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2010年5月

リングワ・フランカ

アメリカに到着して

はや3日目の朝。


移動、食事、宿泊や

買い物など特に不自由は

感じないけれど、

医学・医療の会話や

討論はすこし勝手が違う。


それは先日の

内田樹さんのブログ記事

「リンガ・フランカのすすめ」

にあった通りの背景

なのだろう。


ここにその一部を

採録します。


「言語は政治的につよい

意味を持っている。

母語が国際共通語である

話者は、マイナー語話者

(たとえば日本語話者)

に対してグローバルな

競争において圧倒的な

アドバンテージを

享受できる。


なにしろ世界中どこでも

母語でビジネスができ、

母語で国際学会で発表が

でき、母語で書かれた

テクストは(潜在的には)

十億を超える読者を

擁しているのである。

自国のローカルルールを

「これがグローバル・

スタンダードだ」と

強弁しても、有効な

反論に出会わない

(反論された場合でも、

相手の英語の発音を

訂正して話の腰を折る

権利を留保できる)。


だから、

自国語を国際共通語に

登録することは、

国家にとって死活的な

戦略的課題である。


(中略)


私からのご提案は

とりあえず一つだけ。

それは、

びっくりされる方も

おられると思うが、

「英語」という包括的な

名称の廃絶である。


かわりに暫定的に

「lingua franca」という

言語カテゴリーを作る。

かつてヨーロッパに

おいてはラテン語が

そうであった。

知識人たちはローカルな

国語を生活言語として

持つ一方で、ラテン語で

著述し、書簡を

取り交わした。


私はこの

「リンガ・フランカ」

はフェアな仕組み

だったと思う。

というのは、

ラテン語については

「ラテン語を母語とする

国民」というものが存在

しなかったからである。


知的競争に勝つチャンス

は、とりあえず

ヨーロッパの言語圏に

おいては平等に

分配されていた。

この状況を21世紀の

リンガ・フランカに

ついても適用すべき

ではないかと私は思う。


では、

「英語」ではないところの

「国際共通語

(リンガ・フランカ)」

とは何か。


福岡伸一先生が

こんなエピソードを

紹介していた。

アメリカで分子生物学

の学会があった。

福岡先生がその開会

セレモニーに参加

したとき、学会長の

挨拶があった。

学会長はドイツ人の

学者であった。


彼はこう言った

そうである。

「この学会の公用語は

English ではありません」

会場はどよめいた。

ではいったい何語で

学会は行われるので

あろうか・・・

学会長はこう続けた。

「この学会の公用語は

Poor Englishです」


私はこの構えを

支持するものである。

Poor English は

シェークスピアや

ポウを読むための

言語ではない。


それは

「英語を母語としない

人々同士が意思疎通を

果たす」という目的

だけに限定された

リンガ・フランカである。


Poor Englishを

オーラル・

コミュニケーションの

場で用いる際の

いくつかの規則を

ここで定めておきたい。


(1)決して話者の発音

を訂正してはならない


(2)決して話者の

文法的間違いを

訂正してはならない


「発音の間違い」や

「文法的な間違い」が

指摘できるということは、

「正しい発音」や

「正しい文法的表現」が

「正解」として知られて

いるということである。


正解がわかっている

からこそ、それが

「誤り」であるとして

訂正可能となるのである。


正解がわかっている

ということは、話者が

「何を言いたいのか」

はすでに知られている

ということであり、

それはPoor English

においては十分な

コミュニケーションが

成立していると

みなされる。


(3)ただし、

自分より話すのが下手な

人の「言いたいこと」を

より適切な文に

「言い換え」て対話を

継続することは許される。


(4)Poor Englishは

学校教育のどの段階から

開始しても構わないが、

教師は「英語を母語と

しないもの」とする。

とりあえず、

私が思いついたルールは

以上の4点である。」

(@内田樹

『内田樹の研究室』

「リンガ・フランカ

のすすめ」)


英語を母国語とする

人たちのアドバンテージ

をアメリカに来る度に

思い知らされる。


でもそれは、

知性の優劣を規定

するべきアドバンテージ

では決してない。


言語はあくまでも、

コミュニケートする

ための手段であって、

英語でのオーラル・

コミュニケーションが

すこしくらいできない

ことが、知性が劣って

いるのだと読み替え

ないようにしたい。


そう言いながら、

自分の英語表現能力の

低さを言い訳してる…

(≧m≦)


とはいうものの、

アメリカに来る度に、

ブラッシュアップされて

いるのがよくわかる。

(* ̄ー ̄*)


それは、

国際的にコミュニケート

するための、

リングワ・フランカ

として。

( ̄ー ̄)ニヤリ


そして、

「継続は力なり」

あらためて、

この言葉の意味を

かみしめる。

o(*^▽^*)o

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プロとして、アマの眼から

おはようございます。

iPadからブログ記事を

アップしています。

(* ̄ー ̄*)


自分は今、

サンフランシスコに

います。


こちらに来る機内で、

2本映画を観ました。

1本は、

マイケルジャクソンの

『This is it』であり、

もう1本は、

岡村隆史さん主演の

『てぃだかんかん』

でした。


1本目の

『This is it』は

説明がいらないかも

しれませんが、

マイケルが存命であれば

とても盛り上がったで

あろうロンドン公演の

リハーサルを記録した

映像です。


リハーサルの映像にも

関わらず、まるで

ロンドン公演そのものを

観ているかのような

マイケルジャクソンの

真剣な取り組みに、

強い感動を覚えました。


プロフェッショナルと

云うのは、こういうもの

なのだろうと感じました。

いつでもプロとして

振る舞う気持ちと姿が。


2本目の

『てぃだかんかん』は、

サブタイトルに

「海とサンゴと小さな奇跡」

とあるように、沖縄で

世界で初めて人工サンゴ

の養殖、移植、そして

産卵を成功させた

金城浩二さんの物語です。


映画の中で、金城さんの

取り組みを学会で報告する

シーンが出てきますが、

これなどは学術的な専門家

がアマチュアをバカにする

典型的な姿でした。


学術的な面ではアマチュア

であっても、サンゴに

対する思いは真剣で、

その観察眼、理念は正しい

ことを結果をもって

示すこと。


そんなアマチュアの眼、

アマチュアの心を

見下していては、

本当の意味での

プロにはなれません。


どんなに素晴らしい

プロフェッショナル

であっても、

誰しも最初は

アマチュアであった

はずなのです。


強い情熱を持って

自分がこうしたい!

という気持ちが、

アマチュアから

プロフェッショナルへと

次元が上がった

はずなのに…


その気持ちを忘れて、

自分はプロであると

自負するのは、

本当の意味での

プロフェッショナルでは

ないでしょうね。


プロフェッショナルの

矜持というのは

アマチュアをバカに

することで維持する

ものではないはず…


自分もプロのはしくれ

として、驕ることなく

取り組んでいくように

と感じた作品でした。


また、

エンディングテーマが

自分の好きな

ミュージシャンの1人

である山下達郎さんの

「希望という名の光」


バラードながら、

どんなに厳しい状況でも

「希望」を持って

進む力強さを感じる

映画のエンディングに

相応しい素敵な曲です。


そんな思いを胸に、

アメリカに到着し、

プロとしての自分の姿、

プロとして自分の

為すべきことに

あらためて向き合った

昨日でした。


今日も頑張りますっ!

o(*^▽^*)o

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こんにちは!

