« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

『リメンバー』

suwanaganoさん、

一光さん、

コメント頂き、本当に

ありがとうございました。


2年前の夏、

キマグレンの『LIFE』

が朝のランニングの

Power songでした。


その歌詞と曲調で、

辛い時も苦しい時も、

ランニングに限らず

前に前に走り続ける

ことができました。


2年後の今年の夏、

走る時のPower songは

同じくキマグレン。

歌は『リメンバー』


この歌をBGMに、

大切なことを

思い出しながら、

新たな道を走り出して

いけそうです。


歌詞の紹介を

感謝の気持ちにかえて。


♪歳を重ねるにつれて

時間がどんどん

スピードあげていく

スタートラインから

いつのまにか大分離れた


くだらない事が面白くて

そんな昔の笑い声が

傷ついた体にしみるけど

今日も生きてみたよ


時々僕らは

道に迷ってしまうけど

ドキドキする事

忘れないで欲しいよ


REMEMBER

辛い時にこそ

REMEMBER

思い出してよ

REMEMBER

誰にだって誇れる

自分がいる事を


はじめて見上げた空を

はじめて感じた恋を

はじめて流した涙を

あなたは憶えてますか?


はじめて出来た友達

はじめて交わした約束

はじめて喧嘩をした事

今でも憶えていますか?


昔通った学校の

先生と同級生は

あれからも

元気にしてるかな

涙流した最後の日から

初恋をしたあの日の事を

今でもたまに思い出す

君も僕の事

憶えてるとうれしいけど


時々僕らは

道に迷ってしまうけど

ドキドキする事

忘れないで欲しいよ


REMEMBER

逃げ出したくなっても

REMEMBER

拳握り締め

REMEMBER

誰にだって信じれる

自分がいるから


はじめて見上げた空を

はじめて感じた恋を

はじめて流した涙を

あなたは憶えていますか?


明るい未来が欲しくて

僕らは今を飛ばして

先をみようとする

色褪せない過去に

しがみついてばかり

それでも今という

時は美しいから


はじめて握ったその手を

はじめて愛した人を

はじめて選んだ別れを

あなたは憶えてますか?


はじめて走った校庭を

はじめて泳いだ海を

はじめて浴びた太陽

今でも憶えてるよ


はじめてついたウソも

はじめて知った痛みも

はじめて触れた優しさ

あなたは憶えてますか?


二度と戻らない日々を

やり直しがきかない過去も

何度くじけたとしても

僕らは精一杯

今を生きてゆきます♪

(キマグレン

『リメンバー』

Lyrics by KUREI)


これからも精一杯

「今」を生きてゆきます!


ありがとうございました!!

| | コメント (5) | トラックバック (0)

ありがとうございました

ブログをお休みしよう

と思います。


これまで

2008年の5月14日に

開設してから、

ふり返ってみると

1日も休むことなく

思うままを自分の感性で

つづってきました。


自分を見つめ直し、

何かを見出し、

何かを伝えようとして

始めたブログ。


ずっと、ずっと続いて

いくのだろうと

思っていました。


でも何だろう…

一つの役目が終わった

ような、そんな気持ちです。

また別の、新たな役目に

向き合っていくべき時が

来たようにも感じます。


この拙いブログを

ご覧いただいた皆さま、

本当にありがとう

ございました。


ブログに触れて頂いた

みなさまに幸多かれと

心よりお祈りします。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

どれだけ引き受けられるか?

人は本当にいろいろな

環境下におかれる。


楽しいことばかりでも、

苦しいことばかりでもなく。


絶妙のタイミングで

試されているような…


その状況を引き受け、

どう振る舞うか?


その結果が今すぐ

じゃなく、その先で

答えが出るだろう、

きっと。


さて、

自分はどれだけ

引き受けられるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『父の像』

『父の像』は、

吉本隆明さんの著作を

文庫本化したもので、

夏目漱石や森鴎外など

文学者の父の像を

吉本隆明さんの視点から

記述したもの。


その中で、

吉本隆明さん自身の

「父」についてその像を

記述した部分に、

こんな表現があった。


「父性は父性の本質に

おいてだけ偉大であり、

そのとき種としての人

(ヒト)の本質が加担する。

いいかえれば身体的な

相続としての父性と

精神の父とが全体性をもつ。

そして仮に子(男の子)が

無理にでも父の父性を

超えようとすれば、

エディプス的な

葛藤が起こる。


父が子供の暴力に

たいして無限に後退し、

子と同じ位相に並んでも、

なお父の偉大はありうる

だろうか。世代観念が

喪われた平等性において、

偉大という概念は

成り立ちうるか。


これは現代が当面している

社会的な課題に

ほかならない。

家族の解体という。」

(@吉本隆明『父の像』)


