくるようになったと。

実際、その時は

まわりの人からも

「開いた人」と

言われることが

多くなったとのコト。

(^-^)

心の扉を開く鍵は、

「笑顔」

そのことを

あらためて

確信しました。

o(*^▽^*)o

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屋久島の森は

「"自分がいる間さえ

よければいい"なんて

恩知らずです」

新幹線に乗って、

車内情報誌

『WEDGE』7月号に

掲載されていた

トップランナー

の記事を読む。

屋久島の木こり

高田久夫さんの

ことが書かれていた。

屋久杉(ヤクスギ)を

どんどん伐ることが

当たり前の時代から、

苗を植え続け、

島民の暮らしとともに

森を守ってきた

伝説の木こり。

「自分がいる間

さえよければいい、

なんていうのはダメです。

わしは島の木を伐ることで

生きてこられました。

だから、木を伐る

だけじゃなくて

森を守ることが、

自分が島にお返し

することで、

わしの義務です。

それが、きれいな仕事

だと思います。」

口先だけでなく、

実際にその仕事を

やり続けてきたからこそ

共感を生む言葉。

正しいと信じる道を、

ひたすら、愚直に

生きているからこそ、

評価される。

見る人は見ている。

あらためて、

そう感じた記事だった。

ところで、

屋久島の森は、

こうした人たちの

努力で守られている。

以前から行きたい!

と思っている屋久島。

今年の7月22日。

皆既日食を見るために

屋久島を訪れる人も

多いことだろう。

(自分は行くことが

できないけれど…)

屋久島に行けば、

その森の偉大さに

圧倒されるだろうけど、

自然と共存する

人の知恵と努力に

よって支えられて

いることにも

敬意を表しながら、

屋久島の森を

ながめていたい。

今は、屋久島の森を

想像しながら、

日々頑張って

いきます。

o(*^▽^*)o

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ケータイを変えてみた

“ポトっ”

「まただよぉ!」

(≧ヘ≦)

そろそろ変えなきゃ

いけないのかも…」

(≧m≦)

そう思っては

いたものの、

機種変更に

行く時間が

ないから…

とごまかしながら

使っていたが、

ついにごまかしが

効かなくなって

しまった。

ケータイの

裏にある

電池のカバーが

何かの拍子に

外れるようになり、

最近では、

ポケットから

ケータイを

取り出すだけで

外れてしまう

コトが度々あった。

そして、ついに…

外れたカバーを

割ってしまい、

電池がむき出しの

状態に。

通話やメール

よりも、

おサイフケータイ

として大切だし…

というわけで、

昨日の夜、

ドコモショップの

閉店まぎわに

機種変更を

する羽目に。

最近、ケータイの

使用頻度が少なく

なっていて、

これまでの

折りたたみ式の

ケータイを

開けることも

すこし面倒に

なっていた。

(ずいぶん懶に

なったものだなぁ…)

仕事で使うPHSは

開く必要がないし、

(当たり前!

折りたたみ式

じゃないから…)

iPhoneを意識してか、

タッチパネルの

ケータイが増えて

いるし…

とはいうものの、

これまで使っていた

ケータイのsearch

は結構便利だし…

などと、機種を

選んでいたけれど、

必然的に機種が

決まってしまった。

使ってみると、

これは結構

イケてるかも。

何より、

電話がかかってきて

通話する時に

開けなくてイイ!

( ̄ー ̄)ニヤリ

そんなにケータイで

メールもしないので、

スライド式なら

苦にならないし。

さらに、

気づいたのは、

電池を入れる

カバーにロックが

かけられる

ようになっている。

(やっぱり、

同じようなコトで

困ってる人が

いたんだろうなぁ…)

思わぬきっかけで

機種変更することに

なってしまった

ケータイ。

これから

よろしくね!

(*゚▽゚)ノ

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いとおしくて

「コクッ」

あれ?

「コクッ、コクッ」

あれ、あれ??

身体が舟を

漕いでいる。

「ストン!」

あれ、あれ、あれ???