こんにちは!

ヽ(´▽`)/


早朝からご覧

頂いている方は、

「朝から何言ってるの」

と訝っておられる

かもしれませんね…

(^-^;


でも、

こちらはいたって

真面目です。

(@Д@;


今、アメリカにいます。

こちらは午後の2時。

日本では午前6時を

まわった頃でしょうか?


昨日の夕方

成田を発って、

現地時間の午前11時、

日本時間の午前3時頃

こちらに到着しました。


そのため、しばらくの間

ブログをアップする時間が

不規則になると思います。


こちらはとても

イイお天気です!

ところで、

今ドコにいるとか、

機内での様子については

後ほどアップします。


取り急ぎ、

無事到着のブログ

記事でした。

(o^-^o)


今日もご覧頂いて

ありがとうございます!

ブログに触れて頂いた

みなさま、どうぞ

よい週末をお過ごし

下さいね!!

o(*^▽^*)o



P1010097_4

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「iPad」がやってきた!

昨日、

ついに手にした「iPad」

ヽ(´▽`)/


昨日の午後は会議に

参加するための出張で、

移動中はアクチベートと

設定に時間を費やし、

そしてようやく夜から

いろいろと触れてみた。

(* ̄ー ̄*)


画像が鮮明で、

サクサク動くiPad


出張などの時は、

パソコンを持ち歩く

ことなく、iPadだけで

仕事ができてしまいそう。

(゚▽゚*)


仕事だけじゃなく、

遊びもねっ!

(*^ー゚)b


ますます楽しく

過ごせそうな予感

o(*^▽^*)o



P1010095_2


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すでに2年が経っていた…

このブログを始めて、

5月14日ですでに

2年が経っていた…

(≧∇≦)


1年経過した時は

1年経ったんだぁ!

(゚▽゚*)

という思いがとても

強かったことを記憶

しているけれど、

その後も毎日毎日、

日本にいる時ばかり

じゃなく、海外にいる時

も毎日毎日、何かしら

更新していると、

あっという間に

2年が過ぎていた。


だから、今年の

5月14日は何事もなく

スルーしていて、

今になってあらためて

気づいたのです。

2年が経っていた

というコトを…

( ̄○ ̄;)!


毎日毎日続けている

自分に驚くよりもむしろ、

毎日毎日ご覧頂いている

みなさまに心から感謝

する気持ちが強い。


そしてさらに、

自分の感性のままに

つづっているブログ記事

にもかかわらず、

おもしろいとか

励まされたなどという

コメントまで頂いて

本当にうれしい限りです!

ヽ(´▽`)/


(厳しいコメントも

当然?!受け容れ、

しっかり噛み締めて

いますよぉー!!)


ご覧頂いているみなさまに

心からお礼の気持ちを!!

本当に本当に

ありがとうございます!!

m(_ _)m


そして、

これからもどうぞ

よろしくお願いします!!

(* ̄ー ̄*)


そうしているうちに、

来年の今頃も、

「知らないうちに

3年経っていた…」

なんて書いてるのかな?

ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ


ブログに触れて頂いた

みなさまに、

最上級の幸せを!

そして、今日も

素敵な時間をお過ごし

頂きますように…

o(*^▽^*)o

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穏やかな気持ち

いつもなら、

「慌ただしい」とつい

口にしてしまう頃なのに、

同じように忙しくても

今はなぜかそんな言葉を

口にすることが

ほとんどない。


何だろう…

とても穏やかな気持ち

に包まれている。


かといって、感動が

ないワケじゃない。

むしろ、楽しく、

幸せに感じる時間は多く、

感動することも多い。


「穏やか」って

変化が少ないことを

云うのではなく、

変化を噛みしめて

よろこびや感動を

包み込むように

受け容れること

なのだろう、きっと。

(* ̄ー ̄*)


そんな穏やかな気持ち

に包まれて、今日も

いつもの忙しさに

飛び込んでいく。

o(*^▽^*)o


気候が不安定です。

ブログに触れて頂いた

みなさま、どうぞ風邪

など召しませぬように…


自分の鼻声も

すこしずつ良く

なってきました。

(o^-^o)

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準備をすれば

例えば、

どこかに旅に出かける

予定があるのなら、

出かける準備を

するのは容易い。


いつどこへどれくらい

行くのかわかって

いるのだから。


でも、

人生という旅では、

事前にわかっている

ことばかりじゃない。


「じゃあ、

どうすればイイ?」

う〜ん…どうすれば

イイんだろうね?

( ̄ー ̄)


どんなときも焦ることなく

ちゃんと対処する

人を見ていると、

まるで事前にわかって

いたかのよう。


それはきっと、

心の準備ができて

いるからだろう。


こんなことも、

あるかもしれない…

って頭の片隅で

すこしでも考えていると、

あるかもしれないことが

起こった時に慌てる

必要がない。


こんなことは

起こるはずがない!

と考えているからこそ、

こんなことが起こった時に

慌ててしまう。


「かもしれない…」

と考えてばかりいる

わけじゃないけれど、

「もし…」などと

思考実験したりすることは、

悪いコトではないと思う。

事前にはこれから何が

起こるのか、誰も

わからないのだから。


「石橋を叩いて渡る」

渡るために叩いてみる

のであって、叩いて

終わるわけじゃない。


ところで、

上述の焦らず対処する人。

事前にわかっていたかの

ように振る舞っていた

にもかかわらず、後で

「こんなこともある

ものなんだねぇ」と

当の本人もビックリ

そういうものなのですね、

きっと。

(* ̄ー ̄*)

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災厄を最小限に抑えるには

5月も残り1週間となり、

5月が終わるとともに

「五月病」ともおさらば

したい人も多いはず。


身体の不調があるときは

気をつけるものだけれど、

むしろ怖いのは無症状、

いわゆる「サイレント」


巨人の故木村拓哉コーチ

はくも膜下出血で倒れた

けれど、これもいわゆる

「サイレントキラー」

特徴的な症状の強い頭痛

は出血時のもので、

その引き金となる高血圧も

自覚症状がほとんどなく、

原因である脳動脈瘤

にいたっては無症状。


悪性疾患であるがんも同じ。

小さいうちは無症状。

だからこそ、

検診が大切なのです!


年に1度、

地域検診のお手伝いを

しているのだけれど、

地域の保健師さんが

検診の未受診者に

アンケートを取ったところ、

「自分は健康だから」

「検診を受ける暇がない」

という答えが圧倒的に

多かったのだけれど、

「検診で病気が見つかる

のがこわいから」という

不思議な?回答もあった

のだという報告を受けた。


気持ちはわからなくもない。

でもね、災厄を未然に防ぐ

あるいは、最小限に抑える

ためにも、災厄を見て見ぬ

ふりをすることが一番

危ないことなのに…


災厄を最小限に抑えるには、

災厄はすぐそこにある!