ここの部分を読んで、

はたと気づいた。

以前、内田樹さんが

述べていた

「親族の基本構造」と

つながったような気がした。


「近代の核家族からは

『伯叔父』が排除された。

同性を引き裂く二つの

原理の対立から、

父が代表する父性原理と

母が代表する母性原理の

性的対立の中に

子どもたちは移管された。


性間の葛藤は同性間の

二原理の葛藤よりも

はるかに処理しやすい。

というのは、

人間は自分がどちらの性に

帰属しているかを

知っており、どちらの

性の原理に従うべきかを

知っているからである。


後期資本主義社会に

なったら、母たちがまでが

男性原理を内面化する

ようになってきた。

権力や年収や威信や情報

というそれまで男性に

とってしか価値では

なかったものに女性たちも

親族の存続よりも

高い価値を見出すように

なったのである。


これが現代の子どもの

置かれた状況である。

かつての子どもたちは

父と伯叔父と母という

三人の先行世代、

三つの原理の併存による

葛藤のうちに生きていた。


今の子どもたちは

『権力と金が価値のすべて』

という単一原理のうちに

無矛盾的に安らいでる。

このようなシンプルな

原理の下では子どもたちは

成熟できない。


だから、

成熟することを

止めてしまったのである。


親族の解体というのは、

当今の社会学者が

考えているよりもはるかに

射程の広い人類学的問題

につながっている。」

(@内田樹

「親族の基本構造」)


「父性」とは何かを

考えることは、

「家族」とは何か

を考えることに

つながっている。

生き残るための

セーフティーネット

についても考えることに。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

天の恵み??

本州は梅雨の末期の

雨降りが続いている。


日本列島のほぼ中央に

横一本線を引いたような

梅雨前線の停滞、

そして日本列島を

真横にしたような雨雲が

長い間横たわっている。

しかも、多くの地域での

土砂災害も報道されている。


尋常な雨じゃない…


梅雨の雨は、

作物にとって天の恵み

になるのだけれど、

それも過ぎれば

被害をもたらす。


まるで、

天の怒りのごとく

激しく降る雨に、

人間の卑小さを

あらためて

思い知らされる。


雨の被害が

極々最小限に

とどまりますように…

心より祈ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元気な心で!

いつもいつも良い調子

ばかりじゃない。

どんな人でも

上手くいかない時がある。


逆に、いつもいつも

調子が良くって、

調子の悪い時がない!

という人の話を自分は

聞いたことがない。


人の心や、人のおこない

には必ず波があり、

良い時も良くない時も

あって当然。


要は、どんな時も

元気な心でいること。

元気になれない時は、

心を休めるコト。

それは、元気な心を

取り戻すために。


じゃあ、どうやって?

う〜ん…

それがわかれば、ホイ!

と差し出してますよ…

(^-^;


人それぞれに、

「元気の源」が違うから。

でも、多くの人の

「元気の源」は笑顔。

(o^-^o)


大切な人の笑顔に

元気をもらえるし、

笑顔になることで

元気になれる。

ヽ(´▽`)/


「楽しいから笑うのでは

なく、笑うから楽しい」

この言葉を実践してみる。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

やってみないとわからないもの

参議院選挙が終わり、

サッカーワールドカップも

決勝戦が終わった。

結果は…?