力が抜け、

まるで「落ちる」

ように眠ってしまう。

昨日の夜、

自宅に帰り着いて

机に向かった

途端の出来事。

疲れている

という感覚が

なくもないけど、

とてもとても

疲れている

という感覚でない

ことは確か。

そんな状態で

机に向かっていても、

3秒ともたない…

抗っても仕方のない

状態だとあきらめ、

横になる。

横になったことは

覚えているけど、

その後のことは

全く覚えていないくらい

あっという間に

眠りにつく。

今朝起きる時も

疲れで起きられない

というコトはなく、

昨日の夜は、どう

したのだろう??

と不思議に思う。

まるで、

意識が落ちる

ような感覚だった。

でも、眠っている間

見た夢は覚えている。

昔の出来事が

走馬燈のように

次から次へと

映し出されていく。

それらすべてに

共通しているのは、

「いとおしい」

記憶ばかり。

どうしたんだろう?

とても不思議に

思う反面、

「いとおしい」記憶が

いとおしくて、

いとおしくて

たまらない。

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「凡人が一流になるルール」

「一流になるのは簡単。

でも、超一流に

なるのは難しいよ。」

自分が幼い頃、

叔父の恩師で

慶應義塾大学の

教授であった先生を

自分の実家に

お越し頂いた際、

小さな自分を

見ながら

お話しされた言葉。

その頃の自分は、

ただただ

「?????」

という感じだった。

なぜ?

そういう

話になったのか??

なぜ?

小さな自分に

そういう

話をされたのか??

前後の文脈は、

全くと言って

イイほど

覚えていない…

でも、

冒頭の言葉だけは、

鮮明に覚えている。

昨日の夜、

齋藤 孝さんの

『凡人が一流になるルール』

を読む。

これは、

PHP研究所が

発行する月刊誌

『THE 21』

に掲載された、

「使えるビジネス立志伝」

に一部追加編集して

再録された本。

自分にとっては、

「一流になる」

ためではなく、

ご高名な先生が

小さな自分に

向かって話された

言葉の意味を、

“齋藤流

「超一流」な人の

生き方解説書”

から読み取るため。

エジソンをはじめ、

6人の偉人の

「マイルール」を

解説した中の一節に

大いに得心する。

それは、

実業家 渋沢栄一

のルールを

述べた一節。

「複数の仕事を抱えて

混乱してしまうのは、

グランドデザインがなく、

ゴールやそこに至る

道筋を曖昧にしたまま

取り掛かろうとするからだ。」

ゴールをイメージすると、

ぼんやりとだけれど

着地点が見えてくる。

その着地点に向かって

ひたむきに進むと、

道が開けてくる。

まさに!

そう感じた昨日、

夜にその一節に触れ、

強く背中を

押された心地になった。

なんだろう…

求めれば、

道は開けるもの。

Where there is a will,

there is a way.

困難な道のり

であっても、

道が開けて

いるのだから、

ひたすら前に前に

進むのです。

今日も進むぞぉ!

笑顔でねっ!!

o(*^▽^*)o

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「死ぬかと思った」

昨日の午後、

ランチの後に、

すこし、

ホンのすこし?

書店に寄り道。

「今話題の本」

として高々に

積み上げられた

本に目が止まる。

『死ぬかと思った』

あれ?これって

2000年頃に

発売された本

なのでは…

どうして今、

話題の本に?

という疑問が。

どうやら、

クチコミで

そのおもしろさが

今まさに

広まっているらしい。

どうして

この本のコトを

覚えていたか?

それは、

自分の患者さんが、

待合で本を

読んでいる時、

笑いを堪えるのに

まさに必死の形相で

読んでいた姿を見て、

「どうしたのですか?」

と問いかけたところ、

「この本が可笑しくって」

といって示された

本がそれだった。

その印象があまりにも

強く残っていたから。

その日の夜、

書店に立ち寄り、

読んでみると、

何も考えずに

笑える本。

時折、爆笑

してしまう内容も。

昨日、

久しぶりに

その本に触れ、

数ページを

立ち読みした時も、

プッ!っと吹き出す

笑いを堪えるのに

必死だった。

`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!