という危機感知能力を

高めること。それは、

危機を見て見ぬふりする

ことや臭いものに蓋をする

ことではなくて、

危機に向き合うこと。


そこに危機があると

わかるからこそ、危機を

避けて通ることができる。

検診は危機ではなく、

災厄を未然に防ぎ、

災厄を最小限に抑える

ためにあるもの。


年度が変わり、

職場や地域で検診が

行われています。

是非、受診して下さいね!


さらに大切なコト。

それは、検診結果をもとに

「要再検」とある場合は

必ず再検査を受ける

ようにして下さいね!


検診で引っかけるのは、

災厄を最小限に抑えるため

なのですから。

必ず、必ず。


それに、

検診で引っかかったのは、

災厄を最小限に抑える

ようにと、天があなたに

味方してくれた証拠。


検診で引っかかって、

「最悪っ!」などと言わず、

素直に耳を傾けて下さいね!

(*^-^*)


特に女性の方へ。

女性特有のがん検診を

是非毎年受けて下さいね!

「できそこない」より

愛を込めて…

(* ̄ー ̄*)

「できそこない」

より愛を込めて

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ホスピタリティについて

初夏の陽気から一転、

春の嵐のような

天気だった昨日。


昨日の夜、

何気にTVを見たら、

ペニンシュラ香港の

サービスを紹介して

いる番組があった。


2007年には東京にも

ペニンシュラが開業し、

多くの人に知られている。


宿泊客の要望に応える

「最高のホテル」を

目指して開業した

ザ・ペニンシュラ香港。


設備が充実しているのも、

宿泊客を満足させるため。

サービスが行き届いている

のも宿泊客を満足させる

ため。いわゆる、

「ホスピタリティ」の精神。


その番組の中で、

多くのスタッフに共通して

いたのは、自分は

ペニンシュラのスタッフで

あるという「矜持」。


自分が幸せであることは、

宿泊客を幸せにするために

大切なコトだと考え、

自分が知識を得たり、

自分が思うサービスを

自分が率先してすることも、

宿泊客を幸せにするため。

そんな思いが感じられた。


自分さえ幸せであれば…

なんて気持ちでは、

いつまでも感じるコトの

できないであろう気持ち。


相手の幸せが自分の幸せ。

そして、自分の幸せを

「おすそ分け」する

ような、そんな気持ち。

それがきっと、

「ホスピタリティ」

なのだろう。


だから自分は、

この「ホスピタリティ」

の精神が好きなのです。

(* ̄ー ̄*)

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身近な変化に

日本では今週末に

発売予定の「iPad」

をめぐって、にぎやかに

なっている。


1つは電子書籍について。

小説家の京極夏彦さんが

「iPad」向けに電子書籍

を発売するという

ニュースなど、媒体が

発売されるにあたって、

そのコンテンツについても

話題になるなんて。


もう1つは通信環境。

「iPad」はWifiのみと、

Wifi+3Gの2タイプで

発売されるけれど、

Wifi+3Gはソフトバンク

の独占。一方、

NTTドコモは、

Wifiルーターを6月に

発売するというニュース。


NTTドコモの広く高品質な

ネットワークエリアを

利用するWifiルーターは、

「iPad」に限らず

国内であらゆる通信機器を

快適にネットにつないで

くれることだろう。


画期的なモノが

世に出ることによって、

大きなうねりとなって、

世の中の潮流が変わる。

そんな瞬間を目の当たりに

するような感覚。


ところで、

モノばかりが話題に

なっているが、

革新的なモノが発売され、

人はどう変わるのか?


情報に気軽にアクセス

できる時代になった

ことで、人の心が

豊かになるかどうかは

別の話だろう…


人がそれをどう生かし、

どう変わっていくか?

今後はその変化について

考えるべき時

なのかもしれない。

(* ̄ー ̄*)

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原因は…?

おかげさまで、

体調はほぼ快復

しております。

ご心配頂き、

心優しいメッセージ

までも頂いた方に、

心から感謝しております。

本当にありがとう

ございます!!

(o^-^o)


ところで、

「原因は…?」

さぁ… 何でしょう?

( ̄ー ̄)


最近文庫化された

内田樹さんの

『街場のアメリカ論』に

こんな一節がありました。


「『原因とはうまく

ゆかないものにしかない』

これはジャック・ラカン

の至言です。

『原因とは何か?』という

問いを人間が立てるのは、

『原因がわからない』

場合だけであるということ

です。知りませんでした?

でも、そういうもんなん

ですよ、ほんとに。

『原因』というのは、

『原因がわからないとき』

にだけ人間の脳裏に

浮かぶ概念なんです。


例えば、

あなたが道を歩いていて、

いきなりゆきずりの

見知らぬ人からぽかりと

殴られたとしますね。

あなたはそのとき

て言います?


『なんで、殴るんだよ?』

と訊きますね。

理由がわからないから。

でも、

『なんで、痛いんだ?』

とは訊きません。


ほらね。原因がわかって

いることについては

誰も原因なんか訊いたり

しないんです。

『どうしてこうなった

のか?』という問いを

人が立てるのは、

少なくとも見た限りでは、

どうしてこうなったか

説明がつかない場合

だけなんです。」

(@内田樹

『街場のアメリカ論』)


「原因」がわからない

からこそ、その「原因」

は何かについて人は

考えるもの。


だから、

「『原因』はこう!」

と言われた「原因」は、

よくわからないものに

ついて考えた「結果」

なのであるということ。


「原因と結果」

というように、

「因果関係」を

述べるけれど、

結局のところ、

「結果」をもとに、

事後的にわかるのが

「原因」なのであって、

事前に「原因」が

わかっている

わけじゃない。


だからこそ、

「原因」となるであろう

災厄の種は、最小限に

抑えるように努める

ことが大切なのだろう。


だって、事前には

「原因」が明確に

わからないのだから。

(* ̄ー ̄*)

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熱が出た…

昨日の夜、熱が出た。

ひさしぶりに、

風邪だと分かる症状。

(@Д@;


自分の身体なのに、

自分の身体じゃない

みたいな感覚。

(≧m≦)


素手で自分の肌を

触ってみても、手袋を

はめて服の上から肌を

触っているような感覚。

(^-^;


朝になって、

熱が下がって微熱に

なったものの、身体の

だるさはそのまま。

( ̄ー ̄)


でも、

気合いを入れ直して

頑張りますっ!

o(*^▽^*)o


急に暑くなったり、

涼しくなったり、

不安定な天候です。

ブログに触れて頂いた

みなさまも、風邪には

くれぐれもお気をつけ

くださいねっ!

(* ̄ー ̄*)

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誓いを立てる

昨日、書店に寄り道。

高く積まれた雑誌の

いくつかの表紙には、

「パワースポット」

「神社仏閣」「開運」

といった言葉が並ぶ。


時期を同じくして、

同じような特集記事が

別々の雑誌に掲載される

ということは、

この時期にそういう

ニーズが多いという

現れなのだろうか?