選挙は与党が大敗、

ワールドカップは

スペインが初優勝という

結果になった。


ある程度予測の範疇で

あったとはいえ、結果は、

本当に、蓋を開けてみな

ければわからないもの。


結果を詳細に予測する

なんてことは、

とても困難なことで、

さらに、結果が予測した

通りになるなんて、

とてもとても難しいこと。


やっぱり、やってみないと

わからないもの。

いくら理屈を理解しても、

実際にやってみないと

わからないもの。


人も同じ。

この人はこういう人だと

思っていても、触れてみると

それは結局「思い込み」で

あったとわかる。


学問も同じ。

知識をいくら蓄積しても、

人が思考し、予測できること

には限界がある。

実際に起こったことを

観察すること、実際に

試してみること。

それがとても大切。


昨日の内田樹さんの

ブログに興味深い記事が

書かれていた。


「むかし、

学生院生たちがよく

読書会というのを

やっていた。


彼らはちょっとずつ

頁を進めながら、

これはいったい

どういう意味なので

あろうかと話し合い、

これはどういう学説史の

中に位置づけられるので

あろうか、というような

ことを論じ合っていた。


あのさ、

読むのはいいけれど、

使ってみないと、

どうしてその人が

そんな本を書いたのか、

その意味はいつまでも

わからないよ、と

私は彼らに申し上げた

ことがある。


自転車に乗るのと

いっしょである。

みんなで集まって、

何日も何週間も自転車の

部品をぴかぴかに磨いたり、

設計図を眺めたり、

『自転車の歴史』という

本を読んで、自転車が

このような形態をとるに

至った歴史的進化のプロセス

を勉強したりしても、

自転車が何をするための

ものかはわからない。


それよりも『乗る』方が

先でしょ。

まず飛び乗って、

走ってみる。


そのうちにハンドルと

いうのがどういうものか、

チェーンというのが

どういうものか、

ブレーキというのが

どういうものかについての

理解がすりむいた膝の傷の

数と一緒に増えてゆく。


どういう自転車がより

高機能であるのか、

どういうかたちのものが

自分の目的に似つかわしいか

がだんだんわかってくる。


わかってきたら、

それを『自作』すればいい。

学問というのは、そういう

生成的なプロセスである。


あらゆる学問は、

その学問を『自作』した

個人の夢を宿している。

彼はその学問を作り上げる

ことによって『何を

したかったのか?』

それを問うためには、

その学問に『乗って、

走ってみる』しかない。


自転車を作った人の

『夢』は自転車に乗って

みないとわからない。

眺めても、わからない。」

(@内田樹

「池谷裕二さんの

講演を聴く」)


「入力」と「出力」の

バランス、それが大事。

「入力」過多になっても、

「出力」されなければ、

「入力」されたものの

意味や本質が理解できない。


やってみないと

わからないもの。

やったうえで、

どうするべきか理解し、

その先の行動が決まる。


そのうえで、

失敗だと理解したら、

同じ失敗を繰り返さない

ように行動する。

(「やらない」という

行動も含めて…)


やっぱりそれも、

やってみないと

わからないもの。

(* ̄ー ̄*)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

映画で育まれる心

昨日、

ピクサー映画の

『トイ・ストーリー3』

が公開された。


「アニメ映画」と言うと、

子供向けと思いがち

だけれど、ディズニー作品

は大人も子供も楽しめる。


大人同士でも、

きっと素敵な時間が

過ごせるように思う。


ところで、

多感な時期に、

どのような映画を観たか?

どのような本を読んだか?

どのような経験をしたか?

ということは、

感性を育むにはとても

重要な役割を果たす。


成長し、「大人」として

振る舞う一方で、

「子供」の気持ちを

忘れないでいる、

そんな「大人」は

とても素敵だと想う。


自分の周りを見渡しても、

「大人」なんだけれど、

時として、「子供」の

ような純粋な気持ちを

忘れずに持っている人

がいて、その人は

とても魅力的。

(* ̄ー ̄*)


そういう感性を持って

いる人は、子供の頃

素敵な映画に触れている。


女性はみんな「お姫さま」

男性はみんな「王子さま」

「大人」として振る舞い

つつも、夢と希望を持った

そんな気持ちを

いつまでも。

o(*^▽^*)o

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「苦笑の効用」

人が生きていく中で、

楽しいことばかり

とはいかない…


時には、

腹の立つこと、

腹に据えかねることも

ないとは言えない。

(ある!のだけれど…)

(≧m≦)