ところで、

本のタイトル

「死ぬかと思った」

にある通り、

「死ぬか」と

思うような体験を

した後に、

「死ぬかと思った」

と思われるのは、

まさに、

生きているからこそ。

決して、

「死」をおろそかに

考えるのではなく、

「死ぬか」と思う

ような体験をして、

あらためて、

「生」の有り難さを

知ることもある。

生きているからこそ、

笑うことができる。

生きているからこそ、

笑い話にして、

「死ぬか」と思う

ような体験を、

誰かに伝える

コトができる。

命を大切に。

そして、

生きているよろこびを

笑いで表現しよう!

日本時間の

昨日未明(8日午前2時)

から執り行われた

マイケル・ジャクソン

の追悼式。

マイケル・ジャクソンの兄

ジャーメイン・ジャクソンが、

マイケルの愛した

チャップリンの

「Smile」を歌った。

自分は、

マイケルの歌う

「Smile」が

大好きだった。

悼む

マイケルの愛した

「Smile」の

歌詞にあるように、

心がはり裂けそう

なくらい辛い時も

笑顔でいよう!

昨日は、

いろいろな意味で、

「生」の有り難さを

あらためて感じた。

生きているからこそ、

笑うことができる。

笑うことで、

「生」のよろこびが

何倍にもなる。

だから今日も、

笑顔でいよう!

o(*^▽^*)o

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「目からウロコの愛の心得」

七夕の夜。

仕事の合間に

窓から空を

見上げて、

雲間から

姿をあらわす

まん丸の

月を見る。

本来なら、

キレイな星空に

願い事を…

と言いたい

ところだけど。

昨日の七夕は、

満月に向かって

願い事を

そっとつぶやく。

願うことは

ただ1つ。

「大切な人の

願い事がどうぞ

叶いますように」

ふと、最近心に

ひっかかっている

言葉が浮かぶ。

「『愛する』

というのは

「相手の努力で

私が快適になる」

ような人間関係

ではなく、

「私の努力で

相手が快適になる」

という人間関係

を築くこと

なのである。

それ以外の

どのような

人間関係も

『愛』という

言葉には値しない。

私はそう思う。」

(内田樹 『子どもは

判ってくれない』)

ポイントは2つ。

「相手が快適になる」

ということと、

「そのために

『私』が努力する」

ということ。

「恋は求めるもの

 愛は与えるもの」

というのは、

よく聞くフレーズ。

何を与えるか?

ばかり考えても

『愛』とは言えない

のじゃないかな。

「相手が快適になる」

には与えないことを

与えることもある。

(やはり「与える」こと)

1つは「しない」

という意味で、

もう1つは

「受け入れる」

という意味。

「受け入れる」

には「許す」

も含まれる。

『愛する』とは、

「相手が快適になる」

ことなのだから。

大切なコトは、

その前提に、

必ず、

「『私』の努力」

が存在する

ということ。

「『愛』が足りない」

というのは、

「『相手』の努力が

足りない」のではなく、

「『私』の努力が

足りない」という

ことなのだと思う。

「『私』の努力」

が大切なのだ!

ということが

今あらためて

心に強く

ひっかかっている。

愛が足りない?

それは、

まだまだ

自分の努力が

足りてない

のでしょう…

( ̄○ ̄;)!

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七夕の夜に

♪ささの葉

 さらさら

 のきばに

 揺れる♪

童謡

「たなばたさま」

の一節。

のきば(軒端)では

ありませんが、

病院地下の

売店の前には、

願い事が書かれた

多くの短冊が

笹に飾られて

いました。

「おばあちゃんがはやく

よくなりますように」

小さいお子さんが

書いたであろう短冊が

笹の一番高いところに

飾ってありました。

自分のコトではなく、

人のことを想いながら

願い事を記し、

祈りを込めて

飾り付ける。

人をそんな優しい

想いにさせる

七夕って、

とても素敵ですね。

ところで、

こんな私信を

頂きました。

「毎年恒例の七夕ですが、

今年の七夕は、

ただごとではありません。

ご存知でしたか? 

七夕の日は、

【満月】なのです。」

ただごとではない

かどうかは別にして?