(^-^;


その中の1冊。

『日経おとなのOFF』

の表紙には大きく

「開運入門」と書かれて

いて、その下には、

「神様に頼んではいけま

せん。誓うのが作法です」

と書かれていた。


このことは、

神官の伯父から訊いて

いたことであり、

このブログでも紹介した。

願いを叶えてもらうには


この時期に、

同じような雑誌記事に

触れたということは、

これも何かの「サイン」

かもしれない。

(* ̄ー ̄*)


偶然かもしれないけれど、

その昔、この時期によく

神社にお参りしていた。

そんなことを思い出した。


そして、あらためて

誓いを立てた。

「自分の為すべきことを

精一杯努力します」と。


「人事を尽くして天命を待つ」

自分の為すべきことを

尽くして、その上で

人事の及ばないところに

天のご加護を祈り、

そして天命を待つ。


忘れていたわけではない

けれど、自分の誓いを

あらためて確認しなさい!

という天からの「サイン」

なのかもしれない…

とふと感じた昨日。

o(*^▽^*)o

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何をやっても…

何をやっても上手く

いかない時というのは

確かにある。


その逆に、

何をやっても上手く

いく時も確かにある。


何をやっても上手く

いかない時というのは、

ホントに何をやっても

上手くいかない?

実は、そうでもない!?


客観的に見ていると、

無難にこなしたように

見えることでも、

当の本人が何をやっても

上手くいかない時という

「心境」にある時は、

上手くいったようには

感じるコトができない。


あるいは、

客観的に見ても

すこし失敗したことが

あったとしても、

失敗を最小限に抑えられて

いるにもかかわらず、

「やっぱりダメなんだ…」

と感じてしまう。


こわいのは、

この「やっぱり」

という心理。


何をやっても上手く

いかないという心理が、

まるで「呪い」のように

本人の動きを制限する。


何をやっても上手く

いかないと思っている

からこそ、何をやっても

上手くいかなくなるように

無意識に行動してしまい、

上手くいかなかったこと

で、「やっぱり」と

納得してしまう…

あたかも、

上手くいかなかったことを

望んでいたかのように…


上手くいかない時は

確かにある。

でもね、ホントに

何をやっても…という

時ばかりじゃないはず。


上手くいかないことに

慣れてしまうというか、

そんな自分に鈍感に

なってしまわないように

しなくちゃいけない。


上手くいかないことに

鈍感になるよりも、

すこしくらい敏感に

反応する方が、

失敗を最小限に抑えること

が出来るかもしれない。


上手くいかないことは

たしかにツライこと。

でも、その気持ちが、

「石橋を叩いて渡る」

行動になるのだから。

すこしくらい臆病でも

大丈夫だよ!

o(*^▽^*)o

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何かが変わる時は小さなきっかけで

最近、ニュースや雑誌

などでよく眼にする

「スマートフォン」。


「iPad」や「Kindle」

と同様に、小さな

デバイスが社会を大きく

変えるきっかけとなる。


アメリカでは電子書籍の

普及で、書店数の減少に

拍車がかかっている

のだという。


小さなデバイスが、

ビジネスモデルを大きく

変化させる。


変化にも、良い面・

悪い面が必ずある。

電子書籍が普及する

ことで、手軽に本を

購入することができ、

「本離れ」の解消が

期待できるかもしれない。

その一方で、日本でも

書店数の減少に拍車が

かかってしまう

かもしれない。


変化を受け容れるコトで、

変化に伴うコストを、

どこかで誰かが

引き受けなくては

いけないコトも

忘れちゃいけない。


何かが変わる時は、

小さなきっかけで始まり、

それが広がって、

大きな変化になる。


社会だけじゃない、

人も同じ。

大きく変わる時は、

ホンの小さなきっかけ

から常に始まる。

(* ̄ー ̄*)

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見方を変えれば世界が変わる

先週1週間、

いつもとは見方を変えて

過ごす機会が多かった。


すると、

自分がこれまで考えて

いたものとは違うモノの

見え方がした。


180度見方を変えれば、

180度違った結果に

見えてくることもある。


つまり、

自分にとってとても

都合の良いコトでも、

相手にとっては

とても都合の悪いコト

になってしまうという

ことさえある。

その逆もまたある。


常に自分の都合を

最優先するのは自分勝手。

かといって、

常に相手の都合を

最優先にしてしまうと、

「こちらが立てば

あちらが立たず」

結局上手くいかなく

なってしまう…


大切なコトは、

見方を変えるのだけれど、

どうすることがお互いに

とって最適解であるかと

いうことを「考える」

というコト。


「考える」材料に、

見方を変えてみるコトは

非常に役に立つ!


その上で、

相手が変わってくれる

コトを望むよりも、

自分を変え、自分が

変わることを期待する。


そうすれば、

自ずと見方が変わり、

世界も変わるはず。


「自分が変われば

世界が変わる」

(@養老孟司)

というコトについて、

あらためて気づいた

先週一週間だった。

(* ̄ー ̄*)

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羽田空港国際線

数日前より、

今秋以降の羽田空港国際線

に関するニュースが

数多く報道されるように

なってきた。


10月31日より、

国際線の定期便が就航

することが決まり、

それに先んじて、

10月21日より、

新滑走路(D滑走路)と

国際線新ターミナルの

供用が始まり、

モノレールや京急の

駅名も決まったと

報道された。


これでようやく

深夜早朝にも欧米に向けて

飛び立つことができる。


選択肢が拡がり、

人の往来がますます

増えていくことだろう。


「極東」と呼ばれる

「辺境」の地に日本が

存在する以上、航空路の

充実が必要不可欠なこと

だと思っているけれど、

それがようやく拡充される

にいたったことを言祝ぐ

と同時に、あらためて、

日本の航空事情に

ついてもさらに考える

べき時ではないかな?

と思う今日この頃。

(* ̄ー ̄*)

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欠けているとわかることから

昨日の午後、

とても穏やかな時間

を過ごしながら、

自分の足りていない

ことについて、

穏やかに話した。


まさにそんな昨日、

内田樹さんのブログ

(内田樹の研究室)に

とても興味深い記事が

更新されていた。


「『生命力』も同じで

ある。『生きる力』とは

平たく言ってしまえば

『何でも食える』

『どこでも寝られる』

『誰とでも友だちに

なれる』というベーシック

な三種の能力にほぼ

尽くされる。

要するに、与えられた

場に適応し、手持ちの

有限のリソースを最大限

活用する能力である。


無人島に漂着するとか、

最前線に送られるとか、

ぎりぎりの環境を

生き延びるためには

必須のものだが、

現代の学校教育には、

そのような能力を

育てるための体系的

プログラムは存在しない。


『学力』も同じ

である。ほとんどの人は

これを『成績』と

同義語で、点数化し、

優劣を比較できるもの

と思っている。


けれども、

学力とは文字通り

『学ぶ力』のことである。

それはたまたま外形的に

成績や評価として表示

されることもあるが

本来はかたちを

持たないものだ。


というのは、

『学ぶ力』とは

『自分の無知や非力を

自覚できること』、

『自分が学ぶべきこと

は何かを先駆的に

知ること』、『自分を

教え導くはずの人

(メンター)を探り当てる

ことができること』

といった一連の能力

のことだからだ。


これらの力は成果や

達成では示されない。

学ぶ力は『欠性態』

としてのみ存在する。

何かが欠けているという

自覚の強度のことを

『学ぶ力』と呼ぶ

のである。


『おのれの未熟の自覚』、

『ある種の知識や技能

についての欠落感』、

『師に承認されたい

という欲望』といった

ものは存在するとは

別の仕方で私たちの

生き方に深い影響を

及ぼすのである。

『学ぶ力』は欠性的

にしか存在しない。」

(@内田樹

言葉の力」)