そんな時は…


「ここでわたしは苦笑の

効用を考えてみたい。


釈然としない気持ちと

引き換えに、自分の脆さや

厄介さを『苦笑を交えつつ』

眺めるための『練習を

している』と心得ること

ーそれがもっとも現実的な

対応ではないのか。


もちろん苦笑に至るまで

には、一通りの心の動揺が

プロセスとして必要だが。


苦笑することは、

人間にとって予想以上に

大切なことだと

わたしは思う。


生き物の中で笑うことが

出来るのは人間だけで

あるが、子どもには

苦笑ができないことを

強調しておこう

(冷笑できる子どもは

いるだろうが)。


そもそも自分が恨みを

深く抱いたり復讐を

誓いたくなるような

状況に陥った際、

わたしは何人かの人々の

ことを思い浮かべて

みるのである。


その人たちは有能で

心が広く魅力的で、

腹が据わり、少なくとも

わたしの目から見れば

どんな苦境にもスマートに

対応していける。


そんな知人や、

かつて出会ったことの

あるそのような人物を

想起してみる。

そして彼らだったら

この不快な状況を

どんな具合に扱うかと

考えてみるのである。


おそらく彼らは、

表面的には淡々と

していることだろう。


そこでわたしは彼らに

直接尋ねてみる、

『大変ですねぇ。

ムカつくでしょう?』と。


すると彼らは、

おそらく苦笑して

みせるのではないか。

『いやあ…』と、懐の

深さを実感させてくれる

ような『素敵な苦笑』を

浮かべてみせるに

違いないのである。


ならばわたしも真似て

みるのがベストであろう。

そうして自分自身に

尋ねてみればいい、

『大変ですねぇ。

ムカつくでしょう?』と。


そのときのわたしの顔には、

たぶん、ぎこちないながら

も苦笑いが生じている。


苦笑には物事を客観的に

眺めるだけの余裕、

何らかの真実を滑稽さと

共に見出すだけのセンス、

ときには諦めや敗北を

受け入れるだけの度量、

とりあえず現状をスルー

するだけの大人の知恵、

それらが込められて

いるのである。」

(@春日武彦

『しつこさの精神病理

−江戸の仇を

アラスカで討つ人』)


先日、このブログで

笑うことの効用を

幸福と結びつけて書いた。

幸福と笑い


腹が立つ時にも笑う、

まさに苦笑い。

怒られた時に

へらへら笑うのは

いただけないけれど

(怒られてフリーズする

ことと同じくらいに)、

腹が立つ時の苦笑いは

春日さんが云うように、

人の度量の大きさを

感じさせる。


大切なことは、物事を

客観的に眺めること。

そこで見えてきたもの

から行動の指針を考える。


物事を客観的に眺める

ためにもまずは苦笑い。

(^-^;


腹が立つこともある。

当然ある。でもね、

腹が立って直情的に

行動した時よりも、

冷静に、客観的に

行動した時の方が、

「最適解」を導きやすい。


それが「大人」なんだろう、

きっと。

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

科学技術と人の心が変える明日

10年以上前と比べて、

科学技術の進歩を

感じる現在でも、

人々の生活意識を変える

ような科学技術が進歩する

余地がまだまだある!

そう思う今日この頃。


たとえば、

昨日の日経新聞の一面に、

「住宅 エネルギー

自給型に」という

記事があった。


これまで、

各家庭で使う電力を

太陽光発電でまかなうと

しても、天候によって

電力会社の電力供給に

頼らざるを得なかった。


それに対して、

発電した電力をためて

おく大容量の蓄電

システムをより安価で

提供するというもの。


自宅で使う電力を

自給で完全にまかなう

時代が来るかもしれない。


科学技術は確実に

人々の生活を変えてゆく。

ただ、そこには人の心が

とても重要な役割を

果たすこともあらためて

認識する必要がある。


インターネットが発達

して人々の生活を

さらに便利にした。


しかし、

それを使う人の心が

歪んでしまうと、

ネットいじめという

陰湿なことも起こる。


「したくてもできない」

ということが、

人の倫理観に歯止めを

かけてきた部分もある。


今は、

「したければできる」

ことが増えたから、

人の倫理観に歯止めを

かけづらくなった。


自分を律するのは自分。

科学技術が発達し、

さらに発展を遂げる

今こそ、人の心が

大切なのだと

あらためて思う。


じゃあ、

「人の倫理観」って?