(^-^;

めずらしい天体現象が

重なる夜であることは

事実です。

「満月」の月の出に、

「半影月食」という

月食が起こるのですから。

月食とはいっても、

みなさんご存知の

皆既月食や部分月食

とは違い、

月の欠ける様子が

見られるわけでは

ありませんが…

月が地球の

「半影」という陰に

隠れる現象です。

(皆既月食や

部分月食は

地球の「本陰」に

隠れる現象です。)

残念ながら、

肉眼で観測できる

ような現象では

ありませんが…

「月食だったんだね」

と想いながら見る月は、

いつもと違う感覚が

立ち上がってくる

ように思うのですが、

いかがでしょうか?

(* ̄ー ̄*)

いろいろな想いを

抱きながら

見上げる七夕の月。

これこそまさに、

昨日のブログ

で紹介した

竹内まりやさんの

「シンクロニシティ」

の歌詞の通り。

同じ月を見ている

誰かを想いながら

月を見上げる。

熱い想いが

届きますように。

そんな七夕の夜に、

星空を見上げるような

きっかけを与えるべく、

呼び掛けられている

「七夕ライトダウン」

公共施設をはじめ、

ランドマークの

照明を暗くして、

(ライトダウンして)

ちょっとしたECO活動。

ただ単に

照明を暗くして、

「エコロジー」

と言うよりも、

素敵な七夕の星空を

見上げてみませんか?

と言う方が、

ロマンチックですよね。

「七夕の夜ぐらい

照明を暗くしたところで、

何のECOになる?」

そう言う声が出る

かもしれませんね。

(昨日医局で、

その記事を見ながら、

そのように言ってる

人がいました。)

でも、

七夕の夜"ぐらい"

照明をおとすような

心の「ゆとり」は

持ちたいものです。

毎年夏に、

「仕事」で訪ねる

北海道のある町の

温泉では、

ほとんどライトがなく、

満天の星空を

見上げることが

できます。

さらに、

携帯も圏外になり、

現代文明から

解放される

ひとときです。

ほんの一瞬

不便ですが、

心はとっても

豊かな気持ちで

満たされます。

そんな「ゆとり」

を持ちながら、

七夕の満月も、

星空も見上げて

みたいと思います。

大切な人の願い事が

どうぞ叶いますように。

みなさんの願い事が

どうぞ叶いますように。

みなさんどうか

素敵な七夕の夜を

お過ごしくださいね。

( ̄▽ ̄)☆☆☆

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シンクロニシティ

昨日の午前中、

すべきコトを

し終えたアト、

日曜日の午後は、

気分的にも

久しぶりに

ゆっくりと

過ごすことが

できたひととき。

どこからか

聞こえてくる

竹内まりやさんの

澄んだ歌声に

心がほわっと

なりました。

聞こえてきた曲は

「シンクロニシティ

(素敵な偶然)」

♪ちがう場所で

同じ月を

見上げる時も

空を超えて

リンクするの

熱い想いは

Ah, すべてが

必然なんだと

教えてるの

Ah, あなたと

引き合う気持ちは

シンクロニシティ

シンクロニシティ♪

たまには

心地良い歌声を

聞きながら、

何もしない

日曜日の午後も

イイものですね。

(* ̄ー ̄*)

こういう時間を

過ごすのも、

「偶然」でなく、

「必然」なの

かもしれません。

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土曜のうなぎ

昨日の昼、

外来が終わった頃

K先生が診察室を

のぞきに来られた。

「お昼行こう!」

おっ!きたぞ。

( ̄ー ̄)ニヤリ

このブログを

読んで頂いている方

にはお馴染みの?

「うなぎ」です。

(*^-^*)

恩師のK先生も

自分も大好物の

「うなぎ」

ここ最近、

気温の変動が

激しく、

すこし身体は

バテ気味でした。

(^-^;

そんな時に、

「土曜のうなぎ」

ψ(`∇´)ψ

「土用」ではなく、

「土曜」です。

少なくとも

月に1度、

土曜日に食べる

「うなぎ」なので、

「土曜のうなぎ」

ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

今年の

「土用の丑の日」は

7月19日。

さらに、

7月31日も、

二の丑と呼ばれる

「土用の丑の日」

今度は、

「土用の丑の日」

を口実に、

今月はあと

1・2回、

「土用の土曜のうなぎ」

を食べることに

なるかもしれません。

;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

K先生との

「お昼」は、

おいしい「うなぎ」

とともに、

機知に富んだ

お話を伺うことが

できる、楽しく

貴重な機会。

身も心も、

元気になる食事

こそが、

脳を元気に

させてくれる

食事なのでしょう。

心から尊敬する

恩師との出会い。

さらには、

恩師とともに、

美味しいものを

おいしく頂く。

とてもとても

有難いことですね。

( ̄▽ ̄)