以前(2年前)の自分に

足りなかったものは、

「足りていない」と

自覚していなかった

ことなのだろう、

きっと。


「足りていない」

のにも関わらず、

「足りていない」

と自覚していなかった

コトが、今になって

考えてみれば「驕り」

になっていたのだと

あらためて自覚した。


「足りていない」

「欠けている」

と自覚するのは、

たしかに辛いこと。


でも、

「欠けていること」

を自覚してはじめて

学ぼう!という意識が

とても強くなる。


そんな自分に、

「大丈夫だよ!

それが『学ぶ力』

なのだから…」

と優しくささやいて

頂いたような気がした。

(* ̄ー ̄*)

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あたりまえの日常とありがたい時間

変化がないようでいて、

実は変化に富んでいる。

そんなコトをふと

思った昨日。

「禍福は糾える縄のごとし」

とあるように。


「あたりまえ」に

思っていた時間は、

後から気づけば、

とても「ありがたい」

時間であったということ。


やっぱり、

自分がどう感じるか、

そしてどう振る舞うか

によって時間の価値

は変わってくる。


「ありがたい」と感じる

時間を過ごせたことに

心から感謝する。

それはまさしく

「有り難い」時間

なのだから。

(* ̄ー ̄*)


ブログに触れて頂いた

みなさまにとって、

今日も素敵な1日で

ありますように

o(*^▽^*)o

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「大人げない大人になれ!」

昨日、いつも立ち寄る

書店に寄り道して、

山と積まれた本のタイトル

にふと目が止まり、

思わず「ぷっ!」と

吹きだしてしまった。

(* ̄ー ̄*)


そのタイトルとは…

『大人げない

大人になれ!』


成毛眞さんの著作で、

ビジネス書のコーナーに

あった本。

その一部を

ここに採録します。


「『挫折をしなければ

ならないというが、

そもそも人間は死ぬまで

成功している方が

うれしいはずだ。

失敗を自ら望む人など

いない。一方で、

人は必ず失敗すると

しても、それは自分が

失敗と認識してしまう

からだ。それならば

自分で失敗だと考えずに、

ずっと成功していけると

思っていたほうがいい

だろう。あなたは

成功し続ける人間と

失敗する人間のどちらに

なりたいのか』


こう言うと、

途端にこの人は

考え込んでしまった。

そして仕舞いには

納得してしまったようで、

『そうだよね』と

うなずき始めたのだ。


おそらく、

とくに自分の考えが

あるわけでもなく、

道徳的な説教を

垂れたかっただけ

なのであろう。

この時は、

こうした精神訓話の

ような考えこそが

人を腐らせるのだと

恐ろしく感じたのである。


ところで、

昔からサラリーマンの

成功の条件は

『ウン・ドン・コン』

だと言われる。

運と鈍感と根性である。

この中でも鈍感である

ことは、相当に重要な

要素であると思う。

にぶければにぶいほど

いいのである。


感覚が鋭い人は、

小さな失敗にもいちいち

落ち込んでしまう。

その一方で、

成功にも敏感だから

小さな成功に酔ってしまう

のである。これでは大きく

成功する前に満足して

しまうから、大成しない

のだと思う。


その逆に鈍感な人は、

失敗を失敗とも思わない

から挫折せず前向きで

いられるし、小さな成功

では満足しない。

こうした人こそが、

自分の納得できるところ

まで突き進み、大成功を

収めることができるのだ。


では、

自分が鈍感になるためには

どうしたらよいか。

月並みな表現だが、

それは、より大きな刺激を

受けることである。

強い刺激を受けると

自分が持つ感度の上限と

下限が広がっていくから、

小さなことでは失敗とも

成功とも感じなく

なるのである。


(中略)


もし、

失敗しないための方法

があるとすれば、

このように自分に大きな

刺激を与えて、感覚の

センサーをバカにして

しまうことがいい。

自分が失敗と認識

しなければ、それは

失敗ではなく、いつかは

成功につながって

いくのである。」

(@成毛眞

『大人げない

大人になれ!』)


人にはいろいろな考え方が

あり、表現の違いも

含まれるけれど、

考え方そのものも違って

あたりまえ。


だから、決して否定せず、

「違い」を理解する。

そして、その「違い」

を受け容れる。


タイトルにある、

「大人げない大人」

というのは大いに賛成!

可愛げのある「大人」

はとっても魅力的。

(o^-^o)


でも、大切なのは、

「大人」になるコト

なのであって、

可愛げを追求する

ことじゃないはず…

( ̄▽ ̄)


あくまでも、

“可愛げのある”

「大人」になるコトが

大切なのだとあらためて

感じた昨日。

o(*^▽^*)o

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困ったら○○に訊く

昨日ブログ記事に書いた

『もし高校野球の女子

マネージャーがドラッカー

の「マネジメント」を

読んだら』(@岩崎夏海)


これは、

物事を考える時、

あるいは困った時は

ドラッカーの

『マネジメント』に訊く

という設定でストーリー

展開していく小説。


人には分からないこと、

困ったことであふれてる。

そんな時、知らない自分を

「ダメだな…」と思って

しまいがちだけれど、

人である以上「全知全能」

であるはずはない。


分からないことや

困ったことがあれば、

分かる人、最適解を

一緒に考えてくれる人に

訊けばイイ。


『論語』も孔子に訊き

孔子が応えるカタチ

なのだから。


そう思っていたら、

一昨日の内田樹さんの

ブログ記事にこうある。

「困った時は老師に訊け」


その中で、内田さんは

こう述べている。

「それにしても、

『困ったときのラカン

頼み』『困ったときの

レヴィナス頼み』の

汎用性の高いことには

驚くばかりである。」


分からないことは

たしかに恥ずかしいこと。

でも、それを訊ねずに

分からないままにして

いることの方が

もっと恥ずかしい。


分からなければ、

分かる人に訊けばイイ!

(・∀・)!


分からないことについて

誰に訊ねると最適解を

教えてもらえるかを

知っていることも

知性なのだから。

(* ̄ー ̄*)

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「マネジメント」

『もし高校野球の女子

マネージャーがドラッカー

の「マネジメント」を

読んだら』(@岩崎夏海)


空き時間などを

利用して読了した。


最近のドラッカーブーム

の火付け役ともなったと

いわれる1冊。


非常にわかりやすく、

身近な事象でドラッカー

の謂う言葉を実践すると

という仮定の下では、

高校野球でしかも、

女子マネージャーという

設定は着眼点がイイ!

(゚▽゚*)


この本が大学生に

よく読まれる理由が

よくわかる。

(* ̄ー ̄*)


こう!と決めたら実行

する主人公の「みなみ」

の行動力が読む人の

心までも鼓舞するよう。


「マネージャーになった

みなみには、一つの目標

があった。それは、

『野球部を甲子園に

連れていく』ということ

だった。彼女は

そのためにマネージャー

になったのだ。


それは夢などという

あやふやなものでは

なかった。願望ですら

なかった。明確な目標

だった。使命だった。

みなみは、野球部を

甲子園に連れて

『いきたい』とは

考えていなかった。

連れて『いく』と

決めたのだ。」

『もし高校野球の女子

マネージャーがドラッカー

の「マネジメント」を

読んだら』(@岩崎夏海)


このようなプロローグ

から始まるこの本は、

『マネジメント』の言葉

を「翻訳」して「実践」

する方法を述べている。


自分自身を

「マネジメント」する

にもわかりやすい1冊。

(o^-^o)

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危機対応能力を身につけるには

昨日は、

初夏の日曜日らしい

穏やかな気候だった。

(* ̄ー ̄*)


そんな昨日、

気持ちを穏やかに過ごす

ことの大切さについて、

「やっぱりねっ!」と

思う文章に触れた。


「危機を察知し、

無意識のうちにそれを

回避する能力は生物の

生存本能のうちもっとも

有用なものだが、

その生理学的・解剖学的な

仕組みはわかっていない。


でも、

それを高めるための

訓練システムがどういう

ものかはわかっている。


センサーの感度を

鋭敏に保つ方法は

経験的には一つしかない。

それは『不快な情報には

できるだけ触れない』

ことである。


不快な情報は不快である

から、私たちはその入力を

遮断するか、(うるさい

音楽に対してするように)

『ヴォリュームを絞る』

ようにする。


つまりセンサーの感度を

意図的に下げるのである。

それによって、

外界からの不快な入力は

『カット』される。


けれども、

それは同時に危機シグナル

に対するセンサーも

『オフ』になると

いうことである。


『不快な』シグナルと

いっしょに『危険な』

シグナルもカット

されてしまう。


『おしゃれ泥棒』で

ピーター・オトゥール

がやったように、

繰り返しアラームが

誤作動すると、警備員は

アラームそのものを

切ってしまう。泥棒は

それからゆっくり

仕事にとりかかる。


ここから導かれる

実践的教訓は『アラーム

がじゃんじゃん鳴るような

環境には身を置かない』

ということである。


『不快な入力』が多い

環境にいると、

人間は鈍感になる。

鈍感になる以外に選択肢が

ないのだからしかたがない。

けれども、

それによって危機対応能力

は劇的に劣化する。


子どもは、できるだけ快適

な感覚入力だけしかない、

低刺激環境で育てる方が

いい、というのは

私の経験則である。


たしかにそうやって育てる

と『ぼや~っとした』

子どもにはなるだろう

けれど、危機回避能力は

身に着く。そういう人は

無意識のうちに『もっとも

リスクの少ない道』を

過たず選択するので、

人々はしだいに『この人

についてゆけば安心』

ということを学習する。」

(@内田樹

「越くんとリーダーシップ

について話す」)


「穏やかに過ごす」

それは必ずしも、

不快な情報に蓋をする

ということではないはず。

また、何もしないという

ことでもないはず。

むしろ、快適な情報入力

ができるようにつとめて

行動するなのだろう。


好きな音楽を聴く、

好きな花を愛でる、

楽しくおしゃべりをする。

そんな他愛もない

快適な情報入力が多い

環境で過ごすことが、

気持ちを「穏やかに

過ごす」ことなのだろう。


そして、危機が迫る

と感知する能力が

鋭敏であるからこそ、

「今、ここ」は安心と

感じるコトができ、

気持ちを穏やかに過ごす

ことができるのだろう。


昨日は「母の日」。

花を贈ることは、

感謝の気持ちを花に

託すだけでなく、

「穏やかに」過ごして

もらうための1つの素材

(o^-^o)

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その先の「今、ここ」

まだまだ先だと思っていた

ことも、気づいてみれば

もうすぐそこに…

(* ̄ー ̄*)


4月の中旬、

「iPad」の発売が1ヵ月

延期になったニュースに

触れ、まだまだ先だと

思っていたけれど、昨日、

「iPad」がソフトバンク

から発売になるという

ニュースに触れ、

予約開始はもう明日!

だと気づいた。

(≧∇≦)


本当に月日の経つのが

早く感じる…

(^-^;


そして、

今日は「母の日」

これまた、まだまだ先

だと思っていたこと。


先のことだと

思っていても、

ふと気づけば

「今、ここ」にある。


そして、自分が

「今、ここ」にあることの

有り難みを、感謝の気持ち

にかえて。


ブログに触れて頂いた

みなさまにとって

素敵な「母の日」の

ひとときをお過ごし

頂きますように…

(゚▽゚*)

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「大人」になるための時間

以前このブログで、

「大人(おとな)になる」

ことについて触れた。

あらためて「大人」

になろうと決めた日


それは、

「大人」とはどういう

人のことを云うか?

ということについて

書いたのであって、

どうふるまうのかに

ついては具体的に

書いてはいなかった。


昨日、自分の大切な人

と話す中で、ふと気づいた

コトがある。


「大人」は、

自分に与えられたリソース

の最適な使い方がわかって

いる人のことを

謂うのであろうと。


そして、

そのリソースを自分の

意志で配分した後に、

「…してやった」みたいな

ことは決して言わない人の

ことを云うのであろうと。


天から与えられたリソース

であるにもかかわらず、

自分が所有したものは、

配分した後も自分のもの

であると主張する人は、

「大人」ではないだろう、

きっと。


自分に見返りがあることを

期待してリソースを配分

するのではなく、

自分に見返りなどなくても、

逆に、リソースを配分する

ことで、自分が得しないと

たとえわかっていても、

惜しげもなくリソースを

配分することができる

人のことを云うのであろう。


本来、親は子どもに、

「あーしてやった、

こーしてやった」

などとは言わない。

それは、子どもに対する

「無償の愛」があるから。


リソースを配分することで、

自分に使う分が減ったと

しても、そうすることで

与えた人のよろこびを

得ることができ、その

よろこびを自分のよろこび

と感じることができる人を

「大人」と云うのだろう。


そんなことをあらためて

気づいた昨日、とても

充実した気持ちになった。

とても幸せな気持ちにも

なった。「ありがとう」

という感謝の気持ちにも

満たされてo(*^▽^*)o

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いろいろな時

上手くいく時、

いかない時。

かみ合う時、

かみ合わない時。

日々の時間の中には本当に

いろいろな時がある。


そんな時をよくよく

見つめてはじめて、

見えてくるものがある。


今はそんな時間。

常にイイ時であれば

良いとは思うけれど、

それだと「有り難み」

がなくなってしまう…


そんな時間を過ごす中で、

自分をよく観察して、

良いタイミングで声を

かけてくれる人がいる。


あるいは、

何を言うのでもない

けれど、見守ってくれて

いるということを

その人のふるまいで

伝えてくれる人もいる。


そこには、

「こうしたい」という

想いがあり、

「こうなる」ように

努める姿がある。


いろいろな人の想いに

包まれながら、

いろいろな時を過ごす。


自分を大切にするとは、

自分を必要とする人に

最大限役に立つために。

自分を必要とする人は

すべて大切な人であり、

大切な人に必要とされる

自分であり続けたいと

想うから…


そんなことも想う

いろいろな時。

(* ̄ー ̄*)

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他者とのコミュニケート

好天が続いた大型連休。

東京ではGW中に7日間

雨が降らなかったのは

50年ぶりとも…


そんな好天に恵まれた

大型連休をそれぞれに

それぞれの楽しみ方で

過ごされたことでしょう。

(゚▽゚*)


連休が終わり、

今日からいつもの日常

が始まる方も多いはず。


連休中とは違った

「空気」が、煩わしさ

を感じる方もいるかも

しれませんね…

(逆に、連休中に

いつもの「空気」とは

違って煩わしく感じて

おられた方もいらっしゃる

かもしれませんが…)


でも、今日から始まる

そんな煩わしさ?について

すこし考えてみましょう!

(^-^)


それは、藤井直敬さんの

『ソーシャルブレインズ入門』から

採録した言葉を参考に。


本書は、「社会脳」について

脳科学的に考える試みを

提示した興味深い本ですが、

「他者とのコミュニケート」

について考える思考実験の

1つとして、「透明人間

になったのび太」の話を

挙げています。


「わたしたちは、社会的な

制約を嫌うことが多いよう

に思えますが、社会的制約

がまったくない状態を、

実際に体験することは

できるでしょうか?


その極端な例として、

透明人間があります。

それでは、そのような

物語で出てくる透明人間に

ついて考えてみましょう。


たとえば『ドラえもん』

で、のび太が透明人間に

なったストーリーを

知っていますか。


最初のうち、

何でもできることに気が

ついたのび太はすっかり

浮かれてしまいます。


普段できないことも

言えないことも好き放題

にできるのです。


ママの目の前でつまみ食い

をしても、ママは気が

つきません。悪口を

言っても聞こえません。


次第にエスカレートして、

のび太はしずかちゃんの

部屋に行きますが、お風呂

好きのしずかちゃんが

いつものようにお風呂に

入って、のび太はすっかり

照れてしまいます。


その後もいろいろな

いたずらをするのですが、

しばらくすると、誰も

自分の存在に気がつかない

ことをさとります。


いたずらは、相手が自分に

気がついたところで

「ワーイ」と逃げるところ

が面白いわけですが、

透明人間のすることは

誰がやったのか分かって

もらえないので、つまらなく

なってくるのです。


そして、のび太はだんだん

と不安を感じ始めます。

なぜなら、透明人間の

のび太は、何でも好きな

ことができるかわりに、

誰ともコミュニケート

できないのです。


物語は、そんな不安に

なったのび太がワーンと

泣いているところで

透明人間になる機会の効果

がなくなり、ドラえもんに

「どうしたの?」と聞か

れるところで終わります。


(中略)


この透明人間のストーリー

が面白いのは、『社会的な

行動制限がまったく

なくなったときに、

人がどのように行動し、

どのように感じるか』

という思考実験のすべて

が入っているからです。


(中略)


しかし、そういう制限の

ない生活にはすぐに飽きて

しまうでしょう。なぜなら、

そこには他者との相互作用

が生まれないからです。


(中略)


つまり、社会が与える

行動制限は、一見わたしたち

の生活をつまらないものに

しているように見えますが、

じつはその平板な毎日の中で

他者とのつながる喜びとの

トレードオフになっている

のかもしれません。」

(@藤井直敬

『ソーシャルブレインズ入門』)


いつもの日常が再び始まり、

いつものように行動制限

されるけれど、それは、

他者とコミュニケートできる

よろこびを得るコトとの

「交換」なのでしょう。


そう考えると、

「煩わしさ」もすこしは

減ってくるでしょ?

(*^ー゚)b


そしてさらに、

今日から再び始まる

「いつもの日常」に

感謝する気持ちさえ

感じることでしょう。

(・∀・)


さぁ!今日も笑顔で

頑張りましょー!!

o(*^▽^*)o

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「サイドウェイズ」

「春らしい陽気」を

通り越して、夏のような

陽気に包まれた午後。

(^-^;


ようやく休日らしい時間

を過ごすことができた。

(* ̄ー ̄*)


昨年の秋、映画館で

観ようと思っていた

映画『サイドウェイズ』。

バタバタと時間が過ぎて

結局、映画館では

観る事が出来なかった。


昨日の午後、

4月にリリースされた

DVDを借りて、

映画のようにワインを

飲みながらゆったりと

した気持ちで鑑賞。


昨年の秋に訪れた

ナパ・バレーの風景が

思い出された。

(カリフォルニアの空の下で)

(*^-^*)


映画を評することは

できなくても、何かを

「感じる」ことはできる。


人生の「寄り道」を通る

ことで、自分自身を

見つめ直すことができる

のかもしれない。


それぞれの人生に、

それぞれの道があり、

さらに「寄り道」する

べき道がある。


休日の午後、

ちょっと「寄り道」

したひとときだった。

(o^-^o)


GWも今日で最終日。

ブログに触れて頂いた

みなさま。

どうぞ素敵な時間を

お過ごし下さいね!

o(*^▽^*)o

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グローバル?orローカル??

昨日の夜、

「世界最大の航空会社誕生」

のニュースに触れて、

ふと日本の航空会社の

ことについて考えた。


国と国とを結ぶ

航空会社だからこそ、

グローバルな視点が

とても重要。


すでにその規模は

他国の航空会社を凌ぐ

アメリカ国内の

大手航空会社が合併し、

現在世界第1位の航空会社が

誕生したのは一昨年。


今年の夏頃には、

それを凌ぐ規模の

世界最大の航空会社が

誕生するとのこと。


規模が大きくなって、

高コストとなってしまった

事業に対抗するのは、

格安航空会社。


規模は拡大しながら、

事業効率を上げて、

低コストの格安航空会社

に対抗する。


どう考えても、

日本の航空会社は

不利な状況。


以前、ニュースにあった、

日本航空と全日空を

統合しては?という

考え方も、あながち

突飛押しもない考えだとは

言えない状況になってきた。


グローバルな競争の前に、

ローカルな問題が

大きく立ちはだかる

日本の航空会社。


自分はグローバリズムが

良いとは考えていない。

でも、グローバルな考え方

を侮ってはいけない。


ローカルを充実させる

ためにこそ、グローバルな

考え方が生きてくるはず。


グローバルとローカル。

このことについて

考えてみる機会が

あってもイイのでは?