このブログでも

紹介したけれど、

こういうこと

だろうと思う。


「『自分みたいな人間

ばかりでも世界はけっこう

にぎやかで風通しがいい』

倫理的とはそういうこと

だと私は思う。」

(@内田樹)


科学技術と人の心。

ともに発展することが、

住みよい明日を

創るんじゃないかな。

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伝える気持ち、伝わる想い

七夕の夜、

ふと1週間前の

ある時間を想う。


おもいやりに満ちた

とても穏やかな

優しい時間。


こうしよう!と思って

そのようになることと、

あえてこうしよう!と

しなくてもそうなること。

(* ̄ー ̄*)


伝える気持ち、

伝わる想い、

それがとても自然に

行き来することで

とても和やかに、

楽しく過ぎる時間。


そんな時間ばかりでは

ないけれど、たまにある

そんな一瞬が、想い出に

深く刻まれ、明日への糧

となっていく。


そんな時間を

過ごせてよかった!

またそんな時間を

過ごしてみたい!!

こんな想いが

とても大切。

(*^-^*)


次につながる

ためにはねっ!

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「生きてゆくのです」

梅雨だけれど、

梅雨の中休みの

ような天候


今夜は七夕。

今日ばかりは、

梅雨に休んでいて

もらいたいもの。

( ̄▽ ̄)


iPhoneをMacに

接続して、チャージ

したまま、Macも

立ち上げたまま

眠ってしまった…

(^-^;


朝、ふと目覚めると

iTunes storeに

ドリカムの新曲が

line upしていた。

タイトルは

「生きてゆくのです」

(゚▽゚*)


朝イチからダウンロード。

早速、聴いてみる。

(o^-^o)


昨日、チャージした元気

がますますpower up

するような感覚。

o(*^▽^*)o


♪「愛してる」って

もっと言って♪

で始まる歌詞。

タイトルにあるように、

「生きてゆく」には

言葉のpowerも大切。


そんなpowerを与えて

もらうとともに、

人に与えることも

とても大切なコト。

「愛してる」って

気持ちと同時に、

言葉で伝えるコト。


「そんなの当たり前」

って言葉を言うのなら、

「愛してる」

「ありがとう」

の言葉を心を込めて

伝える方がイイ。


それが「生きてゆく」

上で、とても重要な

powerになるのだから。

(* ̄ー ̄*)


今日は七夕。

大切な人が短冊に込めた

願いが届きますように


ブログに触れて頂いた

みなさまにとって

素敵な七夕で

ありますように

| | コメント (0) | トラックバック (0)

幸福と笑い

他人(ひと)のコトは

よく見える。自分の

コトはよく見えない。


さらにそれが、

ものの本質であったり、

大切なものであれば

なおさら。


「大切なものは、

目に見えない」と

サン・デグジュペリの

『星の王子さま』に

あるように…


でもね、

「見えない」と「見ない」

じゃ、大きく違うんだよ。


心の眼をこらして見ても

なかなか「見えない」

ものなのに、「見ない」

でいると、いつまでも

見えるはずはないよね。


明るい笑いに包まれて、

楽しく大切なものを

見つめる環境が大事。


あっ、そうそう!

こんな言葉もあったっけ。

「幸福だから笑うわけ

ではない。 むしろ、

笑うから幸福なのだ

と言いたい。」

(@アラン『幸福論』)


笑おうよ!

あなたの幸福を

心から願う者より。

o(*^▽^*)o

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜日の午後

昨日は朝から打合せ。

それが終わった午後は、

ホントにひさしぶりに

「日曜日の午後」

というような時間。


ジョルジュ・スーラの

『グランド・ジャット島

の日曜日の午後』みたい

に芝生でゆっくり、

とはいかなかったけれど…

(^-^;


時間の流れは、

とても穏やかに流れて

いると感じたひととき。

(* ̄ー ̄*)


仕事で慌ただしく

動いている時も充実感は

あるけれど、何もして

いないのに、妙に心が

満たされるような、

そんな贅沢な時間だと

感じるコトがある。


この数カ月、

「日曜日の午後」を

それらしく過ごすこと

がなかった分、

昨日は思う存分

「日曜日の午後」らしい

午後を過ごしたような

そんな気がする。

(o^-^o)


エネルギーもチャージ

できたことだし、

今週もガンバろぅ!

o(*^▽^*)o



P1000218


昨年の春、

シカゴ美術館で鑑賞した

ジョルジュ・スーラの

『グランド・ジャット島

の日曜日の午後』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

年に1度のことだから

昨日、

外来を終えて、

K先生とともに

同門会会場へ。


年に1度の同門会総会。

年に1度のことだから、

この会の開催を迎える時、

この1年間どうすごして

いたかについて考える。

特に、昨年の今頃は

どうしていたかな?って。

(* ̄ー ̄*)