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「ほんとうの自分」

「それは

「ほんとうの自分」

というのが

まるっきりの

「作り話」だからです。

ぼくたちが

「ほんとうの自分」

に出会うのは、

ぼくのことを

まったく知らない

人間に向かって、

「自分の過去」

を物語るときです。

「私のことをまったく

知らない人間」

じゃないと困るのです。

だって、

話すことは、

嘘ばっかりなんだから。

(中略)

「私たちの過去の記憶は

前未来形で語られる」

というのは

ジャック・ラカンの

名言です。

ぼくたちが自分の

「これまでの自己史」

についてながながと

聞き手に語るのは、

話し終えたときに、

「自分はこれこれ

こういう人間である」

と聞き手に思って

欲しいからです。

これは聞き手の中に

ぼくにとって

都合の良い自己像を

植えつけるために、

ぼくたちは過去を

思い出すのです。

(中略)

もちろん、

いくら嘘と言っても、

ある程度、

基本的な事実は

動かせません。

その事実を組み合わせて

物語を作るときに、

あるエピソードを

落として、

この部分はちょっと

膨らまして…

というふうに

いじっていると、

同じ過去でも、

まるで違う

人物像が描けます。

「全部事実の作り話」

ができるわけです。」

(内田樹 『疲れすぎて

眠れぬ夜のために』)

とてもおもしろい

表現だと思いませんか。

「ほんとうの自分」

が「作り話」

だというのは。

「ほんとうの自分」

って分かりっこない!

自分ですら。

「ほんとうの自分」

があるとすれば、

それは「作り話」だよ。

そんなふうに

考えると

とても気が

楽になります。

じゃあ、

「ほんとうの自分」

が「作り話」だとして、

どのように自分を

表現して生きるの?

それは、

ある時に

「**のふり」をして、

またある時に

「##のふり」をする。

そして、

その時々に合わせて

「らしく」生きる

ということでしょうね。

だから、

「ほんとうの自分」

というのは、

変化して良いのだと

思います。

むしろ、

変化して当然?

あるいは、

変化しなくちゃ変?

みたいな。

(o^-^o)

さぁて、

今日はどんな

「モード」の

自分なのでしょう。

どんな「モード」

であっても、

笑顔はつねに

絶やさずに

いたいですね。

o(*^▽^*)o

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「言葉」は信じるに足るものか

昨日、

会議が終わって

帰り際、

書店に寄り道。

ふと手にした

『PHP』7月号に

養老孟司さんが

語った「言葉」が

掲載されていた。

「たしかに、

言葉で元気づけられる

こともあるでしょう。

でも、

言葉にそうした

プラス面がある

ということは、

同じだけ

マイナス面も

あるということ。

いくらいい言葉で

励まされる

ことがあっても、

次にイヤな言葉に

傷つき、落ち込んで

しまうのなら、

いつまで経っても

言葉に振り回されて

しまいます。

では、

どうすればいいか。

「人が何を言おうが、

どう思おうが

知ったことではない」

そのくらいの気持ちで

いることです。

そもそも

言葉というものは

非常に

いいかげんなもの。

ところが現代は

「言葉=真実」

と受け止めて

しまう人が

多いんですね。

(中略)

だから、

言葉をまともに

受け止める必要

なんてない。

イヤなことは

かわしてしまえば

いいんです。

それは真実とは

違うのですから。」

ふむふむ。

「人の心を

わかろうとする人は、

相手の言葉に

真剣に耳を

傾けるものです。

それは

「自分にはわかって

いないことがある」

ということが

わかっているから。

だから、

話すよりもまずは聴く。

こうした言葉との

つきあい方が、

何かを学ぶにしても、

人と関係を築くにしても

大事なところです。」

(「言葉」は

信じるに足るものか)

そうですよね。

人の言葉に耳を傾け

受け容れる器を

大きくしておく。

そして、

言葉に一喜一憂して

振り回されることなく、

ストックしておく。

どのくらい真剣に

人の話を聴くことが

できるか?

それには、

「心」が大切

だと思うのです。

話す人の「心」

聴く人の「心」

聴くとは

「耳」を使って

「心」を聴くのです。

「聞く」のではなく、

「聴く」のです。

聞くには

「耳」があっても

「心」がありませんから。

「『言葉』は信じるに

足るものか」

とても上手い

表現ですよね!

それは、

「言葉」というものは、

信じるに足るものであり、

信じるに足らないもの

でもある。

そう思うと、

すこしは気が楽に

なりませんか?

(*゚▽゚)ノ

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人の心に寄り添う存在

自分がいつも

拝見させて頂き、

心優しいコメントを

寄せて頂く

suwanaganoさんの

ブログ(Fuwari fuwari)

には、よく素敵な

ワンコが登場します。

昨日、ブログに

お邪魔した時も、

ちょっぴり

おすましした

ワンコの姿に

心が癒されました。

犬ってホントに、

人の心に

寄り添ってくれる

存在ですよね。

(自分は明らかに

"犬派"です。)

昨日偶然、

今年の8月8日から、

『ハチ公物語』の

ハリウッド版?

『HACHI 約束の犬』

が公開されることを

知りました。

犬にまつわる

映画は多いですね。

4月にニューヨークに

向かう機内で、

『マーリー

世界一おバカな犬が

教えてくれたこと』

を観ました。

(ホントに映画館で映画を

観なくなってしまいました…)

犬を育てている人間も

同じように成長する姿は、

まさに、犬が人の心に

寄り添ってくれる存在

だからこそ。

何も語らなくても、

そばにいて、

その健気な姿を

見ているだけで

癒されます。

でも、それは、

犬が人の心に

そっと寄り添って

くれているから

ですよね。

何もできなくても、

人の心に寄り添うことで

癒されることもある。

犬だからこそ

できるのかも

しれませんが、

人として、

人を癒すこと

について考える時、

犬から学ぶことも

大いにありそうです。

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夢を語れ

昨日(6月30日)の

『プロフェッショナル

 仕事の流儀』

のゲストは、

大手自動車メーカーが

開発している

燃料電池自動車(FCV)

開発責任者

藤本幸人さん。

昨日の夜遅く

(今朝?)

録画で観る。

タイトルコールである

「夢を語れ、

不可能を越えろ」

のごとく、

実現の困難な状況で、

夢を語りながら、

夢を実現していく

姿に心が動いた。

しかも、

淡々とした表情と、

淡々とした仕草で、

淡々と仕事を

進められている。

ギラギラとした

情熱だけでもない。

かといって、

冷ややかな

態度だけでもない。

時に熱く、

時に冷静に。

「未来の車」という

夢を実現する姿。

やはり、夢を

忘れちゃいけない。

いつまでも、夢を

語り続けなくちゃ

いけない。

現在(いま)の

経済状況では、

新型自動車の開発は

非常に困難。

その真っ只中にあって、

着実に前へ

進めるためには、

淡々とした態度に

なるのだろう。

確かに、

困難であっても

「苦しい!」

というのでもない。

人は苦しいだけでは

到底続けられない。

すこしずつではあるけれど、

夢に近づいている!

と思えばこそ、

がんばることができる。

逆に、

満たされているよりも、

すこしくらい(かなり?)

足りていない方が

イイのかもしれない。

足りてない部分を

満たそうとして

がんばるものだから。

(大変だけど…)

がんばり続けられる

エネルギーの源の1つが、

「自分には夢がある!」

という思い。

実現が困難で

あればあるほど、

夢を持ち続け、

語り続ける

ことがとても大切。

分野は違えども、

自分も困難な

状況の中で、

夢を持ちながら

前へ前へ

進んでいる。

「自分には夢がある!」

そして、

「がんばるっ!の源」

に背中を押されながら、

今日もガンバル!のです。

o(*^▽^*)o

今日から7月。

「文月」とも

称される7月。

恵みの雨に

清められながら、

新たな気持ちで

今日も生きて

いきたいですね。

(*゚▽゚)ノ

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