ところで、

ローカルな話題。

大型連休も終わりが近づき

Uターンの大混雑も。

(≧m≦)


お疲れでしょうが、

くれぐれも気をつけて

無事にお帰り下さいね。

GWを素敵な笑顔で

締め括るためにも!

o(*^▽^*)o

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実践する気持ち

GWの後半、

春らしい陽気の、気持ち

イイ天気が続いている。

(o^-^o)


とても気持ちイイ

春の空気に触れながら、

山と積まれた本に向かう。

(* ̄ー ̄*)


以前、ブログで触れた

雑誌『一個人』は、

創刊10周年記念号に

ふさわしく?とても

密度の濃い内容。


「『論語』の言葉」

という特集号のタイトル

に惹かれて買ったけれど、

とても読み応えがある。

(^-^;


この雑誌を見ながら、

文庫本の『論語』を

あらためて読み返す。


そうしながら、

「今、ここ」にある

自分が反芻すべき言葉を

脳に焼き付ける。


そうした言葉を

そらんじることは大切

なことだけれど、

実践する気持ちが

もっともっと大切。


「礼儀」をもって

実践することの大切さが

『論語』においても

記述されている。


「博く文を学びて、

これを約するに礼を

以てせば、亦た以て

畔(そむ)かざるべきか」

(ひろく書物を読んで、

それを礼の実践で

ひきしめていくなら、

道にそむかないで

おれるだろうね)


何のための「学び」か?

あらためて、

「今、ここ」にある

自分が為すべき事を

実践する大切さを思う。

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自分さえ良ければ?

GWの後半が始まり、

昨日から5連休という

人も多いことだろう。


天気もイイし、

鉄道も空の便も

高速道路も案の定

混雑している。


渋滞にうんざりするのは

人として素直な気持ち。

でも、「どうしてこんなに

人が多いんだ!」と思って

しまう気持ちはどうだろう。


その一方、

いつものように過ごして

いる時間が、GWになった

ことによって余計に

煩わしくなってしまう

人もいるだろう。


「GWなんて早く

終わってしまえば…」

なんて思ってしまう気持ち

もわからないでもない。


でもね、どうして

そう思ってしまうのか?

GW後半にすこしだけ

一緒に考えてみませんか?


「つねづね申し上げて

いることだが、他人を

出し抜いて利己的に

ふるまうことで自己利益を

得ている人間は、

そういうことをするのは

『自分だけ』で他人は

できるだけ遵法的に

ふるまってほしいと

願っている。


高速道路が渋滞している

ときに路肩を走る

ドライバーや、みんなが

一列に並んで順番を待って

いるときに後ろから横入り

する人は『そんなことを

するのが自分だけ』である

ときにもっとも多くの

利益を得、『みんなが

自分のようにふるまう』

ときにアドバンテージを

失うからである。


だから、彼らは

『この世に自分のような

人間ができるだけいない

こと』を願うようになる。

論理的には必ずそうなる。


その『呪い』はまっすぐ

自分に向かう。

『私のような人間は

この世にいてはならない』

という自分自身に対する

呪いからはどんな人間も

逃れることはできない。


そのような人は死活的に

重要な場面で必ず

『自滅する』方のくじ

を自分の意志で引いて

しまうのである。


しかるに、

『自分のような人間は

自分だけである方が

自己利益は多い』という

考えを現代人の多くは

採用している。


『オリジナリティ』とか

『知的所有権』とか

『自分探しの旅』とか

いうのはそういう

イデオロギーの

副産物である。


けれども、

『オリジナルであること』

に過大な意味を賦与する

人たちは、そのようにして

『私のような人間は

この世にできるだけ

いない方がいい』という

呪いを自分自身かけて

いるのである。


『私のような人間ばかり

の世界』で暮らしても

『平気』であるように、

できれば『そうであったら

たいへん快適』であるよう

に自己形成すること、

それが『倫理』の究極的な

要請だと私は思う。


『世界が私のような人間

ばかりだったらいいな』

というのが人間が自分自身

に与えることのできる

最大の祝福である。


でも、これはむずかしい

課題である。ふつうの人は

『世界が私のような人間

ばかりだったら』気が

狂ってしまう。

他者のいない世界に人間は

耐えられないからである。


だから、

論理的に考えれば、

『私のような人間ばかり

でも平気な“私のような

人間”』とは『一人の

人間の中に多数の他者が

ごちゃごちゃと混在して

いる人間』だという

ことになる。


一人の人間のなかに

老人も幼児も、

お兄ちゃんもおばさんも、

道学者も卑劣漢も、

賢者も愚者も、

ごちゃごちゃ併存して

いる人間にとってのみ、

『自分みたいな人間

ばかりでも世界は

けっこうにぎやかで

風通しがいい』。

倫理的とはそういう

ことだと私は思う。


つねに遵法的で、

つねに政治的に正しく、

つねに自己を犠牲にして

他人のために尽くし、

つねににこやかに

ほほえんでいる人間たち

のことを『倫理的』だと

思っている人がいるが、

そうではない。


だって、

そんな人で世界が充満

していたら私たちは

たちまち気が狂って

しまうからだ(少なく

とも、私は狂う)。


だから、

『そんな人間』は

『倫理的』ではないと

私は思っている。


他人を踏みつけにして

自己利益を追求する

だけの人間も、

自己犠牲を厭わずに

正義や信念を貫く人間も、

『世間がそんな人間ばかり

だったら、息苦しくて

やってられない』人間

であるという点では

選ぶところがない。」

(@内田樹

『内田樹の研究室』

「甲野先生の最期の授業」)


倫理的にふるまうことは

とても難しいこと。

難しいがゆえに、

哲学や倫理学という

学問があるのだと思う。


人が気分良く過ごして

いくために、「自分さえ

良ければ」と考え、

自己利益のみを

はかるのではなく、

かといって、

自分を抑えつけて、

自己犠牲を強いるばかり

ではなく、多様性に

満ちた存在であることが

気持ちよく過ごすことに

つながっていくのだろう。


GWの後半、

気分良く過ごして

頂くことを心より

祈っています。

大丈夫!

それに天気も気候も

とってもイイですから!

o(*^▽^*)o

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春の便りのおすそ分け

仕事で北へ。

肌寒い気候の中、

健気に咲く花が。

そう!桜です

(゚▽゚*)


そめいよしのも、

しだれ桜も、

見頃を迎えたようです。

(≧∇≦)


ようやく迎えた春に

健気に咲く花の姿が

自分の心を癒して

くれました。

(* ̄ー ̄*)


ブログに触れて頂いた

みなさまにもおすそ分け。

( ̄▽ ̄)


今日からは

全国的にイイお天気で

春の陽気との予報。

どうぞ素敵なGWを

お過ごし下さいね!

o(*^▽^*)o



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