長いようで本当に

短い1年。こうした

時間の積み重ねが

人を変え、成長させていく。


アメリカの哲学者

レオ・バスカーリアが

書いた『葉っぱのフレディ』

の一節にある

「けれど楽しい夏は

かけ足で通り過ぎて

いきました」のごとく、

熱く楽しい時間は

かけ足で過ぎていく。


前を見て進んでいく。

そしてある時ふり返る。

その時間はとてもとても

貴重なものだったと

あらためてわかる。


とても大切な時間。

あっという間に過ぎて

しまう時間だからこそ、

あらためて、

大切に大切に過ごして

いきたいと思う。


年に1度のことだから、

すくなくとも年に1度は

ふり返ることがあってイイ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

客観的視座で行動することの難しさ

客観的視座に立って

物事を考え、行動する。


そのように考え、

行動しても、

考えるのは自分であり、

行動するのも自分で

ある以上、主観的で

あると言われれば

確かに

そうなのだと思う。


たとえ、

主観的であっても、

客観的視座を持つ

というコトが大切。


でもね、

やっぱり難しいんだよ…

考えることは出来ても、

行動することは。


客観的立場で物事を考え、

客観的立場で話したけれど、

言い終わった後、

反省しきり。


そもそも自分がそんなこと

を言うべきだったのか…

もっと穏やかに言うべき

じゃなかったのか…

言われる側の気持ちを

もっと推し量るべき

じゃなかったのか…

言ってることがホントに

客観的なコトなのか…

などなど。


その一方、

客観的視座に立つことで、

自分の至らなさ、

情けなさもあからさまに

目にすることになる。


「まだまだだなぁ…」

とあらためて思う。

(;ω;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おもいやり

昨日までの2日間、

とてもおもいやりに

あふれた時間を

過ごすことができた。


おもいやること、

おもいやって頂いたこと。

「相手に何かできること」

を自分が思うこと。

そして、それを実行

すること。それをして

頂いたこと。


こんなイイ循環で

ぐるぐるぐるぐる

まわっていたような

気がする。


それは、

目先の損得を度外視した、

まるで、親が子どもに

しめす愛情のごとく、

特に、母親がわが子に

そそぐ無償の愛のごとく。


誰でも、この世に

生を受けた時点で、

無償の愛をそそがれた

ことになる。


そして、今度は

その愛を誰かに

そそいでいく。


そうしたつながりの中で、

人は生きてきて、

これからも生きていく。


そんなことを感じた

とても素敵な時間だった。

本当にありがとう!!

(* ̄ー ̄*)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

伸びしろ

昨日の午後、

学会に参加した後、

空いた時間を利用して

『オルセー美術館展』

で絵画鑑賞。


ウイークデイでも

すごい人、人、人。

(^-^;


これまで、

Parisを訪れる機会が

あっても、オルセー美術館

は改装工事のためクローズ。


オルセー美術館蔵の

自分の好きな絵画に、

しかも日本で再び

会うことができた。

(*゚▽゚)ノ


とても短い時間だった

けれど、心を満たす

とても素敵な時間だった。

(* ̄ー ̄*)


ところで、

今回の学会参加で

感じたこと、それは、

自分にはまだまだ

「伸びしろ」がある

のだということ。


自分の為すべきコトに

専心すると同時に、

自分がしたいと思うコト

に自分の「伸びしろ」

があるということ。


「できてない…」

と感じるコトは多い。

でもね、それが自分の

したいコトで、

「できてない」コト

なのなら、その部分が

出来るようにすればイイ。

その工夫や心の持ちようも

「伸びしろ」の1つであり、

そうした努力の積み重ねが、

未来を切り拓いていく。


そう信じて進んできた

からこそ、昨日の午後、

絵画鑑賞とは別の、

とても素敵な時間を

過ごすことができた。

(*^-^*)


「伸びしろ」を上手く

活用して、伸びた時、

人をよろこばせる

新たな感動がそこには

あるような気がする。

(o^-^o)


今日から文月7月。

熱い想いを胸に、

今日からも

頑張っていこう!

o(*^▽^*)o


素敵な機会を与えて

頂いたことに、心から

感謝しながら…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »